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宵の節・伏魔 其之弐『不動の技』

 今回は凰鵡が顕醒から新たな技を教わります。

 かなり小難しい話が出ます。



※本作にはグロテスク及び性的表現が含まれます

※また宗教的なニュアンスを想起する語句がありますが、本作はいかなる宗教および団体とも関係はありません。

  不動の技


   2日目 朝


     Side Himeno



 気がつけば、窓の外が明るくなっていた。

 夢は見なかった。こんなにも安らかな目覚めはいつぶりだろう。柔らかな布団と枕に埋もれて、また瞼が重くなる。

 だが隣を見た妃乃の意識は、一瞬で覚醒した。


 折り畳んだ布団の上で、凰鵡が座禅を組んでいた。眼を(つむ)り、音が聞こえないくらい静かな呼吸を繰り返している。

 手は胸の前で組み、人差し指を立てていた。仏教なんかでいう(いん)というやつだろうか。どういう意味なのか妃乃は知らない。

 単なる真似事の瞑想ではないらしい。眺めているうちに、妃乃は空気の圧のようなものを感じ始めていた。

 ざわ……胸騒ぎを覚えて、布団に鼻下まで埋まった。


「あ、おはようございます!」


 音で気づいた凰鵡が、こちらを向いて元気よく挨拶した。


「うん……おはよう……」


 眼を逸らし、恐る恐る応える。


「お加減、大丈夫です? ちゃんと眠れました?」


 四つん這いになって、ズイッとこちらの顔を覗き込んでくる。


「大丈夫です……ッ、ちゃんと眠れた」


「よかったです。朝ご飯までにはまだ一時間くらいありますけど、よかったら支部のなかを案内しましょうか?」


 時計を見ると、まだ六時だった。

 昨夜は遅かったのに、ずいぶんと早起きをしてしまったものだ(自分はその前から寝ていたようなものだが)。

 どうしようかな、と考えたときだった。


 コンコン、と部屋の戸がノックされた。

 凰鵡が飛び跳ねるように入り口へと向かう。

 そして、おもむろに訊ねた。


「兄さんの好きなおやつは?」


「ところてーん!」


 戸の向こうから維の明るい声が答えた。


「おはようございます維さん!」


 扉を開けて凰鵡は元気よく挨拶する。

 今のは合い言葉だったのだろうか。妃乃は面食らう。


「おは! 妃乃さんもちゃんと寝れたみたいね」


 凰鵡とはまた違う、太陽そのもののような陽気さで維は手を振ってくる。

 服装は昨夜と打って変わって、タンクトップにスキニーのジャージパンツ。これから筋トレでもするのだろうか。


「どうも。おはようございます」


「顕醒が道場で朝練してるんだけど──」


 維が凰鵡に向けていった。


「あんたに来て欲しいってさ」


「兄さんが⁈ 行きます!」


 即答だった。

 ずき……と、妃乃の胸の奥が痛んだ。


「あ、でも……」


 申し訳なさげに凰鵡がこちらを振り向く。


「およ? デートの先約あった?」


「え? いや、その……」


 デートと聞いて凰鵡の顔が途端に赤くなる。その慌てぶりで、妃乃の胸は少し癒えた。

 もちろん自分も、熱くした顔を二人から逸らしているのだが。


「私も朝練、見に行っていいですか? みなさんのこと、知りたいので」


 助け船を出すと、凰鵡が安堵したような表情を見せた。


「ええ、もちろんいいわ。はい、これ二人の着替え」


