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クローモ・ファトゥム ― 色なき運命へ  作者: 霧雨桜花
第一章 : アストラの綻火
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アウロラ・フロンティエ

 夜の色はなお深く、村の空には星の残光がかすかに滲んでいた。


 僕は、戸口の向こうに立つ人物を見た瞬間、言葉を失った。


 星の静謐を纏うような姿。深い蒼衣。目の奥に夜の底を宿した男——彼の名は知らない。でも、わかっていた。この世界で、特別な位置に立つ人なのだと。


 彼の視線が、まっすぐ僕に向けられる。


「君が、異邦の者か」


 問いかけに、僕は返す言葉を見つけられなかった。代わりに、アレセアが一歩前に出た。


「……ドゥレイ殿。神殿の夜、星の階で巫女として立っていた私を、覚えておいででしょうか」


 彼のまなざしがわずかに和らいだ。


「覚えている。夜に星を掲げていた少女だ」


「今の私は“ソティラ”です。誰にも仕えてはいません。ただ、この人の傍にいる」


 その言葉に、彼は目を細めた。そして、再び僕を見る。


「君は何を見た?」


 それは問いではなかった。ほとんど確信に近いものを帯びていた。


 僕は、逃げることができなかった。


「……ほつれていました。空間の奥……何かが、破れそうで……」


「あの綻びを、どうした?」


 沈黙が流れる。僕は少しだけ、目を伏せた。


「何も、してません。……怖くて。触れたら、何かが壊れる気がして」


 その瞬間、アレセアの指が僕の手をそっと握った。あたたかくて、震えを止めるような力だった。


 ドゥレイは目を閉じ、しばし呼吸を整えるように静かに立ち尽くした。


「……それでいい。むやみに触れてはならなかった。だが……」


 彼の声が、ほんのわずか揺れた。


「その綻びは、君にしか見えないものだ。そして、それは確かに“存在してはならないもの”だった」


 僕は何も言えなかった。ただ、彼の言葉の底にある微かな怒りのようなものを感じ取っていた。


 


 そのころ、遥か南。


 かつて封印された塔の前に、ひとつの影が佇んでいた。


 その手には、小さな“鍵”が握られている。


 それは、星々の軌道と暦の断章を象った意匠。銀糸のような装飾が螺旋状に絡み合い、中心には天球儀が精密に彫られている。輪を描く星環には予言詩の文が刻まれ、円周には暦の星図が連なっていた。


 まさに、時を開き、未来を問う者のための鍵。


 封印は解かれてはいない。けれど、“王を継ぐための扉”の前に、その鍵は確かに存在していた。


 そして、その前に立つ者もまた、確かにそこにいた。


 ——カシエル。


 その存在は動き出した。


 ドゥレイが不在となった今、境界を護る最後の均衡が崩れかけていた。


 


 誰かが綻びを縫わなかったことで、いま、ひとつの運命が“解かれ始めている”。


 夜はまだ、明けていない。

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