第85話 炎と影
その夜、横になったお藤は怯えていた。
旅芸人の一座の小屋の隅で当てがってもらった夜具を頭から被りたかった。隣ではサヤが寝息を立てている。見ていなければ。
サヤをとりあえず屋敷からは遠ざけた。誰にも見られていないはず。
見られていないはずだ・・・。
しかし、旦那様に謀反の疑いをかけた者は半端者ではないだろう。
奥様はどうなったか。
奥歯が微かに鳴る。唇が渇く。
私がしなければならないことは何だろう。熱ぼったい瞼を無理やり閉じる。
旅立つのだ、サヤと共に。この一座に紛れて。
隠れて逃げるのだ。そう、そうしないとサヤの命の保証はない。
奥様、ごめんなさい。ごめんなさい。私は貴女様を見捨ててサヤ様と・・・・逃げます。
やはり、眠れない。
ふと、お藤はサヤが手習いから持ち帰ってきた包みに目がいった。
起き出して広げてみる。半紙と筆、墨が入っている。
板の間に月明りが差し込む。
「満月か・・・。」
手元は明るかった。
明け方、小屋に風が入り込んだのか、寒さを感じてお藤は目が覚めた。
ほんの少しの自分の温かさによる微睡みの中、サヤの方に手を伸ばす。
夜具の上から少し叩いてみる。すかさず手を突っ込んだ。左、右と手は探る。
いない・・・・サヤがいない!
跳ね起きた。夜具をはぐった。やっぱりいない!
厠か?厠に行くなら自分を遠慮なく起こせときつく言い含めたはず。
風が入ってきた意味が分かった。外に出たな。
まず厠に走った。いなかった。
お藤は走っていた。転げながら走っていた。
屋敷へ。
七つの娘だ。いきなり親と離されて淋しくならない訳がない。
ああ、自分がもっときちんと見ていれば、帯か何かででも括っておけば良かった。
サヤ様も事情は少し理解しているハズ。それならば屋敷に入るの使うのはいつも悪戯に使う裏木戸の小道。そこの茂みの塀は開け閉めできるのだ。お藤は門番に見つからぬよう裏に回り込んだ。
やはり、開いている。ここを通った。確実に。お藤は屋敷の敷地に入った。
やけに、静かだった。
お藤はてっきり見張りの一人や二人、出くわす覚悟をしていた。
しかし、気配がないのだ。酒でも飲んで寝ているのか?
庭に回り込んだ。昨日、屋敷を出る前にはなかったものがその真ん中にあった。
花のツボミ? 白い…花?ともかく大きい。
お藤は感づいた。これは妖か何かの類だ。不用意に近づいてはならない。
そっと、廊下へ移る。
そこには、人が倒れている、きっと見張りの侍だ。おびただしい血の海がある。
お藤は口を袂で押さえた。自分のすべきことは驚き叫ぶことではない。
袂を噛んで、鳴る奥歯の震えをこらえる。
目を凝らす。月明りの廊下に小さな血の足跡がある。ここをすり抜けた。
サヤ様だ。
この行先はご家族の寝室。やはり奥様の元へ行ったんだわ。
お藤は駆けた。
行灯がついている。障子も開いている。そしてすすり泣く声がした。
サヤと母親である奥様が抱き合っている。
「サヤ様っ!あっ!」
奥様の正座する足元には血だまりができている。
月明りの届かぬ奥の襖の向こう。下に八つ、上に二つの赤く光る赤い点がある。
そこから伸びるものがある。お藤は見たことのあるものだが大嫌いなもの。
クモの足だ。
それが、奥様の背に刺さっていた。
ガチガチと不気味な刃を嚙合わせるような音が襖の奥の暗がりに響く。
ーサヤ、サヤかえ?ー
奥様の微かな声がする。もう目が見えていないのかもしれない。
サヤがはっきりとここに居りますると返事をする。
奥様は震える手で帯に手をやると一振りの懐剣を取り出した。
紅い宝石のついた懐剣。
「これっ・・・これがのう。トト様の謀反の証拠なのだと・・・。おかしいよの。こんな高価なもの国中探しても見つからんのに。ここにあったらしいわ。」
母の手は娘の手を探す。娘はしっかり母の手を掴んだ。
母は血に染まる手で娘に懐剣を握らせた。
「でも、母はこの懐剣がここにあって良かったと思います。だって、きっと、きっとご先祖様があなたを護って・・・」
クモの足が奥様を奥へズイッと引き込もうとする。食う気だ。
「奥様っ!」
お藤が駆け寄ろうとしたその時、
サヤが右手に握る懐剣の鞘がひとりでに外れた。
鞘は畳に転がる。
刀身の三倍もあろうかという炎が立ち上がった。
そして、まるで母娘を抱き抱えて守るように周囲にも炎が舞う。
それは、闇に潜む異形に炎が乗り移り、その姿を照らし出す。
クモだ。しかもクモの上に半身の女が乗っている。その口は血まみれだった。
尻には小さな石の花が咲いている。
聖獣の炎は悪しき存在を許さなかった。轟轟と襲いかかる。
火だるまの女郎グモモドキは奥様の背から足を抜く。部屋中に断末魔がコダマする。屋敷にも火が燃え移った。輩はもんどりうって苦しみ、暴れまわり庭に転がり出た。
「サヤさま、奥様をこちらへ。」
お藤は奥様をかかえようとした。
すると、奥様がそっとお藤の手をとる。
それは、長く一緒に過ごした娘にむける感謝のまなざしだった。
「・・・良いのです。ここで、どうせ死ぬならいつも三人で寝るこの場所で死にたい。」
お藤・・・ありがとう、あなたが居てくれて本当に良かったわ。
お藤に逆らえる訳がなかった。
この御方をここで・・・気の済むように。気の済むように。
炎の熱さの中、お藤の涙は乾くことはない。
そして母親は居ずまいを正すと両手を手をついて深々と頭を垂れた。
「どうか・・・娘をよろしくお願いいたします。」
そのまま、こと切れていた。
お藤の目の前の襖には炎が映し出す。
動かなくなった母、すがりつき泣く娘の影の横に、髪の短い女性と大きな虎の影が揺ら揺らと揺れていた。