 維が風呂敷包みを凰鵡に渡した。


「妃乃さんのは動きやすい服を選ばせてもらったけど、趣味じゃなかったらごめんね」


「いろいろ、ありがとうございます」


 布団から出て正座し、妃乃は頭を下げた。


「よしてよして。そう(かしこ)まられるの苦手なのよ。じゃ、アタシは廊下で待ってるから」


 苦笑いを浮かべながら、維は戸を閉じて消えた。


「ボクのはジャージですね。じゃぁこれが──あ」


 風呂敷を広げて中身を確認していた凰鵡が、ふたたび顔を赤くして天井を仰いだ。


「すみません。こっちが、妃乃さんのです」


 眼を瞑りながら着替えを差し出してくる。

 ()(さら)な、ありふれたデザインのブラとショーツ。


「ボクは、お風呂場で着替えてきますから」


 そう言って、凰鵡は部屋に備え付けのバスルームへ、そそくさと入っていった。

 女同士だから気にすることはないのに、と妃乃は少し残念に思う。

 けれど一人称も「ボク」だし、ボーイッシュな面が強いのかもしれない。

 まぁそういう人もいるよね、と妃乃は自分の疑問を受け流す。

 あるいは本当に男の子だったとしたら──そう考えても怖気(おぞけ)は走らない。昨夜、医務室で抱き締められたことを思い出しても、それは同じだった。

 性欲も征服欲もない、優しい抱擁だった。幼さゆえだろうか。なんにせよ、あれは男に出来るハグではない。


 そんなことを考えながら、服を着替えた。

 ニットと、オーバーオール──下着も含め、サイズはぴったりだった。あるていど幅の利く服だが、何処で測られたのだろう。

 まさか医務室で寝ている間に? そういえば、検査着もいつのまにか着せられていた。

 ぞッ──悪寒が妃乃を包む。

 邪推はいけない。あの人は医者だ。検査のために患者の肌を見ることもある。それに、着替えさせたのは維かもしれない。

 そう、自分に言い聞かせる。


「妃乃さん、どうですか?」


 バスルームから凰鵡が訊ねてくる。

 その声を聴くと、心が楽になる。


「うん、終わったよ」


 まだ少し残る悪寒をこらえて、妃乃は応えた。

 出てきた凰鵡の姿を見て、思わずフフッと笑みをこぼした。

 ジャージ姿の凰鵡は本当に、その辺にいる中学生のようだった。

 そして、はたと思い至った。

 今日はたしか平日。凰鵡は学校に行かなくていいのだろうか。

 しかし、それは自分もおなじか。

 ……自分は、どこの学校に通っているのだろう。




     Side Ormu



 道場と呼ばれる板張りの広間は、支部の地下一階にある。同フロアには数種類のトレーニングルームが併設(へいせつ)されており、ダンベルやマシーンはもちろん、部屋によってはサンドバッグや木人も置かれている。

 じつは大浴場もこの階の別棟にあって、構成員達がふたつの意味で汗を流してゆけるというわけだ。

 凰鵡が道場に入ったときには、顕醒は広間の中央にたたずみ、印を組んでいた。

 さきほど凰鵡が組んでいたのとおなじ、不動明王(ふどうみょうおう)の印だ。


 凰鵡らの流派は、不動明王を信仰していた修験道一派の流れを汲むと言われている。もっとも、縁起録が存在しないため起源は不確かで、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)も大昔から受け継がれてきたと伝えられている程度だ。

