表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

奇の節・闇夜 其之弐『凰雛の嘴』

 今作では更新手間数削減のため、適性文字数よりも、小節の区切りを優先して更新しております。そのため本部分の文字数は8,000程度です。

 今部分は、メイン主人公凰鵡にスポットの当たった、おおむねバトル回となっております。



※本作にはグロテスク及び性的表現が含まれます。

※また宗教的なニュアンスを想起する語句がありますが、本作はいかなる宗教および団体とも関係はありません。

   凰雛の嘴


    Side Ormu



(これは……なに? なん、なの……?)


 凰鵡は立ちすくんだ。

 全身の毛穴が一斉に脂汗を噴き、パーカーの内側がジットリと暑くなる。それでいて腹の底は氷を飲み込んだように冷えていた。

 通り魔? 儀式? 私刑(リンチ)? 状況がまったくわからない。

 わかるのは辺り一面が血の海、肉の原になっているということ。そして、その真ん中には服をはだけられた女の子と、彼女を取り囲む、まったくおなじ顔の女、女、女────


「お前たち! これ以上、人に(あだ)を成すなら容赦できない! けど、やむを得ない理由があるなら話し合いたい! どうする⁈」


 いつでも相手を迎え撃てるように構え、凰鵡は叫んだ。

 警告と、交渉の提案──衆で徹底されている手順だ。もっとも、凰鵡ひとりで妖種と相対したことはないため、兄の見よう見まねである。

 そしてアッサリと無視された。 


 たちまち、ふたつの影が凰鵡に襲いかかった。

 いけない──凰鵡はギリギリで死を振り切った。

 赤く染まった指がパーカーの脇腹を引き裂き、布きれが宙に舞った。

 この指が、人をバラバラにしたのか。一見なんの変哲もない女の手を見ながら、凰鵡は息を呑む。

 後ろに跳び、距離を取る。

 二人組が追撃してくる。


「はいやぁ!」


 それを迎え撃って振り回された足の裏が、女の片割れの顔面を薙ぎ払った。

 クリーンヒット──喰らった女の身体はバットで打たれたボールのように吹っ飛び、そのままもう一人に激突。二人は手足を絡めて地面を転がっていった。

 凰鵡のローリングソバットだった。その小柄な体躯から出たとは思えない威力である。

 が、女達はすぐさま起き上がった。

 蹴られた頭は左半分をグシャグシャに陥没させ、さらに一回転してから真横に折れ曲がっていた。車にでも轢かれたのかというありさまだ。


 それが──ギュッと──音を鳴らして、一瞬で治った。

 ありえない光景だ。普通ならパニックを起こしそうなものだが、凰鵡は苦々しげに顔をしかめ、「くっ」と唸っただけだった。


 女が人間ではないことは、最初から分かっていた。

 魔物、怪物、妖怪、悪鬼──古今東西さまざまな名で語られてきた存在だが、凰鵡達はそれらを〝妖種(ようしゅ)〟と呼んでいる。〝表の世界の生態系に属さない種〟という意味だ。


(だめだ、ボクひとりじゃ……!)


 早くも凰鵡の闘志が萎える。


(ごめんなさい……兄さん)


 震える心の奥で、この場にいない兄に土下座した。


(許可なく、これをお借りします!)


 パーカーのなかに手を入れ、内側に隠し持っていたものを取り出した。

 一見すると、密教で用いられる法具、金剛杵(ヴァジュラ)である。しかし一端がたしかに金剛杵であるのに対し、もう一端は竜の頭を(かたど)っていた。


(おん)……宝剣、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)! ボクに力を!)


 握りしめた金剛杵に念を籠める。

 すると──どのような原理か──竜の顎が開き、喉の奥から光が伸びた。

 それは六〇センチほどの長さに留まり、暗闇のなかに煌々(こうこう)と輝く。

 光の剣である。

 凰鵡はそれを青眼に構えた。


 女達が猛然と迫ってくる。

 その動きに反応して、凰鵡は自分からも距離を詰め、躊躇なく剣を振った。

 スゥッと、光が闇に閃く。

 女達が体勢を崩し、地面を滑っていった。

 そのあとを追うように右脚と左脚が一本ずつ、ゴロゴロと転がってゆき、光に包まれて消えた。

 倶利伽羅竜王と呼ばれた剣の、恐るべき斬れ味だ。

 だが、輪切りになった腿からは一滴の血も流れ出ない。それどころか骨と肉の境目すらない。身体構造が人間とまったく異なる証だ。


「いやぁ……ぁッ!」


 少女の叫びに、凰鵡はハッとして眼を向ける。

 飛び込んできた二人に気を取られている間にも、儀式は再開されていた。

 血の(さかずき)が少女の唇にあてがわれる。

 凰鵡は剣とは逆の手をぐっと握りしめ、人差し指と中指を立てた。


(おん)! 撃てる……ボクは、撃てる!)


