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クローモ・ファトゥム ― 色なき運命へ  作者: 霧雨桜花
第一章 : アストラの綻火
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クラスタグリュス・アステロファゴス

 村が沈黙していた。


 風は止み、木々は震えず、鳥の声もなかった。天にあったはずの星々は影さえなく、空はただ黒一色の帳となり、遠くの山の輪郭さえ失われていた。


 ドゥレイ・カンザリオは、かつて王たる証を掲げた右手を見つめていた。

 そこには何の光も宿っていない。かつて無数の星の音を読み取り、分岐を見通し、未来を歌い紡いだその手は、今やひとつの星すら捉えられず、力の残滓だけが指先で微かに燻っていた。


 彼は理解していた。

 自らが継承していた深淵詠みの座は、もはや己のものでなくなったと。

 王の鍵が奪われ、星魂詠唱セイコンエイショウの中枢が他者に奪い取られたその瞬間から。


 そして、奪った者は―――今、村の空にいる。


 


 地を踏む音はなかった。

 ただ“それ”は浮かび、降りてくる。星のようにではない。星を喰うものとして。


「……カシエル」


 名を呼んだ声は誰にも届かず、自らの胸奥に沈んでいった。


 


 その姿はもはや、星読族の輪郭を成していなかった。

 長身にしてしなやかだった肢体は、異様に引き延ばされ、薄く、影のように。

 星衣アステリアの意匠はすでに消え失せ、代わりに浮かぶは渦巻く天文円環――だがそれは、天の秩序ではなく破壊された運行図だった。


 カシエルは色を持たない。

 光でも闇でもなく、“反転”した理そのもの。

 あらゆる星を喰らい、暦を捻じ曲げ、運命の結び目すら断ち切る。


 その眼に浮かぶのは、かつて深淵を見つめた知の煌きではない。

 ただ空虚。終わりを望む空虚。


 


「……何故だ」


 ドゥレイの問いに、応えはなかった。

 代わりに、彼の前に広がる村が、ひとつ、またひとつと崩れていく。


 星魂詠唱――否、かつてそれと呼ばれた術式の亜形。

 星の欠片すら不要。構文さえ消え失せ、ただ“発動”する。

 建物は音もなく崩れ、地はひび割れ、逃げる者の影が焼け落ちる。


 


 ドゥレイは地を蹴った。

 残された魔術の記憶――深淵詠みの構文を構築し、星図の一片を呼び起こす。


「フリュオ・ネクタリウス――」


 詠唱の断片が走り、星の欠片を指先で砕く。

 だが、その魔力は触れるより早く吸い込まれた。

 異形は、星の残滓すらも喰らう。


 次の瞬間、ドゥレイは吹き飛ばされていた。

 大気が波打ち、軌道のない暴力が彼の胸を裂いた。

 咳き込む血の中に、見慣れた結晶が砕けて散っていた。


 


 倒れながら、ドゥレイは知る。

 ――これこそが、唯一神エリオヌスが織り上げていた「未来」のひとつ。

 もし自身が誰かに王位を継承したなら、その相手が“正しく怪異化する”ように、神が仕込んだ綻びの補償――いや、“遊び”。


 けれど奏真は、それを縫わなかった。


 だからこそ、まだ王座を渡してもいないこの瞬間に、

 正しくない未来が、誤って現れた。


 


「……それでも」


 ふらつきながら立ち上がる。

 息をするたびに、肺が焼けるようだ。それでも。


「まだ……私は……王だ……!」


 星の欠片をもう一つ砕く。

 だが砕いたそばから、闇がそれを貪る。

 星の輝きはもう戻らない。


 そしてカシエルが、ただ手を伸ばしてきた。

 すべてを否定する掌で、再び理を裂こうとしていた。


 


 それでも、ドゥレイ・カンザリオは立っていた。

 力なき王として。

 過ちを知り、それでも目を逸らさぬ、深淵を見つめる者として。

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