三
ガラス張りのファストフード店。誠一は目の前のハンバーガーを見つめたまま、田中の言葉を反芻していた。
「電話は無理そうか?」
窓の外では、スーツ姿のサラリーマンたちが忙しなく行き交う。かつて働いていた店とは別のチェーン店だが、厨房から聞こえてくる音や匂いは同じように思えた。
「でも、大丈夫。お前向きの仕事がある」
トレイの上の携帯電話が、まるで意思を持つように光る。田中が支払った通信料金。再び動き出したネットワークは、その間の通知を吐き出し始めていた。
店内から客足が途絶え始めた頃、田中は具体的な説明を始めた。
「取りに行って、運ぶだけ」
単純な言葉の繰り返し。その合間に差し込まれる「楽な仕事」「いい報酬」という言葉が、誠一の耳に心地よく響く。窓の外では、建物の影が少しずつ形を変えていた。
しばらく後、彼らは地下鉄の駅に向かっていた。切符売り場の前で田中が立ち止まる。
「ほら、こんな感じ」
田中はスマートフォンの画面を見せた。地図アプリには赤いピンが立っている。待ち合わせ場所と時間。受け取りの手順。
「明日からやってみるか?」
地下鉄の車内。誠一は車窓に映る自分の姿を見つめていた。かすかな違和感。それは理解できないほど複雑なものではなかったはずなのに、言葉にすることができない。
駅前の雑居ビル。エレベーターホールの蛍光灯が、午後の陽射しと混ざり合って不自然な明るさを作り出していた。
「ここな」
狭いオフィス。今度は午前中とは違う場所だ。応対した男は白いワイシャツ姿。腕まくりをしていて、左腕に小さな刺青が見える。
「これ、一応書いておいて」
誠一の前に置かれた用紙。アルバイト契約書のように見えるが、よく読むと内容が把握できない。ただ、時給の欄に記された数字の大きさだけは、はっきりと目に入った。
「はい、これ」
渡された封筒が、妙に軽い。
十五時十五分。地下鉄に乗り、事務所を出る。田中が「今日はもういいよ」と言う。差し出された茶封筒には、見学手当という名目で一万円が入っていた。
誠一は自分の駅で降り、地上に出た。十六時を過ぎ、街は放課後の高校生たちで賑わい始めていた。制服姿を見ると、妙な感覚に襲われる。たった一年前は、自分もあの中にいたはずなのに。
公営住宅に戻る途中、コンビニに立ち寄った。支払いを済ませたレジの液晶に、十六時四十分の表示。父の帰りはまだ先だ。
団地の階段を上りながら、誠一は封筒の中身を再び確認した。一万円札は確かにそこにある。しかし、その向こう側にある何かを、意識の端で感じ始めていた。
夕暮れが近づき、団地の影が長く伸びていく。誠一は自室のベッドに横たわり、天井を見上げた。スマートフォンの画面が明るく光り、未読の通知を主張している。その合間に、田中からのメッセージが入る。
「明日、十時な」
添付された地図のピンは、見知らぬ場所を指していた。
誠一は返信することなく、スマートフォンを枕元に置いた。春の夕暮れは、まだ肌寒い。団地の向こうで、誰かが洗濯物を取り込む音が聞こえた。十七時三十分。夜が近づいてくる。