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標高差  作者: 赤坂九丁目
4/12

目が覚めると、春の朝日が障子を透かしていた。集合ポストに入れられた朝刊が、まだ取りに来る人を待っている。誠一はベッドの上で、スマートフォンの地図を開いた。銀行のマークと赤いピン。見知らぬ駅名。


通勤電車はすでに落ち着きを取り戻していた。サラリーマンの波が引いた車内で、誠一は田中から送られてきた手順書を読み返す。受け取り。移動。受け渡し。言葉にすれば単純な流れ。


指定された駅は、想像していたより寂れていた。改札を出ると、うどん屋の出汁の香りが漂ってくる。交番の前では警官が自転車の防犯登録を確認している。その視線が自分に向けられていないことを確認しながら、誠一は地図の示す路地に入った。


「お待ちしてました」


男は、コンビニのバイトでもしていそうな若さだった。しかし、その目は笑っていない。茶封筒が差し出される。受け取った瞬間、その重みが誠一の心臓を少し早く打たせた。


「確認はしないでください」


風が街路樹を揺らし、若葉のざわめきが響く。


次の駅に向かう途中、電車が地上に出る。車窓の外では、マンションのベランダに干された布団が風に揺れていた。普段と変わらない街の風景。しかし、鞄の中の封筒が、その日常を少しずつ歪めていく。


次の待ち合わせ場所は、オフィス街のはずれにあるカフェだった。注文したアイスコーヒーには口をつけず、誠一は店の外を行き交う人々を眺めていた。スーツ姿の男女、業者の作業着姿、待ち合わせらしいカップル。


突然、隣に座る人がいた。


「確かに受け取りました」


女は、受け取った封筒をハンドバッグにしまいながら、にこやかに話す。営業のような、それでいて何か違和感のある笑顔。代わりに渡された封筒は、軽い。


「ありがとうございました」


そう言って立ち去る後ろ姿は、通りを行く他の人々と何も変わらない。しかし、誠一の心の中で何かが引っかかっていた。仕事。バイト。それらの言葉の意味が、ゆっくりと変質していくような感覚。


最後の場所は、繁華街の古いビルの一室。ドアには「貸会議室」の表示があった。部屋に入ると、昨日会った刺青の男が待っていた。誠一が差し出した封筒は、机の引き出しに素早くしまわれる。


「お疲れ。これ」


渡された封筒には、約束の報酬が入っていた。家に戻る電車の中で、誠一はその重みを何度も確かめた。スマートフォンの画面に、田中からのメッセージが届く。


「どうだった?」


返信の言葉を探しながら、誠一は車窓の外を見つめた。夕暮れが近づき、街が茜色に染まり始めている。団地の最上階の部屋の灯りが、ポツポツと点き始めた頃、誠一は自分の部屋のドアに鍵を差し込んだ。


妹の由美が廊下を通り過ぎていく。塾帰りらしい。目が合った瞬間、由美は何も言わずに自分の部屋に消えた。兄妹の間に流れる沈黙は、以前より少し長くなったように感じた。


誠一は封筒の中身を机の上に広げた。新品の紙幣の感触。それは確かな現実であり、同時に、どこか夢のような非現実さもあった。スマートフォンに新しいメッセージが届く。明日の待ち合わせ場所と時間。新しい地図のピン。赤い印が、春の夜の闇の中で妙に鮮やかに光っていた。

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