 二本指に強く念じ、手裏剣を投げるように振り抜いた。

 バンッ──少女の目の前で、火花のように小さな光が爆ぜた。

 杯が吹き飛び、血が地面にぶちまけられた。

 それは、凰鵡が想像力(イマジネーション)によって作りだした、光る小石のようなものだった。

 あるいは〝気の弾丸〟と言ってしまうほうが分かりやすいかもしれない。強い念によって半実体化した精神力の塊だ。


(やった!)


 思わず喜ぶ凰鵡。師と兄のもとで必死に修練を積んだこの技を、今日初めて実戦で使い、成功させたのだ。

 だが、その次に来る危険にまでは想像が及んでいなかった。

 儀式を台無しにした不届き者を生かして帰すなとばかりに、女達が総攻撃を開始したのだ。


 その数に、たちまち凰鵡は気圧された。

 血まみれの手が次々に延びてくる。避けるたびに、鉄と(あぶら)の匂いが鼻をついた。

 囲まれまいと走りながら、倶利伽羅竜王で反撃する。だが、焦りで狙いが定まらない。


(このままじゃ──あッ⁈)


 消耗戦を強いられていると感じた途端、凰鵡はドッと地面に倒れていた。受け身を取る間もなく、小さな鼻が土に埋まる。舗装された道だったら折れていた。

 足を掴まれたのだ。ついさっき左脚を斬った女だ。


「ぅぁあ……ッ!」


 細腕からは想像もつかない握力に骨肉が(きし)み、凰鵡は苦痛で顔を歪める。

 (はか)られた──敵群の動きは、この生きたトラバサミに自分を誘い込むためものだったのだ。

 足を振って仰向けになりながら振りほどこうとするが、手は離れない。

 ならばと腕を上げ、剣の(きっさき)を拘束者へと向ける。

 だが、追いついた女達がその手を払った。

 宝剣が凰鵡から離れ、光を失って茂みの陰へと消えた。


 しまった、と思う間もなく、群がってきた手が凰鵡の身体を大の字に広げた。

 危機感を覚えて凰鵡は手足に力を込める。

 遅かった。拘束している女達が獲物の四肢を両手で(ひね)った。

 捻った、とひと口に言うが、人間の身体をやすやすと引き裂ける力である。


 ──みしぃ。


「うあぁァッ!」


 肘と膝、そして口が悲鳴を放つ。

 折れてはいない。だが関節がやられた。

 歯を食いしばって痛みに耐えながら、それ以上やられまいと抵抗する。

 目を開けば、星の見えない空を背景に、女達の顔がずらりと連なって自分を取り囲んでいた。

 女の指が胸に触れ、その先端が──ズブッと──埋まる。


「ああーッ!」


 今度こそ、凰鵡は死を感じた。


(いやだ……兄さんッ!)


 文字通り胸を刺す激痛。

 その時だった。

 フッ──と、指を突き立てた女が突然、光になった。

 そして花火のように──だが静かに──爆ぜて消えた。


(え、これ……ッ!)