 流派としては非常に謎が多く、凰鵡が知る限り、その使い手も世界で三人しかいない。

 兄と、自分と、自分達の師匠だ。

 正式な流派名も名乗っておらず、様々な武術スタイルや所属が混在する衆内では、凰鵡たちはおおむね「不動の者」と呼ばれている。


「おはようございます兄さ……」


 顕醒に駆け寄ろうとした凰鵡は、半分近づいたところで足を止めた。

 兄の様子が普通ではなかった──正確には、兄の周囲が。

 ある場所を境に、熱波が渦を巻いていた。踏み込んだ足が、入り込んだ顔が、真夏の太陽に灼かれるようにジリジリと痛む。

 練気の余波だと、すぐに感じた。

 だが、こんなにも大きくて強いものは感じたことがない。

 あらためて、凰鵡は兄を凄いと思った。

 そして生まれて初めて、顕醒という男を怖いと感じた。

 もし、これがまるごと気弾になって、誰かに放たれたなら…………

 不意に熱気が消えた──というよりは、スゥッと、すべてが主に吸収された。

 印を合掌で閉じ、顕醒は深く呼吸する。

 そして凰鵡のほうを見ると、何ごともなかったかのように軽くうなずいた。

 凰鵡の心は(うつつ)に戻り、自分が汗まみれになっていることに気づいた。


「あ、おはようございます」


 額をぬぐいながら凰鵡が挨拶し直すと、顕醒ももう一度うなずく。

 相変わらずの無口だが、見慣れた兄の姿だ。


「顕醒、凰鵡に教えることがあるんでしょ? アタシと手合わせする時間も残してよ」


 背後から維の声がする。

 振り向くと、妃乃と並んで部屋の隅に座り込んでいた。


「ボクに? 新しい技ですかッ?」


 また顕醒はうなずく。

 途端に凰鵡は眼を輝かせた。

 立場上こそ兄弟子の顕醒だが、その実は師同然である。本来の師から学んだのは基礎格闘術と理念のみで、あとはずっと兄を師と仰ぎ続けている。


「これを持て」


 そう言うと、顕醒は帯に挿していた倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)を差し出す。


「はい。こうでいいですか?」


 渡された宝剣をしっかりと握りしめる。

 それと同時に、忘れていた疑問が甦った。

 妖種達が合体したとき、顕醒は即座に倶利伽羅竜王で──どこへ行ったかも分からないくらい遠くへと叩き飛ばされた剣で──仕留めた。

 だが、いくら兄といえど宝剣を探す余裕はなかったはずだし、そうした素振りもなかった。


「すみません。質問していいですか?」


 顕醒がうなずいたので、凰鵡は件の謎を投げた。


「そうだ。私は拾っていない」


 凰鵡の頭のなかにクエスチョンマークが乱舞する。


「倶利伽羅竜王は剣士の念に応じて、気の刃を生み出す法具。お前にはそう教えていたな」


「はい」


「念に応えるということは、意志を持っているということだ」


「え、生きてる……んですか?」


 凰鵡は眼を円くして。竜頭の金剛杵(ヴァジュラ)を見つめた。

 ずしり、と宝剣が重さを増したように感じる。


「明確な魂を宿しているか否かは私にも判らない。みずから念を送ってくることはなく、ただこちらの念に応えるだけだ。だが、その繋がりは時に言葉よりも強い。どれほど離れていようと、だ」


 顕醒は一歩さがり、手を胸の前にかざした。


「えっ?」


 凰鵡は声を上げていた。

 自分の手の中にあった倶利伽羅竜王が、吸い込まれるように顕醒の手に納まったのだ。

 手品? 見えない速度で取った? いや、兄はそんな冗談をやる人ではない。それに自分の知る限り、念動力者(サイ)でもない。

 ならば、本当に倶利伽羅竜王が飛んだのか。


「やってみろ」


 目の前で起こったことを整理する間もなく、兄はその場で宝剣を差し出してみせる。


(ええ、そんないきなり……?)


 唐突に実践と言われて凰鵡は怖じける。宝剣への認識がたった今ひっくり返されたばかりだというのに。


「気負うことはない。刃を出せる時点で、お前は剣に認められている。あとは、お前自身の観念の問題だ」


 凰鵡の気持ちを読んだかのように、顕醒が(さと)す。


「剣が……わかりました。やってみます」


 向こうが認めてくれているなら脈がある──現金だなと思いつつ、「出来る」と自分に言い聞かせて、凰鵡は兄がそうしたように手を伸ばす。


(おん)……倶利伽羅竜王、ボクのところへ……!)


