第111話 浅葱と蘇芳
「言いぐさが気に食わぬな。我はそなたらがまだ心が通じておるように思うたのだが?」
確かにそうだった。陽弧の恋焦がれる太刀筋、それを受けるロクロウの諦めにも似た顔。
これは、妻の愚痴と文句を延々と聞く夫となんら変わりがないのだ。形が違うだけで。
そして、シロウの記憶の片隅でジカイが話し出す。
ー天巫女には、浅葱の頭と蘇芳の頭とおぼしき者が潜んでいる。ー
シロウには、ある確信があった。
大殿が亡くなり、虎成城のどこかに潜む仇花を探しに出た時。
そう、ナツキの裏切りが分かった時。
婆やは・・・陽弧はこう言った。
「ナツキよ、そなた勇王様側につくのだな?」
怒涛の展開により、後回しにしてきた違和感だった。
勇王側につく、これ自体も意味が分からないが、もし対になる意味があるとすれば、内花姫側があるということになる。
すると、シロウの脳裏にサヤが浮かぶ。川の真ん中に咲く仇花を討つために紅玉の瞳をシロウに貸した理由を訊いたときの言葉だ。
サヤの口から出た内容はこうだった。
あの娘が仇花は斬れる。斬らせてくれと言った。女王が石に苦しめられているから、お救いせねばと言う。・・・だから、討ち取れそうなユウジに紅玉の瞳を託したのだという・・・。
勇王と内花姫。お互いにもつれ合いク海という名の苦しみを広げているのかもしれない神話的な存在。
シロウは思う。この存在と現象を利用している、その影にいる組織があるはずだ。しかも複数。
その中で聞こえてきたがロクロウの言葉・・・陽弧は元、蘇芳党の頭という言葉だ。
武芸に秀で、荒事を得意とする蘇芳党。
その頭が陽弧というのは実は疑っていた。武芸、統率力、知略とも納得ができる。
しかし、元というのはどういうことだ?
「戦乙女の誇りはすでに譲られていたようです。」
シロウは濡れたまつ毛をロクロウに向けた。
ああ、この男しゃべり過ぎだ。普通こういう闇に忍ぶ手合いは絶対にここまで話さない。黙って仕事を終わらせる。
・・・つまりは、俺に気づけということか?
「誰に譲れられたのだ?」
たたずむロクロウが息を吸った時、後ろに控える忍びの男が遮った。
「頭、もうよろしいのでは?」
ロクロウの表情が消え、この雨と同じく冷たく色を失った声で叱る。
「黙っていよ。」
頭という言葉に気分を害したのかもしれない。
ロクロウが浅葱党の頭か・・・。
先ほどの言葉、「夫婦の間には、お互い、ひとつやふたつ、隠し事があるものですよ。」
つまりは、ロクロウと陽弧はお互いの立場を隠して夫婦になっていたのか。
お互い知らなかったのか?いや初めから知っていて一緒になったのだ。そして死んでもそれをお互い明かさない。そういう連中のはずだ。
「戦乙女の誇りは蘇芳の当主にしかなびかぬのですよ。」
それはいつもの朗らかな青年の声に戻っていた。
ここまできてシロウは嫌なことに気づいてしまった。
やはり、この男、しゃべりすぎだ。これは、主君に対する報告に近いのだ。
「・・・兄上方は、皆、死んでしもうたのか?」
シロウは意を決して訊いた。
「御意」
「・・・俺は重家の当主になったのだな。」
「御意」
虎河か彩芭か誰がやったか知らぬが、兄上達は皆、この世には居らぬということか。生き残った重家の最後の男。
このロクロウが先ほどから、いろいろと話すのはシロウが重の殿様になったということでらしい。
ひい御祖父様が、御祖父様とジカイ大叔父上の兄弟のどちらかに重臣である魂座家の長女の陽弧を嫁がせなかったのはこれが理由だ。
諜報にたける浅葱党の頭、片城家。 元々重臣として抱えていた武芸の蘇芳党の頭、魂座家。
きっと、魂座の家があったからこそ、四方を大国に囲まれる勇那の国でも重家は保ってきたのであろう。
ひい御祖父様は、両家の息子と娘を夫婦にすることで、両方の力を取り込もうとした。
これが、重家当主しか知らぬ秘事。例え息子であっても知らされない。
知らせたと同時に仕事の痕跡を残さぬこの二つの家は消え、力を失うだろう。下手をすると自分が闇に葬られる可能性もある。
ジカイ大叔父上でさえ知らず、調査をしていたのだから。
「蘇芳党の頭というものは、女系をもって継承するそうです。」
また、いつもと変わらぬ朝の報告のようにロクロウが事もなげに言う。
ああ武の蘇芳党は虎河側、いや、勇王側についたことになる。
つまりは、現在の当主はあの女だ。