第4章
俺は、メインモニターに映し出された戦闘記録から目が離せなかった。
励起魔素のグラフが、ありえない角度で天を突いている。
特に、最後の数秒間。
あの金髪の聖騎士が甲高い声を上げた、まさにその瞬間だ。
グラフは垂直に跳ね上がり、測定可能な上限値を振り切ってエラー表示に変わっている。
「なんだよ、これ……」
あれは、天変地異に近い、規格外の何か。
俺はコンソールのスイッチを操作し、モニターの映像を切り替えた。
侵入者たちが逃げ込んだ、第一階層の小さな待避室。
こういう場所をいくつか用意しておくのも、管理人の大事な仕事だ。まあ、監視するためなんだが。
◇◆◇
ひんやりとした石造りの小部屋。
ルナが灯した魔力光が、三人の少女をぼんやりと照らしていた。
部屋の隅で、アリシアは自分の体にマントをきつく巻き付け、体育座りで膝に顔をうずめている。
半壊した鎧の下から覗く白い太ももが、微かにぷるぷると震えていた。
完全に自己嫌悪に陥っている。
「さっきのアリシア、すっごくカッコよかったよ! 全身がキラキラ〜って光って、一発でドカーン!だもん。ねえねえ、あれってもう一回できないかな?」
エルマが、悪気ゼロの笑顔でアリシアの背中をバンバンと叩く。
彼女はさっきの戦闘で付いた土埃を払うのも忘れ、興奮冷めやらぬといった様子だ。
引き締まった腹筋が、呼吸に合わせて健康的に上下している。
「……っ」
アリシアの肩が、びくりと跳ねた。
その反応を見て、魔導書に何かを書き込んでいたルナが、静かに顔を上げる。
フードの奥から覗く紫色の瞳が、冷静にエルマを捉えた。
「エルマ。今はそっとしておいてあげてください。アリシアは、精神的に大きな負荷がかかっています」
「えー? だって、アイツを倒せたじゃん!」
「問題は、再現性です」
ルナは立ち上がり、未だ震え続けるアリシアを見下ろした。
その視線は、医者が患者を診るように、どこまでも無機質で、分析的だ。
「あの魔力励起は、通常の聖力解放とは明らかに異質。トリガーは、あの粘液による外部からの物理的および……精神的干渉。仮説ですが、極度の負荷、あるいは……極度の快感が、アリシアの聖力のリミッターを強制的に解除した可能性があります」
「か、快感……!?」
その単語に、アリシアが顔を上げた。
涙で潤んだ碧眼が、ルナを糾弾するように睨みつける。
「そ、そんなはず、ありません! あんなもの、ただの屈辱です! 聖騎士である私が、あのような破廉恥なもので力を得るなど……!」
「ですが、現にあなたはパワーアップしました。その力で、私たちは救われた。これは事実です」
「もうやめてくださいっ!」
アリシアは叫んだ。
「あんな……あんな力、聖騎士にあるまじきものです! 私は……私は、自分の体が、汚れてしまったようで……怖いんです……!」
絞り出すような声は、最後には嗚咽に変わった。
◇◆◇
俺は、気まずい空気が流れる待避室の音声をミュートにした。
なるほどな。「トリガー」は「快感」か。
あの冷静チビっ子の分析は、おそらく正しい。
だとしたら、余計に話がややこしい。
俺は答えを求めて、玉座の脇に無造作に置かれていた、分厚い革製のファイルに手を伸ばした。
――『感応性迷宮 管理人マニュアル』。
埃っぽく、カビ臭い、祖父の遺品だ。
パラパラとページをめくっていく。
ほとんどは、トラップのメンテナンス方法や、モンスターの餌やりについてといった、どうでもいい内容だ。
だが、必死にページをめくる俺の背後から、不意に、ねっとりとした甘い声がした。
「あらあら、ご主人様♡ そんなに慌てて、どうなさったんですか?」
振り返ると、そこには、小さな女の子がふわりと浮かんでいた。
身長は三十センチほど。コウモリのような小さな翼、艶かしい黒のボンデージ風の服、そしてくるんと巻いた小悪魔の尻尾。
俺の管理補佐であり、先代が遺した使い魔。
サキュバスのモニカだ。
「……モニカ。お前、いつからそこに」
「最初からですよぉ? ご主人様が、モニターに映るお姉さんのえっちな姿に釘付けになっている時から、ずーっと♡」
「釘付けになってない。仕事だ」
「あら、そうですかぁ? でも、さっきから心なしか、ご主人様の魔力も昂ぶっているような……もしかして、あのおっぱいの大きな聖騎士様に、ムラムラしちゃいました~?」
モニカが、俺の耳元でくすくすと笑う。
こいつのセクハラはいつものことだ。
俺はそれを無視して、マニュアルのページをさらにめくった。
そして、ついに目的の記述を見つけ出す。
祖父の汚い走り書きだ。
『※要注意! 快感でリミッターが外れる『特異体質』持ちについて』
俺は、そのページに書かれた内容を、息を詰めて読んだ。
――この体質を持つ者は、極めて稀である。
――彼女たちは、性的興奮や快感を、直接的に自身の魔力や聖力に変換し、爆発的な力を生み出す。
――ダンジョンにとっては、最高品質の「励起魔素」を生成する。
――だが、そのエネルギー出力は、あまりに不安定かつ膨大。
――絶頂によるエネルギー奔流は、ダンジョン全体の魔力バランスを著しく損ない、システムの暴走や、最悪の場合、迷宮核に深刻なダメージを与える危険性がある。
俺の顔から、血の気が引いていくのがわかった。
なんだよそれ。なんだよその、とんでもない爆弾。
「ふふっ、良かったじゃないですか、ご主人様」
モニカが、俺の青ざめた顔を覗き込み、悪戯っぽく笑った。
「退屈な毎日が、とっても面白くなりそうですよぉ?」
俺は、きりりと痛み始めた胃を手で押さえた。
面白く、なる? 馬鹿を言え。
俺の静かで、孤独で、平和だった日々は、たった今、終わりを告げたのだった。