 刃を出すときのように強く念じる。

 だが、宝剣が凰鵡の想いに応える気配はない。


「命じるな。触れるんだ」


「触れる?」


「相手に、自分の思い通りに動いてもらおうと思わないことだ」


 またも脳内でクエンチョンマークが踊り狂ったが、凰鵡は気持ちを改め、倶利伽羅竜王に念を飛ばした──今度はゆるやかに。


(倶利伽羅竜王? 聞こえる?)


 そっと訊ねた。

 だが、それでも剣は動かない。

 やはり自分では駄目なのか。

 諦めて手を下ろした。


「凰鵡、念を飛ばすな」


「ええ?」


 凰鵡は兄が何を言っているのか分からなかった。


「でもさっき、念で繋がってるって……」


「飛ばさずに、繋がるんだ。会話のキャッチボールとは違う。念の繋がりとは、(たる)むことも、張りつめることもない糸のようなものだ。話しかけることと聴くことの区別はなく、自分と相手の距離も意味をなくす」


「心をひとつにする、ってことですか?」


「短絡的な言い方をすればな。相手に己を顕示(けんじ)しながら、同時に(ゆだ)ねろ」


「それは、あの……矛盾してませんか?」


「そうだ。だがそこに囚われると、出来なくなる」


 ごくり……と凰鵡は唾を呑んだ。

 出来ないと思ってしまうと出来ない。念の初歩だ。


「よし……やります!」


 心を新たに、凰鵡はふたたび剣へと手をかざした。

 だが、念は投げない。

 細い、一本の糸をイメージし、その先端に〝自分〟という存在を乗せる。あまりに弱々しくて、すぐに落ちてしまいそうだ。

 それを相手に向かって、そっと差し出してみる。

 これが、ボクなんだけど、どうかな……?

 そんなふうに、おずおずと、相手が触れてくれるのを待つ。

 すると、向こうからも糸のようなものが、おそるおそる伸びてくるのを感じた。

 長い時間をかけてから、ふわり、と糸の先端が触れ合う。


(──ッ⁈)


 その瞬間、繋がった糸が真っ直ぐになった。だが決して張り詰めはしない。

 そして、それを伝うように、宝剣が凰鵡の手へと収まった。


(出来た……⁈)


 凰鵡は目の前の出来事が信じられないように、宝剣をまじまじと見つめた──無論、出来ると信じたからこそ出来たのだろうが。

 ふと、肩に顕醒の掌が添えられた。

 物事を説明する以外には言葉足らずな兄が、自分を褒めてくれるときの所作だった。

 が、その嬉しさは一瞬で吹っ飛んだ。


「凰鵡、今回の任務の間、倶利伽羅竜王をお前に預ける」


「任務⁈」


 思わず大声でオウム返しにしてしまった。


「詳細は朝食のあと、零子さんの部屋で伝える。ご苦労だった。ひと休みしていろ」


「は、はいッ」


 勢いよく返事はしたものの、休める気がしない。今日限りで家に帰されるものとばかり思っていたところに、任務の通達である。

 宝剣をジャージのポケットに突っ込み、部屋の隅で見守っていた妃乃達のもとへ向かう。


「やるじゃん」


 入れ違いに歩いてきた維が笑顔で頭をつついてきた。

 ふふ、と凰鵡は思わず口角を上げてしまう。


「維さんも頑張ってください」


「まぁた、生意気言っちゃってぇ」


 白い歯を見せて笑い、維は顕醒のほうへ向かった。


「凰鵡ちゃん凄いね。あれ、サイコキネシスっていうやつ?」


 妃乃の隣に並ぶと、さっそく質問が飛んできた。


「え? ああ、えっと……そうじゃないんですけど、この剣と心を通じ合わせたら、飛んで来てくれるんです」


「え? じゃぁ、その剣、生きてるんだ」


「みたいです。ボクも今日初めて知りました」


「そうなんだ……剣と心が通じるなら、人同士も通じ合えるのかな?」


「え?」


「ううん、独り言。ねぇ、維さんと顕醒さんは、やっぱり凰鵡ちゃんより強いの?」


「兄さん達に比べたら、ボクなんかザコです」


「ええ、それは言い過ぎじゃ……」


「本当ですよ。ほら、見ててください」


 凰鵡の視線の先では、件の二人が間を空けて相対していた。


「神通力なし。急所攻撃なし。それ以外はノールール。おっけぃ?」


 維の提案に、顕醒がうなずく。

 ドン──ッ!

