蛇洗池
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、自分の故郷の景色をぱっと頭に思い浮かべることができるかい?
生まれてから数えきれないほどの日を過ごしたその空間は、人生の記憶の中でも鮮烈に刻み込まれた景色であると思う。
そうであっても、覚えていることにはやはり優先順位があるようでね。久方ぶりに帰ってきて建物が変わっていると「あれ? ここに何があったっけ」と首をかしげたくなるときがある。
そのころの写真なり映像なりがあれば補完することはできるだろうが、都合よく手元にあるとは限らず。思い出そうとするなら、誰かに尋ねることになるだろうね。
他人の言葉。記憶媒体が発達していないころから活用されている、情報収集の方法。
その大切さが遺伝子に染みついているためか、多かれ少なかれ、影響を私たちは受けてしまう。多くの言葉に押されると、自分の持つものに不安を覚えてしまうんだ。
私も少し前に地元へ帰ったとき、妙な体験をしてね。そのときのことを、聞いてみないかい?
久しぶりに戻った故郷は、ひと昔前に比べると道路も建物の数も増していた。
これまで遠回りを強いられていた道まわりに、背骨のようにぶっとい道路が一本通ったことで交通の便はかなりよくなった。
その道に沿って、お店やその駐車場が並んでいくわけで、利便性は増すばかり。しかし、センチな面で見れば昔を知る人々の思い出が、ことごとく畳まれていくことにもなる。
私も実家へ行くまで、車を走らせてある程度見て回ったのだけど……一ヶ所、どうも元の場所の記憶違いがある。
道途中の、ゴルフ屋さんが建っていたところだったな。
1階が壁のない駐車場になっていて、店舗が階段を上がって2階を広々ととっている格好だ。中は確かめていないが、高さ的に3階や4階も店として使っているかもしれない。
――そういえば、ここはでっかい池があったんだよな。なくしちゃったのかな?
蛇洗池。そう小さいころに聞いてね。名前はぼかさせてもらうが。
むかしむかし、この土地神にあたる大蛇が傷をいやすのに使った池との触れ込みで、柵が渡されて、人が簡単に立ち入れないようになっていたはず。
それもお店という俗な部分に負けてしまったのかと思うと、なんだか寂しい気持ちになってくるが、これも時の流れかと家へ車を走らせる。
ところが、帰宅を歓迎してくれた家族と一緒にとる夕飯で、蛇洗池の話題を出すとおかしな空気に。
みな、そのような池の存在を知らないというんだ。そんなバカな、そもそも池の話をしてくれたのはそちらじゃないかと詰め寄るも、かえって変な顔をされる始末。
その後、実家に滞在する期間で、会うことのできた知り合いに蛇洗池のことは尋ねてみたものの、かんばしい答えは返ってこなかったよ。
まるで私一人が、おかしい奴扱いだ。
皆がそういうのなら、私の記憶違いと考えるべきなのだろうが、どうにも納得がいかなかった。
帰宅する前日に、私は車を走らせてくだんのゴルフ屋へ向かう。日曜日の営業時間中だったが、客の入りはほとんどなく、広々とした駐車場へ私は難なく車を停めた。
記憶にある蛇洗池は、このゴルフ屋全体をカバーできるほどに広い。それはまるで、このお店が池にとって代わってしまったかのようなポジション。埋め立てを行ったのだろうが、そのことが誰の口からも漏らされないとは妙なことだ。
私はお店の下の駐車場。そこに敷かれたアスファルトを丹念に調べていく。すでに店が建ってから久しいのだろう。駐車スペースを区切るラインたちはそこかしこが薄れていたし、アスファルトそのものも長年の車の重さに耐えかねてか微妙な凹凸ができている。
それらは他の似たような形態の場所でも見られるが……私はその一角に、ふと水たまりを見つけたんだ。
つま先の浸るのがやっとなくらいの、小さなもの。だがこれはここの天井である2階部分の底から、しずくが垂れてできたのではなさそうだった。
湧き出している。ときおり水面がおのずと泡立っていたんだよ。
――もしや、これが蛇洗池があった痕跡なんじゃ?
車の中にあった軍手を身に着けて戻った私は、その水たまりへおそるおそる手をつけてみたのだけど。
とたん、周囲にあったまばらな人や車の気配が、ぴたりと消えた。音がなくなってしまったんだ。
顔をあげる。私がいるのもまた、ゴルフ屋の駐車場スペースではなくなっている。
視界を上下に二分するのは、黒と白。
上半分の黒色は明かりなき深夜のごとく。眼をこらしてもその先にいかなる影も見いだせない。
下半分は白。こちらは十重、二十重と無数の、そして線がところどころ歪曲した網目模様が走っている。
――ウロコ?
直感的にそう感じた私の身体が、出し抜けにぐらりと揺れる。
尻もちをついた私は、たちまち動く歩道へ身体をつけたような前進感に襲われた。
足元に広がる網目模様が、どんどんと後ろへ吹き飛んでいく様に、この感覚が間違いでないことを実感。しかし勢いは強く、なかなか立ち上がれない。
結果的に滑り続けるよりない私。その黒しか見えなかった眼前に、やがて白い光の筋が持ち上がった。
その顔を見たのはほんのわずかだったが、それは紛れもなく蛇の頭だったよ。
ただし私はおろか、家を丸ごと平然と呑み込むことができるほど大きなものだったがね。
確かにそれがこちらを向き、口からチロリと長く赤い舌を出したとき……私の視界はまた明るさを取り戻す。
見覚えのある景色だったが、先の駐車場ではない。あそこから10キロ以上は離れた我が家の墓地のあるお寺の境内。その入り口部分に私は突っ立っていたんだ。
寝ぼけたり、前後不覚だったりしたままたどり着ける道筋じゃない。あの感覚通りに私は運ばれたのだろう。
なぜあの場所だったのかの理由は定かじゃない。でも、話の大蛇は確かに眠っている。おそらくは地元にいた人々の記憶をいじってでも、無意識の底に。
故郷を離れていたために、私はその影響をあまり受けなかったのかもしれないな。これが警告かなにかはしらないが、いずれまた蛇は姿を現す。
私はそう確信しているんだ。