8話 亀裂
「いやァ取り乱してしまってすまないねェ。改めて、私はジュディ・アドルネシア。この第三研究室を買い取って、ここで好き勝手やっている変人さァ」
ジュディは禍々しい椅子の手すりに足を乗せ、煤けた様な声を部屋に響かせた。
部屋の中には至る所に不気味な物品が所狭しと並べられ、気絶しているリリーナは(おそらく)生贄用の祭壇に寝かされている。
「それで……どうしてこんな所に?」
「あァ? 簡単な話、ここが色んな物品の保管に優れているからさ」
「物品……この不気味なも」
「触るんじゃあない!」
俺は手を触れようとしたよく分からないミニ丸太から、ゆっくりと手を引いた。
ジュディは大きくため息をつき、椅子の上で仰け反った。
「ここの物品は大抵が呪物だァ。知らないで触れると、死んだ方がマシと思えるような出来事が起こるよォ?」
「またまた、呪いなんてものが存在しているわけ」
「キミが壊したあの箱ォ……何か事情があって壊したんじゃないかい? 例えば、この世のモノとは思えない出来事が起きた。とか」
「そういえば廊下がループし」
次の瞬間、ジュディが俺を押し倒した。
髪のカーテンの中で、ジュディの狂気に染まった顔がよく見えた。
「どんなことが起きた!? 時間は!? 体調は!? 周囲の様子は!? 全て教えてくれ……!」
「うぇ……わぁ……」
「おォッとすまない。呪物の事になると、途端に取り乱す癖を姉にもやめろと言われていたんだった……まァ、楽にしたまえ」
ジュディは俺から手を離し、もう一度椅子に座り直した。
今まで猫背気味だったり椅子に座ったりで分からなかったが、大きい。俺よりも少し大きいくらいだから、二メートル程だろうか。この部屋の高さギリギリで、生活しづらそうに感じる。
「それで……どんな事が起きた?」
「あ、あぁ。廊下がループした」
「……それだけェ?」
「あぁ」
「……時間はどれくらい?」
「……さぁ」
「……体調の変化などは!?」
「いや、別に」
「キミはとことん役に立たないなァ! もっと有意義な情報はないのかい!?」
ジュディは椅子の背もたれをバシバシと叩いて、俺に抗議する。
そんな事を言われても、別にそこまで細かい事を気にして生きているわけではない。
「あ、そういえば……箱が開いていたな」
「開いていたァ……? となると、この呪物の噂は本当かァ?」
「噂……?」
「あァ、とある街に存在する一軒家から見つかった呪物でなァ。一家は一部屋に集まって、餓死していたそう……という噂だ」
「どうして餓死したんだ?」
「あァ? キミ怪談話とかに呼ばれないタイプだなァ!? ……この呪物が部屋をループさせ、一家は部屋から出られず餓死したと言う話だ」
ジュディはうんざりと目をぐるりと回し、何かを手帳に書き込んで机の上に放り投げた。
「うぅん……ここは……」
「あぁ、リリーナ。目が覚めたか」
「……」
リリーナは周囲を見渡し、それから涙目で俺の方を見た。
「何この空間……」
掠れ、消え入りそうな声で俺に問う。
俺はリリーナを怖がらせない様な言い方が思い浮かばず、ただ首を振った。
「あァ! キミの寝ていた所は邪神信仰のカルト宗教が使っていた、生贄をバラバラにするための台座だよォ! 私も普段からそこで寝ているんだが、寝心地は最悪で体も痛くなるしでクソッタレだよねェ?」
「……」
下唇を噛み締めながら、リリーナはジュディを睨みつけた。
ジュディは何も分からない様な表情を浮かべ、俺の顔を見た。
おそらく精一杯気を使って、場を和ませようとした発言なのだろう。俺は静かにため息をつき、自分の座っていた席をリリーナに譲った。
「それで……何をここで研究しているんだ?」
「それはもちろん、呪物さァ! 呪物はいいぞォ! そんじょそこらの魔術師程度なら、完封できる強さを秘めている! ……値段が張るのと、デメリットがある呪物程強力って言う点がデメリットかねェ」
「……異端魔術に似ている?」
「あァ!? キミを実験台にしてやろうかァ!? 呪物はそんな簡単なものじゃないんだ、もっと複雑で、暗くて、ジメジメして、死の匂いがいっぱいこびりついていてだねェ……! ……そうだよ世間からは異端魔術扱いサ」
ジュディは諦めた様に脱力し、椅子にへばりついた。
俺の師匠は異端魔術を極め、その全てを俺に授けてくれた。だが、師匠すら知らない異端魔術が存在するのだろうか。
そんな事を考えていると、リリーナが俺のローブの端を引っ張った。
「も、もう箱も届けたし、帰ろう……?」
「それもそうだな。それじゃあジュディ、俺達は帰るよ」
「あァ、もう帰るのかい? もうすぐ昼休みも終わるし、ちょうどいい時間だろう。あァそれと、キュラー先生に会ったら感謝の言葉を伝えておいてくれよ」
「あぁ、わかった」