 一瞬だった。フロアもろとも道場が震え、顕醒の掌が維を突き飛ばしていた。


(速い……!)


 凰鵡は息を呑む。

 何度見ても、二人の動きには目が追いつかない。

 仕掛けたのは維のほうが先だ。雲脚(うんきゃく)を使って顕醒の懐に飛び込んだのは見えた。鉄筋コンクリートの地下室を震わせたのも、ゼロ距離から攻撃に移るさいの維の踏鳴(ふみなり)だ。

 もっとも、それですら事が終わってから思い返して分かる程度の見切り。実際に相対して避けられる自信はない。

 踏鳴から維が何をしようとしたのかは見えなかったし、気が付けば兄の掌打が決まっていた。


 兄のことだ、維の攻撃が当たる前に迎撃したのだろう。

 練気と並んで不動に伝わる、もうひとつの絶技だ。いっさいの回避を捨て、相手の動きに合わせた反撃で倒すのだ。

 理屈は凰鵡でも分かる。攻撃する瞬間には誰しも無防備な箇所が生まれる。そこに相手よりも速く、そして的確な反撃を決めればいい。攻防一体というわけだ。

 だが言うは簡単。実際にマスターするには、どれだけの動体視力や反射神経が必要なのだろう。

 兄によれば、反射力や筋力によるスピードだけで修得出来るものではないらしい。例によって方法はまだ教えてもらっていないが、あの正確無比な動きを見ると、まさか予知能力を使っているのでは、と疑ってしまう。


「くっそーぃ! また突破出来なかったーぁ!」


 床に転がったまま維が叫んだ。

 言葉とは裏腹、その顔はどこか嬉しそうだ。

 兄と逢うたびに、こうして手合わせを挑んでは倒されるその姿を、凰鵡は何度も目にしてきた。

 圧倒的な実力差を分かっていながら、ああやって素直に挑みかかってゆける彼女を、凰鵡は羨ましいと感じる。そして同時に、兄にあそこまでの技を引き出させる力が今の自分にはないことが悔しい。

 もっと強くなって、兄に正面から臨むことが出来たら、自分も維のようになれるだろうか。


「おはようございます」


 そのとき、零子が道場に入ってきた。


「おはようございます!」


 心のモヤモヤを吹き飛ばすように、凰鵡は元気よく挨拶を返す。妃乃は声量を控えめにしておなじ言葉で続き、維は起き上がって「おすっ!」と礼をした。顕醒は静かに、深く頭を下げた。


