六
新宿の雑踏が、誠一の周りを無関心に流れていく。待ち合わせ場所は地下街から地上に変わり、受け渡しの相手も増えていった。電車に乗る時間も長くなる。埼玉、千葉、時には神奈川まで。見知らぬ街の名前が、少しずつ見知った街になっていく。
「ちょっと待っててくれる?」
渋谷のカラオケ店の個室。誠一が運んできた封筒を、スーツ姿の男が手早く確認していた。以前なら、中身を見られることはなかった。
「足りない」
男の声に、わずかな苛立ちが混じる。スマートフォンの画面をなぞる指。応答を待つ間、誰も話さない。エアコンの風だけが、不自然な空気を撹拌していた。
田中からの返信を見た男は、誠一に新しい指示を出した。別の場所で、別の封筒を受け取れという内容。終電までの時間が、急に心細く感じられた。
地方都市への移動が増えた。特急列車の指定席に座り、車窓の景色が移り変わるのを見つめる。高層ビルが消え、小さな駅が通り過ぎていく。行き先を告げたタクシーの運転手は、バックミラー越しに誠一の表情を確認している気がした。
「あんた、随分若いねえ」
返事を濁しているうちに、目的地に着く。古びたビジネスホテル。フロントで差し出されたカードキーは、妙に軽かった。
部屋に入ると、机の上に封筒が置かれていた。今度は受け取るだけでなく、中身の確認まで任されている。スマートフォンのカメラで写真を撮り、田中に送る。了解の返信を待つ間、誠一はベッドに腰掛けていた。テレビの音が、隣室から漏れてくる。
報酬は確実に増えていった。しかし、それに比例して、何かが失われていく感覚があった。最初は単なる配達のような気がしていた仕事が、明らかに違う何かに変質していく。そんな実感が、夜の街を歩くたびに強くなっていた。
「上の人が会いたいって」
田中からのメッセージに、画面の位置情報が添付されていた。新宿のオフィス街。高層ビルの谷間に、夕陽が沈もうとしていた。
エレベーターで指定の階に上がる。ドアが開くと、広いオフィスが目に入る。応接室に通された誠一を、初めて見る男が待っていた。背広の上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をまくり上げている。腕には刺青の跡が見える。
「よくやってくれてる」
男は誠一の履歴書に目を通しながら話を続けた。家族構成。学歴。職歴。それらが記された紙の上で、男の指が止まる。
「お父さんは警察官なんだ」
その言葉に、誠一の背筋が凍る。しかし男は、むしろ満足げな表情を浮かべていた。
「これからは、もっと大事な仕事を任せたい」
窓の外では、街の明かりが次々と灯り始めていた。応接室の天井に映る夕陽は、血のように赤く見えた。誠一は答えることができず、ただ自分の膝を見つめていた。そこに落ちる影が、少しずつ濃くなっていくのが分かった。