俺とリリーナはジュディに見送られながら、第三研究室を後にした。
「次の授業はなんだったかな」
「えっと、確か……あれ、教科書どこやったっけ」
「……中庭か?」
「あ。そうだ、ベンチに置きっぱなしだ! ごめん、先行ってて!」
「待て。リリーナが走るより、俺が走った方が速い」
「え、でも……」
俺はリリーナが何か言う前に走り出し、距離を離した。リリーナは全部自分でどうにかしようとするが、実力や運動神経が足りていない所がある。友人としては、そんな所をカバーするのは役割だろう。
教室に向かう生徒達を避けつつ、俺は中庭にたどり着いた。
中庭にはもう人はおらず、ベンチの上に教科書がポツンと置いてある。
「……」
「……!」
すると、中庭の隅の方から声が聞こえてきた。
何かを言い争っている様だ。俺は気配を消し、ゆっくりとその声の方に忍び寄る。
中庭のツタで塞がれた窓の向こう側で、何かを話している。
片方は白色のローブで三年だと分かるが、もう一人が陰に隠れて見えない。
二人の間にあるテーブルには、へスターが持っていた月光草が二輪活けられている。
「それで月光草は?」
「いえ、まだ犯人特定には至っていません」
「ふぅん……まぁいい、早めに捕まえて取り返すように。でないとお前だけ道標無しで、【帰らずの森】に行く事になるぞ」
(【帰らずの森】……?)
「……誰だ!」
少し体重をかけてしまったため、ツタが一本ちぎれてしまい音を立ててしまった。
俺は息を殺し、壁に身を隠す。
窓の側に足音が近づいてくる。
紫色のローブがチラリと見え、その顔に光が当たってはっきりと見える。
(っ! フーリン……!?)
「……気のせいか?」
フーリンはカーテンを閉め、窓際から離れていった。
中からの声はカーテンによって遮られ、何も聞こえなくなってしまった。
食堂でコテンパンにされた思い出からか、少し苦手意識が湧いている。
こわばる体をほぐし、俺は教室に向かって走り出した。
色々と、へスターに聞くこともできた事だしな。
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「ええっと、どうしたんすか? 急に呼び出して」
「私もいるって事は、週末の話じゃないかな……」
放課後なので、人のいない中庭。そのベンチにリリーナとヘスターを座らせ、俺は立ったままヘスターを見下ろす。
「ヘスター。何か言う事があるんじゃないか?」
「え……なんすかねぇ……?」
「【帰らずの森】って言うのは、なんだ?」
「あ〜……どこでその話を?」
理解できていないリリーナは、俺とヘスターを交互に見る。
「【帰らずの森】って言うのは、例の石碑があると言われている森っす」
「えぇ!? 私てっきりハイキングみたいなものだと思ってたのに……!」
「それは平和的すぎるな。だが、俺も正直ただの森だと思っていた」
「そ、それはお二人の勘違いじゃないっすか!?」
へスターは立ちあがろうとしたが、その額を指で押さえつけベンチに座らせる。
「勝手な行動をするな。今の自分の立場を自覚しろ」
「……」
「俺達を騙して【帰らずの森】に連れて行こうとしていた。まずはこれについての弁明を聞こうか」
「弁明も何も……伝え忘れていただけっす」
「意図的に、伝え忘れたのか?」
「……」
「では次だ。【帰らずの森】とは、どういう所だ?」
「一度入ったら、迷って二度と出て来れないと言われている森っす……でも噂っすよ! 事実、毎年度胸試しで行って帰ってくる生徒もいますし!」
へスターは必死に弁明し、立ちあがろうとする。
俺はもう一度押さえ、ヘスターをベンチに座らせた。
「リリーナ、どう思う」
「……そんな風に呼ばれてるって事は、何かあるって事だろうし。それを黙ってたって事だから……」
「あぁ、信用は出来ないな」
「そんな……誤解っすよ! 今からでもやり直す方法があるはずっす! ……なんでそんな冷たい目をしてるんですか?」
へスターは落ち着き払った様子で立ち上がった。
俺は止めず、ヘスターはフラフラと直立した。
「俺達は行かない、これだけは絶対だ。そして他言する気もない、行くなら勝手に行ってくれ」
「あ……はは。やっぱ俺、ダメなんすね……」
へスターはそう言い残し、中庭から沈んだ足取りで去っていった。
「……なんだか可哀想だな」
「リリーナ、騙してた奴に情けをかけるな。いつか痛い目を見るぞ」
「……うん」
俺達は重たい空気の中、夕暮れ空を見ながら解散した。
俺は自分の部屋に帰った後も、自分の行いが正しかったのかの自問自答が止まなかった。
そして翌日。
へスターは学校に来なかった。
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