リュミナ・クラデシア
塔は、空を穿っていた。天へ向かって伸びるその姿は、まるで世界の骨格そのものであるかのように、どこまでも無言のままそこに在った。
地から突き出たのではない。ただ、最初から「そこにあるべきもの」として存在している。そんな気がした。
それを前にした僕は、自分が極端に小さなものに感じられた。
見上げるほどに視界が霞んだ。高さが現実の尺度を超えていたからだろう。もはや「構造物」とは呼べなかった。空と地をつなぐ黒い糸。あるいは、空が地上に垂らした鎖のような。
だが、それが何なのか、僕にはまるで分からなかった。
名前も知らない。意味も知らない。けれど、その存在だけは、異様なほど明瞭だった。
それでも――
「入るべきではない」
そう身体の奥底が叫んでいた。
足が動かない。動こうとするたびに、皮膚の下でなにかが粟立った。塔の入口らしき裂け目は、どこまでも静かに開いていた。けれど、そこには明確な〈拒絶〉の気配があった。
ここは、生きたものが踏み入れる場所ではない。
背中に冷たい膜のようなものが張りつく。その正体は恐怖でもあるし、警鐘でもある。けれど何よりも、これは「本能」だった。
それでも僕は、その前から離れられずにいた。
歩き続けて、ようやく辿り着いた場所。ここに、誰かの痕跡があるかもしれない――そんな予感が、微かに僕を縛っていた。
そして――そのときだった。
「……どうして、そんなところに立ってるの?」
声。
柔らかく、けれどどこか強い響きを秘めた声だった。
振り返ると、そこに少女がいた。
風が吹くたびに揺れる髪は銀色に近かったが、その内の一房だけが、星明かりを映したように淡く光っていた。銀と藍と紫の光がまばたくように混ざっていて、現実では見たことのない、けれど確かに美しい髪だった。
肌は雪のように淡く、輪郭もどこか儚い。だがその佇まいは、逆に確かな存在感を放っていた。
そして何よりも印象的だったのは、その瞳。
群青の夜空を思わせる虹彩の中に、小さな光の粒が散っていた。星のような――いや、まさに星だった。人間の眼にはあり得ない、けれど吸い込まれるような輝き。
僕は思わず問うた。
「……君は、人間じゃないのか?」
少女は、少しだけ目を伏せ、そして静かに言った。
「私は、星読族――〈アステル〉」
その響きは、まるで初めて聴くはずなのに、どこか懐かしい旋律のようだった。
「星読族……〈アステル〉……?」
僕が繰り返すと、彼女は小さく頷いた。
「このあたりに、人の気配があったから。……あなたがそれ?」
「たぶん、そうだと思う」
どこか安堵したように彼女は頷く。そして、僕の足元を見て小さく眉をひそめた。
「入ろうとしてたの?」
「……入れなかった。怖かったんだ。どうしても、足が……」
「当然だよ。あの塔の前に立ったら、誰だってそうなる」
その言葉に、少し救われた気がした。
「……いったい、あれは何なんだ?」
僕の問いに、少女――星読族の少女は塔を見上げる。
「名前はある。“十二星柱”――ドーデカ・アステリオ」
「十二星柱……」
口にした瞬間、なぜか胸の奥がひどくざわめいた。音の一つ一つが、重く、冷たい。
「でも、中がどうなってるのかは誰も知らない。星読族の私たちでさえ、近づくなって言われてるだけ。理由は明かされないまま」
「危険だから?」
「きっと、ね。でも、それ以上に“触れてはいけない”って扱い方をされてる気がするの」
少女はふと黙り、風に揺れる髪の星色の房が夜気にちらついた。
「……名前、聞いてもいい?」
「織宮 奏真」
「私はアレセア。星読族の中では、ちょっと……変わり者、かな」
「こんな場所に現れた僕のほうが変わり者だよ」
思わず言ってしまったその言葉に、彼女はふっと微笑んだ。その笑みには、どこか光があった。
「……行こう。ここは、長くいるべき場所じゃない」
そう言ったアレセアの声には、夜空の静けさに似た優しさがあった。
「うん」
塔を背にして、二人は歩き出す。星読族の少女と、見知らぬこの世界に迷い込んだ僕と。
そして遠く、夜の彼方で、星の一つが微かに瞬いた。
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