断章 : 兆しの夜
夜の帳が、あまりに静かに落ちてきた。
星読台の頂に立ち、アレセアは空を見上げていた。
無数の星は、今宵も確かにそこに在る。定まった軌道、綴られた詩、揺らがぬ神話。
けれど――胸の奥を掠めた、微かな”色の乱れ”。
「……また、歪んでる」
独り言のように、けれど確かな声で呟いた。
観測者である自分だけが気づける、わずかな”ほころび”。
星の配置、光の届く角度、重なる運命の糸の編み目――その一つが、微かにずれていた。
エリオヌスの祈り火が掲げられてから、そう日は経っていない。
なのに、この違和感は何なのだろう。あの”火”は、ただの儀式ではなかったのか?
それとも、神自身が何かを変えようとしているのか。
だが、それを誰かに告げることはできなかった。
今の彼女に、信仰というよりどころはもうない。
「神の巫」であった時代は終わり、ただ「兆し」を読む者に過ぎない。
言葉にすれば、また傷が疼くのだ。
「それでも……来る。間違いなく、“誰か”が来る」
口元にかすかな震えを宿しながら、彼女は目を閉じた。
遠くで、まだ知らぬ運命の”音”が鳴り始めている。
それは、世界を覆う織り目に刻まれる異分子の到来――
そしてその「音色」に、ほんの一瞬だけ、彼女の心が懐かしく揺れた。
まるで、かつての祈りに似た――けれど、それとは違う”別の希望”を想起させるような。
(――名も知らぬあなた。
その”色”を、どうか私に、見せて)
夜の風が、静かに星読台を吹き抜けていった。
そして、運命はゆっくりと、その端をほどき始めていた。
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