 突然のことに驚きつつも、凰鵡は胸の奥が熱くなるのを感じた。

 女達が一斉に手を離して、四方八方に飛び退く。

 その一人に、影が躍りかかった。


「おりゃぁ!」


 砲弾のような跳び蹴りが腰にきまった。

 ドウッ──鈍い炸裂音を響かせて、裸の胴体が真っ二つに割れた。凰鵡のキックとは比べものにならない速さと威力だ。


(ゆい)さん⁈」


 救援の主に、凰鵡は思わず声を上げた(ただし、疑問符を添えて)。

 その声に応えるように、維は凰鵡のそばへ降り立つ。


「どこで油売ってるのかと思ったら、逆に喧嘩買ってるとはね。お小遣い足りてる?」


「いけない! あの人を!」


 維の冗談をさえぎって、凰鵡は茂みの向こうを指す。


「え⁈ うそ!」


 その方向を見た維の吊り目が円くなる。


「やめて! 放して!」


 全裸の女ふたりに左右から取り押さえられている、白いブラウスの少女だった。

 連れ去る気か──すぐさまそちらへ走ろうとする。

 しかし、駆け出した維を二条の光が追い越し、女達を直撃した。

 たちまち少女の左右で光が爆ぜた。


(やっぱり!)


 凰鵡は確信し、光が飛んできた方角に目を向ける。

 長い髪を揺らしながら、顕醒(けんせい)がゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。


「兄さん!」


 目頭が熱くなる。

 先ほど自分を救ってくれた一発と、いまの二発の光は、やはり兄の気弾だった。

 ただ、同じ技でも、凰鵡のものとは天と地の差がある。


 《内破(ないは)》という絶技を兄はマスターしていた。気を質量体にしてぶつけるだけでなく、目標の体内に吸収させ内部から爆発させる技だ。

 凰鵡の気弾が石ころなら、顕醒のそれは回避も防御も出来ないミサイルである。


「うげっ、こいつまだ生きてる!」


 維が嫌そうな声を上げた。

 その目の先では、キックで真っ二つにされたはずの女が、腕と脚をジタバタと動かしていた。

 まるでミミズ、と凰鵡が思った途端、左右から飛び込んできた別の女達がその上半身と下半身を抱え、互いに頭から衝突した。

 自爆──ではなかった。まるで粘土をぶつけ合ったかのように、三人の身体がグニャリと混ざり合ったのだ。

 グネグネと(うごめ)きながら、その肉の塊はやがて、人間を解体して繋ぎ合わせたような、巨大な妖種へと生まれ変わった。

 三つの顔、六本の腕、六つの乳房。脚は四本しかないが、それは飛び込んできた二人が、凰鵡に片脚を斬られた者達だからだ。

 人を玩具にしたような姿に、凰鵡は吐き気をもよおす。色んな妖種を目にしてきたが、人の形を中途半端に崩されたときの(おぞ)ましさには、いまだ慣れることがない。


 だが今回の不快感は、またたく間に消えた。

 光の刃が真上から妖種を串刺しにしていた。

 紛れもなく、凰鵡がなくした倶利伽羅竜王の光──そして剣を握るのは、妖種の頭を足下(そっか)に掛けた顕醒。


(はやい!)


 凰鵡の目が、今日いちばん円くなる。

 兄の動きがまったく見えなかった。

 しかも妖種を貫く光の刀身は、二メートルを超えている。凰鵡が出した刃の三倍以上だ。

 スッと、刃が竜の顎に吸い込まれる。

 顕醒が飛び降りると、妖種の群体は光になって消えた。


 それを最後に、公園はいつもの夜の静けさを取り戻した。

 あたりを見回した顕醒が、地面にへたり込んだ少女のもとへと歩み寄る。


「ひ……」


 だが、少女は助けてくれたはずの男に怯え、後退(あとずさ)る。

 足を止めた顕醒の肩に、ポンッと維が手を置いた。


「あんたツラが怖すぎンのよ。ここはアタシに任せて、凰鵡見たげて」


 そういう維も強面(こわもて)ではいい勝負だ。

 軽い溜め息を漏らして、顕醒は少女に背を向けた。一瞬、維と眼を合わせ、凰鵡のもとへと向かう。


「たいへんだったわね。もう大丈夫。アタシ達はあなたの味方よ」


 維はしゃがんで目線を少女に合わせ、優しく微笑みかけた。

 顕醒も弟のそばに膝を突いた。

 凰鵡はなんとか起き上がろうとしたが、関節が痛み、ままならない。


「動くな」


 兄の静かな声が降る。

 大きくて硬い指が、凰鵡の首の後ろに触れる。

 グッと(うなじ)を握られ、凰鵡は一瞬顔をしかめる。

 だが、その直後に感じたのは、身体のなかを駆け巡ってゆく温かさだった。

 ぬくもりの流れに沿って、身体の痛みが退いてゆく。胸の出血もいつのまにか止まっていた。


 《内破》と対を成す顕醒の絶技、《内功(ないこう)》だった。体内に気を流して治癒力を活性化させ、傷を沈静化させたのだ。それも、相手の患部に直接触れることなく、頸椎を刺激するだけで。

