第8章
「三人目……だと……?」
俺は、玉座から立ち上がり、管理人室の中を意味もなくウロウロと歩き回っていた。
さっきまでの、どこか他人事で、面白い見世物を見ているような余裕は、もう欠片も残っていない。
背筋を、嫌な汗がツーっと伝っていくのが分かった。
「おいおいおい、冗談じゃねえぞ……」
聖騎士アリシア。武闘家エルマ。そして、賢者ルナ。
三人全員が、あの忌まわしき『特異体質』持ちだった。
なんだその確率。天文学的数字の宝くじに、三枚連続で当たるようなもんじゃないか。
コンソールのエネルギーグラフが、俺の絶望を肯定するように、警告の赤色を激しく点滅させている。
『魔力平衡、著しく不安定』『エネルギー過剰供給、警戒レベル3』
「このペースだと、明日には第五階層……いや、今日中に着いちまうぞ!」
俺の焦りを煽るように、メインモニターでは、ルナを気遣いながらも、ヒロインたちが第四階層へと続く階段を下りていく姿が映し出されている。
まずい。非常に、まずい。
「あらあら、ご主人様♡ そんなにウロウロして、どうしたんですか?」
不意に、背後から甘ったるい声がした。
振り返ると、俺の使い魔であるサキュバスのモニカが、空中でくるんと一回転しながら、悪戯っぽく微笑んでいた。
小さな体躯を包む、黒く艶かしいボンデージ風の衣装が、彼女の白い肌をいやらしく際立たせている。
「まるで、初めての相手にドキドキしちゃってる、初心な男の子みたいですよぉ?」
「るっさい! それどころじゃないんだよ!」
俺は、モニカの軽口に声を荒らげた。
「あの三人、全員『特異体質』だったんだ! このままじゃ、ダンジョンがめちゃくちゃになる!」
「あらあら、大変♡」
モニカは、心底楽しそうに目を細める。
「あんなに可愛くイッちゃって、ご主人様のダンジョンを、自分たちの愛液でパンパンにしてくれるなんて、とっても良い子たちじゃないですかぁ」
「そういう問題じゃねえ!」
こいつのセクハラは今に始まったことじゃないが、今日ほど腹立たしい日はない。
「エネルギーのバランスが崩れるんだよ! じいちゃんのマニュアルにも、『要注意』としか書いてないし、対策が……!」
俺が、玉座の脇に放り投げてあったマニュアルを指さすと、モニカは「もう、ご主人様はせっかちですねぇ」と、くすくす笑いながら、ひらりとマニュアルの元へ飛んでいく。
「ちゃんと、最後まで読まないとダメですよぉ?」
彼女が、その細く、完璧に手入れされた爪先で、パラリ、とページの束をめくる。
そして、あるページで、ぴたりと動きを止めた。
「ほら、ここに書いてありますよ。ご主人様が見落としていた、とっておきの『対策』が♡」
俺は、モニカが指し示す箇所を、疑心暗鬼で覗き込んだ。
そこには、祖父の汚い字で、こう書き殴られていた。
『第五階層の『黒曜石のゴーレム』は、単なるボスではない。特異体質持ちの暴走を防ぎ、進行を強制的に停止させるための『調整役』である。並大抵の覚醒では、その魔力耐性を貫くことは不可能』
「調整役……ストッパーだと?」
俺は、その一文を読んで、全身から力が抜けていくのを感じた。
そうか。ちゃんと、フェイルセーフはあったのか。あのじいさん、抜かりないな。
俺は、どさりと玉座に座り込み、大きく息を吐いた。
「……なーんだ。びびらせやがって……」
第五階層のゴーレムであいつらが足止めされるなら、ひとまず時間は稼げる。その間に、対策を……。
「でも、ご主人様?」
俺が安堵しかけた、その時だった。
モニカが、俺の耳元にふわりと舞い降り、その吐息がかかるほどの距離で、甘く、囁いた。
「マニュアルには、こうも書いてありますよぉ?」
彼女の爪先が、ページの、さらに下。
隅っこに、米粒のような大きさで書かれた注意書きを、とん、と指し示す。
『※万が一、ストッパーが突破された場合、迷宮核の自壊シーケンスが起動する可能性アリ』
「…………は?」
俺の思考が、完全にフリーズした。
じかい、シーケンス……?
自壊? このダンジョンが?
安堵感は、一瞬で氷点下よりも冷たい絶望に変わった。
俺は、きりきりと悲鳴を上げる胃を、強く、強く押さえた。
「……マジで、ヤバいじゃねえか……」
モニカの、楽しそうな笑い声だけが、静かな玉座の間に、やけに大きく響き渡っていた。