「みなさん、御疲れ様です。朝ご飯の用意ができましたよ」


「今日はなんですか?」


 凰鵡がメニューを訊いた。


「皆さんのこのあとの都合もありますし、食べやすいよう、サンドイッチにしていただきました」


「やった」


 思わずガッツポーズを決めた。

 サンドイッチ、カレーライス、ハンバーグ、スパゲッティ、オムライス。子供っぽいと言われようが、レストランの定番メニューが凰鵡の大好物だ。

 途端に、お腹がグゥゥと派手に鳴った。

 そんな凰鵡に微笑みかけてから、零子はふっと真顔に戻って顕醒を見た。

 見られたほうは、黙って小さくうなずいただけだった。




     Side Ohtori



 一瞬、自分がどこにいるか分からなかった。

 自宅のソファだ。最近では職場に泊まり込むのが常態化しているせいで、家の内装すら忘れかけている。

 帰宅してからシャワーは浴びたので、昨日の仕事着のまま、という無様な寝姿は曝していない(それでも半裸だが)。


「おう起きたか」


 ダイニングに皿を運んでいた息子が声をかけてきた。


「テキトーだけど飯作った。食うか?」


 親に対してなんちゅう口の聞き方だと、普通の人間なら思うのだろうか。

 親子なのだから口調が自分に似るのは当然か。自分も昔はこうだった。


「食うわ。さんきゅー」


 大欠伸をしながら起き上がる。トースト、ハムエッグ、トマトの切り身。高校生のくせに朝からこれくらい作れたら上出来だと思う。もっとも、朝食をしっかり食べる習慣は父でなく母譲りだ。身についているのは、幼いころに死に別れたせいかもしれない。

 親ひとり子ひとりだというのに、自分は仕事で家を空けることが多い。そんなだから、案件が溜まっているにもかかわらず、支部長から「今日は帰りなさい」と無体を言われてしまうのだ。

 分かっている。少しでも息子のそばにいろという、彼女の気遣いだ。


 今回の事件はかなりヤバい。なにせ万事独行の鬼不動が自分を補佐に指名しているくらいだ。昨夜の殺人が関係しているのは間違いない。

 おおよその情報は零子から聞いていた。不死級の妖種の群れ、象頭人身の巨大な影、天風鳴夜と名乗った謎の男、そいつが奪ったであろう《邪願塔》…………

 たったひとつでも上級の闘者を派遣するレベルの駒が、四つもある。

 だが、連中はまだ盤上の〝点〟に過ぎない。

 もっとも重要なのは、すべてを繋ぐ〝線〟──それを探し出すのが自分の役目だ。

 トーストをかじりだしたところで、テーブルに置いていた業務用のスマホが鳴った。

 大鳥は反射的にそれを取って、通話を開いていた。


「どうした? いや、家だ」


 相手の声が息子に聞こえている気がして、受話口をグッと耳に押さえつける。

 聞くうちに、眉間に深い皺が刻まれてゆく。


「すまん、行かねぇと」


 通話を切るや、中途半端に歯形の残ったトーストを放り出して立ち上がった。

 寝室に駆け込み、大急ぎで着替えた。


「やっぱ、もらってくわ」


 ダイニングに戻ったところで、ハムエッグをトーストの上に乗せ、無理矢理ふたつ折りにしてサンドする。

 そして中身がはみ出さぬよう、しっかりと咥えたまま家を飛び出した。


「無理して帰って来んなよ」


 出際に聞こえた息子の声に返事をする余裕はなかった。




     Side Ormu



 建物の総面積に比べると、支部の食堂は案外と小さい。利用者は多いときでも十人を超えない。

 というのも、顕醒ら闘者をはじめとする実働員のほとんどは、各々が本拠を別に持っており、日頃からここで食事を摂るのが零子ら数名の支部管理者しかいないからだ。

 しかし内装にはこだわりが見られ、ソファ付きボックス席や、窓に面したスツール席などもあって、カフェや休憩所としても充分に利用出来るようになっている。


「おいしい……!」


 クラブハウスサンドを食んだ妃乃が目を輝かせた。


「これ、ここで作ってるの?」


「らしいですよ。ソースが独特製法みたいで、他では味わえないんです。ボク大好きッ」


 いっぱしの料理レポーターになった気分で凰鵡はほがらかに答えた。

 維を加えた三人でボックス席に掛け、大皿に盛られたサンドイッチの群れをみんなで切り崩してゆく。ちなみに唯はさきほどの薄着の上に、凰鵡とおなじデザインのジャージを重ね着している。


