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クローモ・ファトゥム ― 色なき運命へ  作者: 霧雨桜花
第一章 : アストラの綻火
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カタフュギエン・クローネ

 静寂が、塔の芯を貫いていた。

 アストレオノクスの最奥にひそやかに佇む「継承の間」——王位の交代にのみ開かれるはずのその扉が、いま、わずかに揺れている。


 カシエルはその前に立っていた。

 深い黒衣の裾を風が撫でる。天穹に咲く星の気配は、かつて自分が纏っていたものよりも、遥かに遠く薄れている。


 だが、それでいい。

 ——正統な王であるはずの男が、今や空席を作った。

 星々が語るなら、これは“僥倖”と呼ばれるものだ。


「王の座が空白になるなど、何百年ぶりのことか」


 声は、塔の石壁に吸い込まれた。返答はない。だがその代わりに、閉ざされたはずの結界が、まるで“呼応”するように波打った。


 綻び——あの異物の痕跡だ。

 見たことのない運命の裂け目。神の織物のほつれ。あれを感知した瞬間から、カシエルはすべてを悟っていた。


「神がほころぶ? 否……神ではない、異邦から来た誰か。いや、“何か”だな」


 細く笑って、彼は一歩、結界の中へ踏み込む。

 重層的に重ねられた封印陣が、綻びの呼吸に誘われるように、わずかに緩む。王ではない彼が、いまここに入れるなど、本来ならば有り得ない。


 だがその“有り得なさ”を導いたのは、奏真。

 カシエルは彼の名を知らない。ただ、未知なる歪みを作り出した「欠片」の存在を鋭く嗅ぎ取っていた。


 やがて、間の中央——石台の上に、それはあった。


 小さな、けれど極めて複雑な意匠の施された“鍵”。

 星の軌跡と暦の螺旋、天文機械の歯車のような線が銀糸で精緻に織り込まれ、まるで宇宙の中心を象るかのように輝いている。


 王の資格を得るには、星読の継承が必要だ。

 だがこの鍵さえあれば、強制的に“座”を上書きできる。

 力を、奪える。


「やはり……“王”という座は、掴む者のためにある」


 カシエルの指が鍵に触れた瞬間、空間が震えた。

 継承の間の結界が反転し、力の回路が切り替わる。

 まるで、ドゥレイの名が帳から掻き消されるように。


 星読の王を継ぐ資格。

 それに繋がれた、星々の記憶、神話の系譜、予兆の全て。


 それらを奪い、ねじ曲げ、新たな始まりを刻む準備が整った。


「これでようやく、俺の夜が明ける」


 カシエルは振り返らない。

 かつて追放された者が、ついに王を継ぐ時が来た。


 そして同時に、世界の織物に、誰も知らぬ糸がまた一本——歪に重ねられようとしていた。

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