第114話 石と望み
虎成城下
地面を打つ雨音は聞こえなくなった。幼子を拐かす老獪な瞳も閉じた。
しかし・・・若者の呻きは消えることはなかった。
「若様っ!」ユウジの声は震えた。
「止まらないの!」
なぜ、サヤの口から出た言葉に驚きと恐怖しかなかったのか、ユウジは目の当たりにする。
「メルでも治せないの!」
サヤの悲痛は、何度も何度も溢れ出る癒しの水をかける手が震えていることで分かる。
メルの癒しの聖水でも治せない・・・いや止まらないと言われた傷。
「・・・石化なの・・か?」
右の肩に弾丸は食い込んだらしい。その傷自体はメルは対処できた。
問題はその後だ。
恐らく、恐らくだが弾丸が核になり、そこから石化が始まっている。
「メルがね、頭と心臓の方が石になるのを必死に止めてる。でも、もう右腕の方が・・・。」
シロウは声にならない声をあげる。彼の右腕はもう・・・白く、硬いことが見れば分かる。
神経がその境界で悲鳴をあげるのだ。ありえない断ち切られ方をして。
どんなに痛いのだろう。シロウの全身から汗が噴き出る。
そして、その場にいた全員が、恐怖に腹を掴まれている。地に引き込まれるような重みを感じている。
それは、なぜか。
見慣れているからだ。その石を。
ーアダケモノー
そう・・・アダケモノの体を覆うあの白い石。
彼の右腕はアダケモノと同じモノに成り果てていたのだ。
皆、どうしていいか分からない。
「ここから切る!押さえてください!」
チエノスケが槍帝の孚を震える腕で振り上げた。肩口から切断しようというのだ。
「これ以上、石にさせられぬ!お命をお助けしなければ!」
目を拭った。覚悟を決めたのだ。こうなるとこの男の行動は早い。
「ダメっ!」
サヤがチエノスケに覆いかぶさるようにして押しとどめる。
「どいてくだされ!・・サヤ殿!・・どけっ!」
「まさか!」
グンカイがシロウの着物をたぐり体を確認する。
「若ぁぁっ」
メルが内蔵や肺に石が及ばないように押しとどめていてくれているものの、石は右脇から皮膚を降り、右太ももまで進行していた。石というにはあまりにも早い。
「・・・もう・・良い。」
シロウの朦朧とした意識の奥から振り絞る覚悟が聞こえた。
「グンカイ・・・国家老、諸岩軍魁よ。後の差配を頼む。・・・我が身の終焉により、勇那の国、重家はここにその命脈を・・・断つ。返す返すも・・・不甲斐ない。国を・・・民を守れなんだこと、心から申し訳なく、ここにお詫び・・する。残る家臣は・・・皆、我ら一族に遠慮することなく、思うままに生きよ。」
「若っ!」
「立たせ・・て、くれまいか?」
グンカイとチエノスケとユウジでシロウを抱えて抱き起す。皆、流れ出るものを憚らず、その身を支える。
「我は、・・・座っては死な・・ぬ。この虎成に・・立って・・・死ぬ。」
そして、シロウはゆっくりとサヤにもうメルに働いてもらわなくて良いと左手をゆっくりと振った。
「でも・・・」
「そなたの、優しさ・・は、文字通り、身に・・染みた。・・・ありが、とう。」
青年のいつもどおりの微笑みだった。
サヤは問うた。いつもどおりの気の強い瞳で。これが若に対する人としての礼儀と思った。
「それが、あなた様の望みなのですね?」
「おう・・・そうじゃ。やは・・り、サヤは・・その顔じゃ・・の。」
「承知しました。」
サヤは椀を袂に戻す。メルから雫が涙のように零れた。
「グンカ・・イ。我が首を・・・石になる前に、刎ね・・よ。城を見据えて・・死んでくれるわ。」
チエノスケとユウジがその体を支え、グンカイは鯉口を切った。
「お望みのままに。」そう言葉を添えて。
足も腰も左手も石になった。すでに肺も侵されているだろう。息もできないハズだ。
頭が石にならないのは、この男の単なる意地かもしれない。
「我が名は、重 勇王 統獅郎・・護む。」
「待て!」
止めた者がいる。
明丸だ。
三つ目が開いている。
「諱は待て!」
もう、シロウは声にもならない。
「現太郎が孫よ。そなた、このままで終わる気か?」
もう、首まで白い。
「ク海の栓を抜くのではなかったのか?」
シロウの目つきが変わった。
いや据わったのだ。
この世を狂わしたク海を憎むあの目。ここにきても、その目が変わらなかった。人の世を、海を取り戻したい。それが、この男の真の望み。
「体を失っても、叶える気があるなら・・現太の孫よ。機嫌良う笑うてみよ!」
頭が石に変わってしまう前にとグンカイの刀は煌めく。
マリーは早かった。明丸を乗せ、音より早く動いた。
「ご家老!」ユウジの声が木霊する。
グンカイは首を落とさなかった。
シロウは白い石となった。
ただ、・・・その顔は機嫌良く笑っていた。