「へぇー、こんな美味しいのをいつも食べられるなんて、凰鵡ちゃん達のこと、ちょっと羨ましくなるな」


「いつも、ってワケじゃないけどね」


 凰鵡は早くも三個目のタマゴサンドに手を伸ばしている。実働員なら一日二食まで無料でいただけるため、食べ盛りの凰鵡にとってはここもお気に入り場所のひとつだ。

 ふと、その視線が自分達の席を離れ、窓際のスツールへと飛んだ。

 一人、黙々と食べる顕醒の背中だ。妃乃に配慮して席を別けたのだ。

 ちなみに、零子は一人ぶんのセットを事務室に持ち帰っていた。部屋を長く離れられないのだそうだ。


「顕醒ぇー、ちゃんと食べてるー?」


 と、いきなり維が席を立って絡みに行った。


「あんた、相変わらずサンド食べるのが世界いち似合わないわねぇ。アタシが食べさせたほうがいいんじゃない? ほら、あーん」


 顕醒の皿からひとつ奪い取って食べさせようとする。言いたい放題のやりたい放題である。

 が、やられたほうは完全に無視して別のを食べた。

 すると、口を開けた瞬間を狙って維が突っ込んでくる。

 かたや、顕醒も上半身だけの素早い身のこなしでそれをかわす。


「照れないでよ」


「御馳走様です」


 自分が取ったのを食べきると、顕醒は手を合わせて立ち上がった。

 まだいくつか残った皿を手にすると、凰鵡達のテーブルまでやってきて、そっと置いた。


「兄さん、いいんですか?」


 弟の問いに、顕醒はうなずく。


「ありがとうございます!」


 降ってわいたサンドイッチ増量キャンペーンに凰鵡は眼を輝かせる。

 顕醒はもう一度うなずくと、テーブルを離れた。


「修練場に戻んの?」


 維の問いには無言のまま、厨房へつづくカウンターに「ありがとうございました」と礼を言ってから、別のソファ席に腰をおろした。

 そして、眠るように眼を瞑った。


「あ、まぁーた自分ひとりの世界に入ったな……邪魔しちゃろ。あ、ごちそーさまー」


 そう言うと、維も手を合わせて顕醒のもとへ向かった。

 隣にドカッと座ると、頬をつついたり、長い髪を三つ編みにしていったり、猫の鳴き真似をしながら太腿にじゃれついたりと、やはりやりたい放題だ。


「維さんと顕醒さんって、仲いいの?」


 妃乃が囁き声で凰鵡に訊ねる。

 無理もない。衆のなかでさえ「あいつら本当に付き合ってんの?」と言われる二人だ。

 よく知らない者からは、維が顕醒につきまとっているだけにしか見えない。


「うん。付き合ってる……からね」


 答えた途端、ぐっ、と胸が締め付けられる。


「え、付き合ってるんだ? そうなんだ……」


 複雑そうな表情で妃乃はサンドイッチを食む。

 が、しばらくすると、また訊いた。


「顕醒さんってどんな人なの?」


 また、凰鵡の胸がつらくなる。

 妃乃も兄のことが気になるのだろうか。


「真面目で、強い人。それに……」


 妃乃の顔を見ずに答えた。


「それに?」


「……優しい」


「そう。でも、私は凰鵡ちゃんの方が優しいと思う」


 凰鵡はフッと目眩を覚えた。


「……ありがとう」


 そして今さらながら、妃乃と対等の口調で話している自分に気づく。

 いつの間にこうなったのかは思い出せないが、心地よかった。

 周囲が年上だらけの凰鵡には、友達のように言葉を交わせる相手がほとんどいない。


 一人、親しみを込めて「ダチ」と呼んでくれた人はいた。しかし、彼は凰鵡のことを忘れてしまった。一般人であるがために、妖種に関わるすべての記憶を消されたのだ。

 そのことを思い出すたび、凰鵡の胸の奥からは、哀しみが湧き上がる。

 こうして仲良くなれた妃乃もまた、事件が解決すれば…………


次回…………伏魔 其之参『邪願の塔』

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