第121話 家紋と賜り物
虎成城下
「片城さま・・・ご無礼を。」
「構わないよ。」
ユウジは背中の温もりに静かに返事をして瞳を閉じた。
賽の白露、ク海が消え、人の姿を失ったメルの本体。
その内側に溢れるもので、何者もの傷を癒す、癒しの椀。
頭の先から首筋に水のようなものが伝っていくのを感じる。
傷口から湯気が舞う。
特に明丸が最後に何かを投げつけた額が熱い。
口に伝わった雫は淡い酒に紛れて血の味をどこかに感じた。
「今度は内側から・・・」
サヤから椀を受け取るとユウジはグッとその中身を喉に通す。
甘く刺激する酒の広がりが行き過ぎる間に、抱きしめられた・・・と思った。
とても暖かい柔らかい温もりが首筋に巻き付いたかと思うとまるで誰かの体の重さが上半身に乗っかるように熱く足の指の先まで確かに移ろいでいく。
内臓まで達していた打ち身の痛み、体中の刀傷や切り傷その全てが湯気と共に去っていく。
痛みを無理に封じてきたその気合も共に連れ去ったようだ。
体中が不快を拭い去られたことでゆっくり緩んできたことが分かる。
「助かった・・・」
ユウジはふと本音を漏らした。戦場においてだ。
張り詰めた想い。逡巡する頭の中。主君をはじめ明丸も連れ去られた悔しさ。
そして、姉の思惑とは?ステラのいう主君以上の大事とは?
それらをフト一瞬。一瞬忘れてしまった。
それだけの癒しの安堵の力がその椀にはあった。
「サヤ様のお力が無ければ、私は動けもしないのですよ。」
手元の椀にとめどなく満たされる酒に、・・メル・・いやお藤なのか?女性の微笑がふとよぎる。
この酒は・・・深い。とても深い想いが紡いだものなのだろう。
「片城さま・・・そのおでこ・・・」
ユウジは額だけがまだやけに熱いことに気がついた。
「傷跡でも残っているのか?その椀の力でも治っていない?」
サヤはともすれば錦秋というのか・・美しい紅葉色の大きな瞳でのぞき込む。
「いいや、光っちょる。」
「光っちょる?」
「おでこに、三つの輪が光っちょる。」
「三つの輪?」
「うん。左下の輪だけ少し薄いけど・・」
サヤはその辺の棒でその輪の絵を描き始めた。
「これ・・は」
酒で濡れた背に戦慄が手を伸ばした。
ユウジには、その絵の形に見覚えがある。
ないはずがない。
なぜなら・・・
「我が家の家紋だ・・・。」
どういう事だ?
婆様から聞いているのは、この家紋の謂われは遠い遠いご先祖がとある貴人の旅に付き添い護衛をした。その礼として、片城の名と家紋を賜ったのだという。
婆様は言う。
「いいかい、有慈郎や。この家紋の意味はの。三つの金の輪が現す複数の立場、考え、心情、情報が交差する中に真実を見極めそれを選び取る者・・・という意味がある。それがお前に家の紋よ。覚えておきなさい。」
しかし、それがなぜ俺の額で光る?
「サヤ殿・・・本当に光っているのか?」
「うん」
「ユウジよ。確かにそれは片城家の家紋よな。」
家老であるグンカイが言うならば間違いない。俺の額に家紋があるのか、ユウジは認めざるを得ない。
「はて、面妖な。」
チエノスケだけは怪訝な顔をして首をかしげていた。
「そう言うな。」
ユウジはチエノスケらしいなと思いながら、自分の額に右手を伸ばした。
痛くはない。傷はないはずだ。むしろ心地良い熱さ、気力が溢れてくる。
「・・・え?」
ユウジの指先に何かが触れた。・・・固い。
恐る恐るつかみ取る。
「・・・これは皿?」
そう、明丸の銀の皿だ。
「これは・・・あの子の!」
ダメだ。サヤの瞳にはもう涙が溜まっている。
これは、明丸の力の結晶。それをあの子は攫われる刹那に俺に投げつけたのか?
ユウジは思う。
・・・いや、託されたのかもしれない。
「これは・・・賜り物かもしれぬな。」
グンカイがポツリと呟いた。