第110話 忍びと隠し事
虎成城下
「見ての・・とおりだ。・・・無様に地に転げておる。」
痛むのであろう。シロウの顔には雨粒とともに苦悶の表情が見える。
「今さら、何しに来たと?」
サヤの声が震える。
「明丸殿を迎えに参上いたしました。」
サヤはイラつきを覚えた。ロクロウの態度は宝引で会った時とまるで変わらぬ優し気なものであったからだ。あなただけ、あの頃のままの気持ちでいるのか?
「話は聞いた。大江殿、我らを最初から欺いていたのか?」
チエノスケの周りに金茶の羽音が浮かび上がる。この重く揺れる音は威嚇の音だ。相当な怒りを含んでいる。
「いえ、これが仕事です故。」
彼の後ろに、数人の影が忍び寄る。石の仮面を被った忍び装束。そしてその色は緑・・・浅葱色で統一されていた。
「この本と銃は、貴様の差し金だな?」
チエノスケを宥めるように、手で制してグンカイがロクロウに訊く。
「そうですね。半分というところでしょうか?」
「キサマッ!」「待てっ!」
チエノスケが槍を構え直すので、忍び装束の者達が一斉に抜刀した。
グンカイがチエノスケを抑える。ロクロウも浅葱色達に手を振り刃を引かせた。
「若い者は血の気が多くて困る。これでは話にならん。」
「ご家老、あなたが言いますか?」
ロクロウが扇で口を隠し笑っている。
「まぁ、そういうな。浅葱党の頭・・・・片城神鹿郎よ。」
ロクロウの表情は変わらない。返って不気味なほどに。
「ふう、気づかれてしまったのなら、・・・確実に死んでもらわなければいけなくなりました。」
主人に茶を用意する時のように、のんびりと穏やかに言葉を紡ぐ。
「ほう、では殺される前に半分という言葉の意味を教えてはくれぬか?冥土の土産とやらに。」
「そうですね、お話しましょう。」
これもまた、茶菓子を用意しましょうというような気楽さだ。
「あの本と銃は彩芭の宝なのですよ。」
やはりな。どこにでも噛んでくるわ。彩芭め。グンカイはため息が出そうになった。
「明丸殿を取り逃がしても、モモに守られる限り、その身に害が及ぶことはない。その守りの固さ故に、ジカイ和尚はモモに託せる宝はモモの身に隠すでしょう。だから、本と拳銃くらいの大きさのハンゲモノを選んで調達しておきました。手の届かぬところに逃げられた時に明丸殿を確保する要員として。」
「ハンゲモノ。まさか実在するとは・・・」
「那岐の彩芭が生み出した技術です。アダケモノと人間の融合。恐ろしい話ですが・・・。」
ロクロウは、まったく様子が変わらない。この男は人間の感情を持ち合わせていないのか?どこかに置き忘れたか?
雨は降り続いている。話も続いていく。
だから、あの少女と少年には耳と尻尾らしきものがあったのか?
しかも子どもだ。それに宝であるということはすでに死んでいる?
「人でなし!」
サヤが思い切りロクロウに向かって石を投げた。
「危ないですよ。人に石を投げてはいけません。」
「人じゃないっ!人じゃないじゃないかっ!」
サヤの手にはもっと大きな石が握られている。
サヤとロクロウの目が合う。しかし、ロクロウはいつものように微笑んだままだ。サヤの背中に恐怖が雨の雫と一緒に流れ落ちる。
冷たさに身震いをする。なんてことだ。
すると、サヤの石を持つ手を抑えながら、シロウがか細い声を出した。
「それで、宝引を利用して我らに近づけてたのか?しかし、ジカイの大叔父上が気づかぬワケがない。」
「気づいていましたよ。」
なに?大叔父上は気づいていて敵を明丸の側に置いていたのか?なぜ?
「ジカイ和尚の目的は暗躍する裏の者をあぶり出すこと。聞いたことがありませぬか?識という名を。四つの鬼で四鬼ともいいますが。」
聞いたことはある。しかしまるで尾を掴めない伝説的な忍びの集団だ。
三つの党とそれを取りまとめ指示するひとつの家があると聞く。
武芸に秀で、荒事を得意とする蘇芳党。
民の間に潜み、諜報にかけては他の追随を許さぬ浅葱党。
技術に深い造形があり、他の武器などの流通の裏にいるという縹党
そして、三つの党の宗家である澄美家。
三つの党は澄美家によってのみ繋がり、お互いに交流は持たないという噂だ。
「ジカイ和尚は、明丸殿の近くに宝を置くことで、蠢く四鬼を誘き出すことを狙ったようです。あくまで和尚自身が生きていたらという前提ですが。そして安全面の措置も取っていた。」
「安全面?」そうだ。最大の目標の明丸の側にいるのだ。人質に取られては元も子もなくなる。
「モモですよ。百神と呼ばれるその神亀は、絶大なる防御と同時に完璧な結界でもある。その主たる明丸殿の寝床の窪みは、ク海の波、あらゆる感情を遮断する神聖な場所。宝は人間の姿には成れぬのです。サヤ殿、人間のあなたが、本と銃を取り出してくれたのではないかな?」
さすが、ジカイ大叔父上だ。ギリギリなことをする。しかも肝心なことを言わない。普通、鉄砲なんてものが子どもの寝床に入っていたら、周りの者はすぐ取り出してしまうだろうに。でも、まぁ自分も生きて守るつもりだったのだろうが。
「大叔父上は四鬼とやらを誘き出して、何を知りたかったのだろうなぁ?」
シロウはワザと問いを振る。答えは言わないだろう。そこには、虎河や彩芭などの大名の思惑とともに四鬼と呼ばれる者達の行動理念があるはずだからだ。
「私は明丸殿を連れて虎河に戻ります。」
ロクロウ?何故、今そこを強調する?黙って我らを殺してしまえばいいのに・・・。
シロウは思う。ロクロウは一流の仕事をする。間諜として、一流・・・そういうことならば・・・。
グンカイは月の荒鷲をユウジに貸し出しているし、チエノスケの槍だけでは、ロクロウとこの人数じゃ無理だ。せめて、あいつが帰ってくるまでは・・・。
「しかし、ロクロウ、何故、川の仇花退治の時に命を狙われ、毒矢に当てられたのだ?」
もう少し時が要る。
「仮にも主従の間柄だったのです。最後にお答えしましょう。私は虎河の命を受けてあなた様を誘導しておりましたが、あの状況で動いていたのは虎河だけではありません。五百の国の咬延の忍びを放っていました。あの時、襲ってきた賊はその者らです。あわよくば、私もどさくさに紛れて始末するよう指示されていたのでしょう。サヤ殿のおかげで命拾いしました。感謝しております。おかげで信用していただけました。」
サヤはプイと横を向いてしまった。目に一杯の涙を貯めて。
「最後に聞く。婆やを、陽弧はどうした?お前の妻を・・・。」
婆様がいない。ロクロウだけがここにいるということは、決着が着いたのか?
「ああ、我妻、・・・元、蘇芳党の頭ですか・・・。」
元・・・だと?まだ頭目の座にあるとシロウは予想していたのが。
「夫婦の間には、お互い、ひとつやふたつ、隠し事があるものですよ。」
ロクロウ、表情が崩れぬな。やはり。お前は一流だよ。シロウはそう思う。右肩がひどく痛む。