第55話 扇と薙刀
火の粉舞う虎成城 奥の奥
ロクロウの刃は、ヨウコには届いていなかった。
ヨウコとロクロウの間にはシロウが立ちふさがっている。
「愛しき者に手を挙げるとは何事ぞっ。・・・しかし。」
ロクロウの刃はシロウの構える刀の前で寸止めになっていた。
「ロクロウ、そなた本気では・・・ないのか?」
そうつぶやきシロウは目を見張った。
頬に一筋の濡れた後を残すロクロウの顔はヨウコと相応の年の爺様だ。
瞬間にして、その刃を引くロクロウ。右袖で顔を覆うとその顔は元の美しい青年であった。
「どうにも今日は相手が悪い。しからば、その赤子だけでも。」
明丸は連れて帰るつもりのようだ。
「それは、出来ぬ相談よ。」
ジカイが左腕で明丸を抱き抱え、虫眼鏡を右手に構える。もう火の手はすぐ後ろまで来ている。
うかうかしていれば火に巻かれかねない。
ロクロウは刀を寝かせて左に陣取る。薙いでジカイの体勢を崩すつもりだ。ジカイは明丸を抱いているので、光線の乱射はできない。直射を避ければ、斬れると踏んだのであろう。
「陽弧。」
あの青年の声がする。
見れば、明丸がヨウコ婆様に手を差し出していた。
婆様が吸い込まれるように、明丸に近づく。
明丸をのぞき込むようにかがんだ。
「つらい思いをしたね。」
いたわりの想いが声音に乗っている。
明丸の目は三つとも開いていた。
「私が少しの間、分けてあげよう。」
明丸は確かにそう言った。
「 百神 銭亀 」
かわいらしい両の手が婆様の頬にそっと触れた。
その両手には瞳がある。そこから、風が流れ出る。
髪留めが外れ、白い髪がその風になびく。
すると、なびく髪は根元から瑠璃色に変わっていく。
深い、深い紫を帯びる青。
女の命たる髪が、その誇りとともに若さと香りを取り戻していく。
かつて、かつてそのたなびく美しい髪のもと、野山を風のように走りまわった、あの健康で見事な四肢も白い肌の艶とともに蘇る。
何者をも恐れぬ、きりりとした釣り目と桜色の唇。
その長いまつ毛には喜びの色が舞い、頬の紅さは悲しみを寄せつけない。
何人もの男達を虜にした艶姿が年をとった背中を弾くように脱ぎ捨てる。
戦乙女の護りに取り巻く風は、若い脈動を受けてさらに尖った。
女神が振り向く。
天巫女とはそなたのことよ。
悲しみを滅せよ。
強くあれ。
そして陽弧は一言、言った。
「このままの姿でならば、存分に旦那様と渡り合えようぞ!」
陽弧は喜び舞うようにロクロウの前に躍り出た。
「さあ、これが最後ならば、旦那様、私だけを見て!」
そう、たった一人で良い。あなただけで良い。・・・あなただけが良い。
戦乙女の護りの切っ先はたった一人を見つめている。