 気を用いて、あるときは敵を一瞬で葬り、あるときは怪我人を癒やす。

 凰鵡の兄、顕醒こそはこの活殺自在の技を極めた、衆でも──否、世界でも稀なる存在だった。


「ありがとうございます、兄さん。ごめんなさい!」


 動けるようになるや、凰鵡は勢いよく土下座した。


「まっすぐ合流しろっていう言いつけを守らず、お預かりした倶利伽羅竜王まで無断で使って……結局ひとりじゃ、なんにも出来ませんでした……」


 グスグスと鼻をすする音が混じる。

 そんな弟の肩を、顕醒は掌でポンポンと優しく叩いた。


「ご苦労だった」


 掛ける言葉も少ない。

 それでも、凰鵡はようやく泥まみれの(そで)で涙を拭いながら立ち上がった。


「ありがとうございます」


「だが」


「は、はいッ」


 兄の逆接に、思わず気をつけの姿勢を取る。


「危険を感じたのなら、確証がなくともそう伝えろ。あれでは不明瞭だ」


「すみません」


 顕醒の言いたいことが凰鵡にはわかる。

 〝あれ〟とは、胸騒ぎを感じたときに打ったメールだ。

 そこには『ちょっと遅れます』としか書いていなかった。実際のところ凰鵡は危険を察知したわけではないのだが。


「あの、ひょっとしてボクのせいで」


 そのとき、凰鵡の言葉をさえぎって、顕醒の懐からダカダカと賑やかなヘヴィロックが流れた。メールの話をしていたところに湧いた着信音。類は友を呼ぶと言うべきか。

 顕醒の趣味ではない。いまの服装に合うようにと、維が勝手に設定したものだ。ちなみに凰鵡のスマホからは流行りのアニメソングが流れる。


「はい」


 発信先を確認して顕醒は電話に出た。


「……そうでしたか。申し訳ありません、地下にいたもので」


 謝ってはいるが、眉ひとつ動かない。表情がないという点では、さっきまで戦っていた女の妖種とそう変わらない。


「わかりました。維をそちらへ向かわせます」


 しかし、なおも会話は続いた。凰鵡からはよく聞こえないが、どうやら顕醒の意向に先方が難色を示しているらしい。


「呼んだ?」


 気がつくと話中の人物が隣にいた。襲われていた少女もいる。維のジャケットを借りているのは、ブラウスのボタンが取られてしまったからだ。

  改めて少女をよく見ると、背も歳も自分より上だ。大学生ぐらいだろうか。自分からは口に出して〝少女〟と形容できそうにない。

 少し落ち着きを取り戻したようだが、重たげに下りた(まぶた)に疲れが見える。


 見るからに普通の女の子だ。妖種達はどういう理由で彼女を狙ったのだろう。

 霊力が高いから? たしかに、彼女からは一般の人とは違う気配を感じる。

 肉体の力を体力というのに対して、魂の強さをあらわす霊力は、妖種達にとっては最上の餌となる。体と魂が繋がっているように、霊力は肉体にも遍在しているため、ヒトを捕食する妖種も珍しくない。


