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クローモ・ファトゥム ― 色なき運命へ  作者: 霧雨桜花
第一章 : アストラの綻火
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ルメニス・アポレイア

 光は、導きのように漂っていた。

 それはあまりに滑らかで、あまりに無音だったから、途中から「浮かんでいる」とか「進んでいる」といった感覚すら失っていた。ただ、気づくとこちらの前方にいて、また少し先へと進んでいく。それを追うしかなかった。


 


 歩いていたはずなのに、気づけば走っていた。走っていたはずなのに、いつのまにか、立ち止まっていた。


 


 そして、見上げるような構造物が、夜に立っていた。


 


 塔だった。そう、塔――。

 でもその言葉を使うのもためらわれるほど、形はあいまいで、現実味がなかった。


 


 幾本もの、樹とも柱ともつかない巨大な影が束ねられて、空に向かって編み上がっている。透けているようでいて、確かにそこにある。光が反射することもなければ、影を落とすこともない。けれど、触れればきっと感触はあるのだろうという存在感があった。


 


 そしてその麓に、さっきまで追っていた光が、ぽつりと留まっていた。


 


「……ここが、終点……?」


 


 つぶやいた言葉は、自分のものなのに、誰かの声のようだった。


 


 身体が拒否していた。

 これ以上近づいてはならない、と。

 理屈ではない。ただ、そこに立ちすくむしかなかった。


 


 見上げるたび、胸の奥が冷たくなる。鼓動が速くなるのではなく、逆に、ひどく沈んでいく。高揚ではなく、沈降。まるで心が地に引きずられていくような、そんな錯覚。


 


(なぜ……入れない)


 


 目の前に光があるのに。

「誰か」がいる可能性があるのに。

 ここまで歩いてきたのに。


 


 なのに――一歩が、出ない。


 


 地面が裂けているわけではなかった。扉が閉じているわけでもない。

 ただ、塔の入り口らしきアーチの向こうには、黒い空洞のようなものが広がっていて、そこから風すら感じられなかった。


 


 生きている気配がなかった。


 


「……っ」


 


 喉が渇いていた。口の中が砂のようで、でも飲み込む水もない。

 掌に汗がにじんでいる。こんな世界に来て、初めて「自分の身体」を感じた気がした。


 


 生きている証拠。それは、恐怖だった。


 


 足が退く。けれど、その場に座り込むこともできなかった。塔から視線を外せないまま、時間だけが過ぎていく。星々の明滅すら止まったような、異様な静寂。


 


(……誰か……)


 


 そのとき、微かな音がした。塔の内側からではない。風でもない。


 


 ――音だった。地面を踏みしめる、何者かの足音。


 


 僕は振り返った。


 


 誰かが、こちらに向かってきていた。遠くから、ゆっくりと。


 


 輪郭はまだ見えない。けれど、確かに誰かが、こちらに近づいている。


 


 塔よりも、その足音の方が、僕の心に火を灯した。


 


(……ようやく……)


 


 誰かが来た――

 それだけで、胸にこみあげるものがあった。


 


 助けかもしれない。敵かもしれない。それさえも、今はどうでもよかった。


 


「――!」


 


 呼びかけようとした瞬間、塔の上部が、微かに光った。


 


 さっきまでなかったはずの、淡い蒼白の輝きが、ゆらりと生まれていた。まるでそれが、誰かの接近を察知したかのように。


 


 同時に、僕の内側にも何かが灯った。


 


 冷えきっていた身体の奥に、火がともったような、逆流するような感覚。


 


 塔が、呼んでいる?


 


 違う。

 僕が、呼ばれている。


 


 その瞬間、背後の足音が止まった。


 


 反射的に振り返ると、そこには、ひとりの人物が立っていた。


 


 顔は、影になって見えない。

 けれど、その姿からは、確かな意思のようなものが漂っていた。


 


 声は、なかった。

 けれど、何かを語りかけているような――そんな気配。


 


 塔、光、影の人物――。


 


 この世界が、ゆっくりと「動き出している」ことを、僕は知った。


 


 そして、まだ足は動かなかった。


 


 動いてはいけない気がした。

 ここで一歩を誤れば、もう戻れない気がした。

 だから僕は、その場に立ったまま、目の前の「何か」を、見つめていた。

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