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第10章

 第四階層を突破した彼女たちが、第五階層の扉を開いた瞬間、俺はごくりと喉を鳴らした。

 そこは「巨人の広間」。

 これまでの通路や小部屋とは比較にならない、巨大なドーム状の空間だ。

 天井は遥か高く、俺のモニターでもその全景を捉えるのが難しいほど。

 そして、その広間の中央に、”それ”は鎮座していた。


「な……にあれ……」


 アリシアの、呆然とした声がスピーカーから聞こえる。

 全高、十五メートルはあろうか。

 磨き上げられた黒曜石でできた、巨大な人型のゴーレム。

 継ぎ目のない滑らかなその体は、まるで一つの巨大な宝石のようだ。

 だが、その内側からは、不気味な赤い光が、まるで心臓の鼓動のように、ゆっくりと明滅している。


 『調整役ストッパー』。


 マニュアルに書かれていた、特異体質持ちの暴走を止めるための、絶対的な壁。

 俺は、どこか冷静な頭で「ここまでだな」と思っていた。

 こいつを、あいつらが突破できるはずがない。


「うおおおおおっ!」


 最初に動いたのは、エルマだった。

 彼女は床を蹴り、弾丸のような速さでゴーレムの足元へと肉薄する。

 

 だが、ゴーレムは、その巨体に見合わない、恐るべき速度で反応した。

 巨大な腕が、薙ぎ払うように振るわれる。


「エルマ、危ない!」

「くっ!」

 

 エルマは咄嗟に腕をクロスさせて防御するが、その衝撃は凄まじかった。

 ズガンッ!という耳を塞ぎたくなるような轟音と共に、エルマの小さな体が、紙くずのように吹き飛ばされる。

 壁に叩きつけられ、咳き込みながら、彼女はなんとか立ち上がったが、その腕は不自然に震えていた。


「エルマ! ルナ、援護を!」

「言われなくても!」

 

 ルナが魔導書を掲げ、高速で呪文を詠唱する。

 

「――凍てつく吹雪の槍よ、敵を貫け! アイスジャベリン!」

 

 数十本の氷の槍が、ゴーレムの顔面へと殺到する。

 だが、キン、キン、と甲高い音を立てて、全ての槍が黒曜石の表面で砕け散った。

 傷一つ、ついていない。


「魔法が……効かない!?」

「硬すぎる……!」

 

 アリシアが、聖剣を手にゴーレムの足元を斬りつけるが、火花が散るだけで、浅い傷さえつけることができない。

 パワー、スピード、そして防御力。

 全ての次元が違う。


 じりじりと後退させられ、三人の呼吸が荒くなっていく。

 汗が、肌を、そして破れかけた服を濡らしていく。

 エルマの腹筋には青い痣が浮かび、アリシアの白いチュニックも、あちこちが裂けて痛々しい。


「こうなったら……!」

 

 アリシアが、覚悟を決めた顔で叫んだ。

 

「もう、”あれ”を使うしかない!」

「……っ!」

 

 ルナとエルマも、その意味を悟り、こくりと頷く。

 

 俺は、モニターの前で目を見開いた。

 こいつら、まさか……!


 アリシアは、目を閉じ、あのスライムの感触を、その屈辱を、無理やり思い出す。

 エルマは、蔦の感触を。

 ルナは、あのM字の罰を。

 彼女たちは、自らの意思で、快感の記憶を呼び覚まし、その身を辱めることで、強制的に力を引き出そうとしていた。


「う、ぐぅっ……!」

 

 三人の体から、それぞれの色のオーラが立ち上り始める。

 だが、その表情は、快感ではなく、ただただ苦痛に歪んでいた。


「いっけえええええっ!」

 

 エルマが、真っ赤な闘気をまとって、再びゴーレムへと突撃する。

 『覇拳炸裂』の全力を込めた拳が、ゴーレムの腹部に叩き込まれた。

 ゴオオオオンッ!!

 ダンジョン全体が揺れるほどの、凄まじいインパクト。

 ゴーレムの巨体が、わずかに、ほんのわずかに後退する。

 

「やったか!?」

 

 だが、煙が晴れた後、そこに立っていたのは、無傷のゴーレムだった。

 そして、力を使い果たしたエルマは、その場にがくりと膝をついた。


「そんな……!」

「――まだ!」

 

 アリシアが、砕け散った聖剣の柄を握りしめ、最後の聖力を振り絞る。

 彼女の体から放たれた黄金の光が、かろうじて剣の形を成した。

 

「これで……!」

 

 渾身の一撃が、ゴーレムの胸、赤い光が明滅するコア部分へと突き刺さる。

 ――パリン。

 希望に満ちた音ではなく、ガラスが割れるような、乾いた、絶望的な音が響いた。

 光の刃が、砕け散ったのだ。


「あ……」

 

 アリシアの、呆然とした声。

 その隙を、ゴーレムは見逃さなかった。

 巨大な腕が、慈悲も容赦もなく振るわれる。

 アリシアは、その攻撃に反応することさえできなかった。

 エルマとルナを庇うように吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 彼女たちの体から、か細い呻き声が漏れ、そして、動かなくなった。


「エルマ……! ルナ……!」


 広間に、一人だけ残されたアリシア。

 傷だらけの体を引きずり、なんとか立ち上がる。

 鎧は砕け、服は破れ、白い肌には無数の切り傷と痣が浮かんでいる。

 それでも、彼女は、折れた剣の柄を、まだ握りしめていた。

 その碧眼は、絶望の中にあっても、まだ、強い光を失ってはいなかった。


 モニターの前で、俺は叫んでいた。

 

「もうやめろ……! 逃げろ! 勝てるわけないだろ!」

 

 届くはずのない声が、虚しく玉座の間に響く。


 ゴーレムは、そんなアリシアの抵抗を嘲笑うかのように、ゆっくりと、その巨大な黒曜石の拳を振り上げた。

 アリシアの小さな体を、完全に覆い尽くす、死の影。


 彼女は、全てを悟ったように、ふっと、息を吐いた。

 そして、静かに、目を閉じる。

 その頬を、一筋の涙が、泥と汗の跡を描きながら、ゆっくりと伝っていった。


 やめろ。

 やめてくれ。


 俺は、無意識のうちに、モニターに向かって手を伸ばしていた。

 だが、その手が何かに触れることはない。

 ただ、絶望的な光景が、目の前に広がるだけだ。


 ゴーレムの拳が、振り下ろされる。

 スローモーションのように、全てが、ゆっくりと、見えた。

 

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