「大鳥さんから、下見の要請だ」


 維に応える顕醒の声で、凰鵡の意識は現実に戻った。

 胸がグッと()めつけられる。

 また、誰かが妖種の犠牲になったのだ。

 衆の符牒(ふちょう)で、下見とは〝死体(・・)()る〟という意味だ。誰が言い出したか知らないが、これほど笑えない駄洒落もそうない。

 そしてもうひとつ、思い出が凰鵡の心を切なくさせる。大鳥の名を聞くたび、半年前に経験したつらい別れが甦るのだ。


「そう。そっちはあんたが行ったげて。アタシはこの子を連れて支部に戻ってるわ」


 この子、と言われた少女は顕醒の目を露骨に避けて、維の後ろへと隠れた。

 うろうろと落ち着きなく泳ぐ視線が、凰鵡とかち合う。

 そのまま数秒、見つめ合うと、少女はうつむき、動かなくなった。

 その様子を見て、顕醒は維にうなずいた。


「了解しました。そちらには私が行きます」


 大鳥にそう言うとスマホを切った。


「凰鵡も支部で待機していろ」


「はい。お気をつけて」


「気を抜くな」


「え?」


「顕醒、あとは任せて」


 なにか言おうとしたのを維にさえぎられ、顕醒はまたうなずく。

 そして、フッと姿を消した。

 走っていったのだが、あまりにも速く、そして静かだった。

 《雲脚(うんきゃく)》という駿足の術と、気配の完全消去を同時に行っている。雲脚は凰鵡にも使えるが、あと何年修練を積めばあの域に達せるのか想像もつかない。


「ほんじゃ、アタシらも行こっか」


 スマホでどこかにメールを送信しながら維が言った。


「はい。あ、待って、その前に」


 凰鵡は血みどろの現場へ向かって、手を合わせた。

 遺体はすぐに衆の処理班が来て回収してゆくだろう。だから、その前に謝っておきたかった。


(助けられなくて、ごめんなさい)


 自分ひとりでは少女も救えなかったのだから、これは(おご)りだ。だが、もっと早く来ていれば、という後悔はどうしてもつきまとう。

 どういう人達だったかは知らないが、こんな死に方をしていい人などいない。そう凰鵡は信じている。

 そんな凰鵡を維は黙って見守り、少女は重たげな視線を地に落とした。

 ほどなくして三人はその場を離れた。

 少女は足取りがおぼつかなかったため、維が背負うことにした。混乱と緊張で疲れたのだろう。話しかけても反応は(かんば)しくないが、顕醒に見せたような拒絶は示さなかった。

 むしろ凰鵡に対しては、たびたび視線を送りつつ、眼が合えばそそくさと逸らすのを繰り返していた。


(やっぱり、匂うかな……?)


 凰鵡はパーカーの汚れを気にする。妖種達に握られて付いたものだ。地面に押さえつけられたときに、あちらこちらを触られているので、全身に渡っている。

 血もキツいが、とくに脂の匂いは時間が経つほどにひどくなり、しかも落ちにくい。


「兄さんと維さんは、地下鉄を調べてたんですよね? どうしてここに?」


 維に向けられた問いに、少女がハッと息を飲み、目を見開く。

 だが、そのことに凰鵡は気づかなかった。


「うーん、ちょっとややこしいから、その話はあとでね」


 振った話題を軽くいなされてしまい、凰鵡はしょんぼりする。


「それより凰鵡、あんた顕醒がなんで気を抜くなって言ったか、わかる?」


「え? あ……わかりません」


「あのストリップガールズとは別に、こっちを観てる奴がいたわ。かなり離れてて、正体は掴めなかったけど」


 ぞ……っと、得体の知れない冷たさが、凰鵡の背筋を撫でた。

 普通の人の気配なら、未熟者の自分でもわかる。だが、兄や維でかろうじて感じられたというのなら、ただ者ではない。

 そんな奴が監視? あの惨事を? なんのために?


「そいつは今も?」


「顕醒の方に行ったわ」


「え……」


「どっちに来るか判んなかったし、承知の上で別行動にしたんだけど、まぁ顕醒なら大丈夫なんじゃない?」


「……そうですね」


「ほかの都合もいろいろあったけど、でもねぇ」


 だはぁー、と維は大きな溜め息を吐く。


「もうちょっと、あいつと一緒にいたかったなぁ」


 突然ゆるんだ緊張感に、凰鵡は苦笑を漏らした。


「あとで合流するって言ってたじゃないですか」


「あ、そうか。えー、でも支部ででしょ。いかにも仕事って感じでヤだわぁ」


「さっきまでのも、お仕事じゃなかったんですか?」


「あんた最近言うようになったわね」


「すみません」


「いいのよ」


 などという話をしている間に、維の背中では少女が静かに寝息を立てていた。

 やがて公園の出口が見えてきた。その向こうの車道では、一台の車がハザードを点滅させて駐まっている。維のメールで衆の支部から回されたものだった。


 これでやっと、ひと息つける。死の危機から解放されたことに、凰鵡は安堵する。

 自分に、重大な見落としがあったことにも気付かず…………


次回…………闇夜 其之参『巨獣の影』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