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クローモ・ファトゥム ― 色なき運命へ  作者: 霧雨桜花
第一章 : アストラの綻火
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リクナ・アンティスキア

 夜が深まるにつれ、名もなき村の空は黒絹のごとく張り詰めていた。


 奏真は、粗く織られた敷き布の上で身を起こしたまま、静かに寝息を立てるアレセアの背を見つめていた。

 藍染の織物に身体を預けていたはずが、今はもう、そこに横たわる気にもなれない。


 まだ、一日が終わっていない気がしていた。


 胸の奥に残る感触――それは、あの瞬間、糸を手繰ったときのものだった。

 この世界の理も、秩序も知らない。けれどあのとき、奏真は本能的に理解した。


 ——それは、あってはならないものだった。


 空間に揺らめいた、裂けかけた運命の糸。

 何かの末端が無理に引き裂かれたような、異様な“ほつれ”。

 見てはいけない、触れてはいけない。けれど、触れてしまった。


 あれを繕ったことが何を意味するのか、理屈では分からない。

 ただ、そうしてしまった自分が、この世界の中で異物であることを――言葉にならぬ確信として、深く、知っていた。


「……僕は……帰りたいだけなのに」


 知らぬ世界で、知らぬ力を授かり、知らぬ糸を縫った。

 運命の織物に、自分が関わってしまったという感覚が、夜の静けさにじわじわと広がっていく。


 そのとき、微かに寝返る気配がした。


 アレセアが身体を起こし、ぼんやりとした目でこちらを見ている。

 すぐに彼の顔つきに気づいたのだろう、目がすうっと細くなった。


「……奏真? どうしたの……そんな顔」


 言葉に困り、奏真は視線を逸らす。

 だがアレセアは、小さく息をつき、織物を足元で巻き直しながら彼の隣に腰を下ろした。


「ねえ、何があったの?」


 問いに、迷いがあった。けれど、隠しきれることではなかった。


「……糸が、見えたんだ」


 アレセアの瞳が、瞬時に真剣な色を帯びた。

 けれど、動揺ではなかった。ただ深い静けさを湛えていた。


「どんな糸?」


「……裂けてて。今にも千切れそうで……でも、放っておけなかった」


 言葉を重ねるたび、胸が締めつけられるようだった。

 恐怖ではない。理解されないであろうことへの確信。それでも語らなければならない気がした。


「何かを壊したのか、それとも……繕ったのか、自分でも分からない。ただ――あれに触れたことで、僕はもう元の場所に戻れない気がしてる」


 アレセアはしばらく黙っていた。

 そして、星の宿るその瞳を静かに向けて言った。


「星読族のわたしでも、“運命の糸”なんて見たことないわ」

「それが見えたってだけで、あなたが……どれだけ“在ってはならないこと”に触れたか、なんとなく分かる」


「じゃあ……怖くないの?」


「怖いわ。でも、それ以上に……あなたが怖がってるのが分かるから」


 その言葉は、慰めではなかった。ただ、静かにそばに寄り添うものだった。

 答えにならない問いが、ほんのわずかにだけ、柔らかくほどけていく。

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