五
先月の携帯電話料金を支払った時、店員は特に反応を示さなかった。財布の中の新札は、コンビニのレジでも銀行の窓口でも、ごく普通の紙幣としてやり取りされていく。その当たり前さが、誠一の心をより一層複雑なものにしていた。
週に三回。電車に揺られ、見知らぬ街で見知らぬ人と会う。封筒を受け取り、別の場所で渡す。移動時間を含めても半日で終わる仕事。受け取る報酬は、以前のバイトの給料の倍以上になった。
田中との会話は、LINEのやり取りだけになっていた。場所を示す赤いピンと時間。それに対する了解の絵文字。シンプルな情報のやり取りだけで、世界が回り始めていた。
食事の時間が一番辛かった。父が休みの日の食卓。箸を持つ手に感じる重み。茶碗を持ち上げる時の違和感。テレビのニュースで振り込め詐欺の話題が流れる度に、誠一は茶碗に目を落とした。
「最近、仕事は見つかったのか?」
父の声は、いつもより低く、重かった。
「バイト、してる」
答えながら、自分の声が遠くで響くのを感じた。嘘をついているわけではない。確かに仕事はしている。でも。
「どこで?」
箸が止まる。母の視線が、誠一と父の間を行き来する。
「事務の仕事」
茶碗の縁に残った米粒が、妙に鮮明に見えた。父の沈黙が、部屋の空気を重くする。フォークを使う妹の音だけが、時間の流れを主張していた。
「ちゃんとした会社か?」
その言葉に、制服のネクタイの締め方を思い出した。休日でも几帳面に整えられた革靴。巡査部長の階級章。父の世界の輪郭が、急にはっきりと見えた。
「うん」
嘘が、舌の上で溶けていく。
夕方の団地は、誠一の影を長く伸ばしていた。ポケットの中のスマートフォンが震える。新しい待ち合わせ場所。新しい時間。明日も見知らぬ誰かと会う。見知らぬ封筒を受け取る。その封筒の中身が、誰かの人生を狂わせているのかもしれないという考えが、頭をよぎった。
しかし、その考えは長くは続かなかった。財布の中の札束が、そんな思考を優しく覆い隠してくれる。それは毛布のように柔らかく、しかし鉛のように重かった。
部屋に戻ると、机の上の封筒が、今日の分の報酬を主張していた。開けると、いつもと同じ金額。いつもと同じ新札の感触。その「いつも」という言葉に、誠一は小さな震えを覚えた。
枕元で光るスマートフォンの画面に、新しいメッセージが届く。場所を示す赤いピンと時間。誠一は了解の絵文字を送り、画面を暗くした。天井を見上げると、夜の闇の中で、父の制服の影が揺らめいているような気がした。