零の節・Prologue
本作は『降魔戦線』シリーズ(https://ncode.syosetu.com/s8577g/)の第2作となっております。
また、本サイトに投稿するものは、予め完成させた原稿から、明らかに成人向けと思われる描写・表現、またそれ以外にもいくつかの描写や場面をそぎ落とした【ライト版】となっております(原版については、なんらかの形での〝販売による発表〟を予定しております)。
Side ???
シュッ──空気が裂けた。
ゴッ──ドッ────板張りの壁に激突した〝それ〟が、床に落ちてゴロリと転がる。
人間の頭だった。スキンヘッドの男。眼に生気があれば、なかなかに威厳のある面構えだっただろう。
その表情を、赤が塗りつぶす。
血を振りまきながら、黒い袈裟を着た胴体が、ドォッとそばに崩れ落ちた。
死んだのは僧侶だった。
「貴様、人ではないな!」
死者の仲間とひと目で分かる、同じ頭と服をした男が叫んだ。声が夜半の堂内に不気味に反響する。
「いかにも」
問われた青年が答えた。
その声音でなければ女と見紛う、妖精郷から抜け出してきたかのような美丈夫だ。
長い銀髪は膝丈までまっすぐに伸び、白のローブが美貌の神秘性を助長している。眉間に光る銀の大粒はビンディか、それとも白毫か。
だが僧侶に「人ではない」と言わしめたのは、その貌ではない。
動きである。
たったいま死んだ男は、青年がひと振りした銀髪に、首を断たれたのだ。
「御同輩をこのようにしてしまったうえで申し上げるのは、いささか恐縮ですが……」
慇懃だが嘲りを含んだ口調。人を食ったような、という言い回しがよく似合う。
もっとも、比喩ではなく実際に人を食いそうな狂気が、この青年からは感じられる。
「こちらに戦意はありません。あるものさえ貸していただけば、早々に退散いたします」
「あるもの?」
僧侶が訊くと、美男子は口角をにいっと吊り上げた。艶然にして面妖。見る者を不安に落とし入れながらも虜にする、そんな笑みだ。
「この寺院所蔵の秘宝、《成願塔》を」
僧侶が息を飲む。
「いえ、今では《邪願塔》と呼ばれてるんでしたか。いずれにせよ、ですが」
「断わったら?」
その瞬間、僧侶の頭が胴体にさよならを告げた。
「残念ながら、こうなります」
床に転がった生首を悲しげに見下ろして、青年は答える。
と、今度は一転して、投げキッスをした。
違った。指先に導かれて、唇の間から絹糸のようなものが何本もスルスルと出てきた。
それはどんどんと伸びながら宙を泳ぎ、僧侶の首の断面に繋がった。
生首がフワッと、青年の顔の高さに持ち上がる。
「《邪願塔》は、どちらに?」
糸束を垂らす唇が、首に問う。
「……本尊の……須弥壇のなか……」
僧侶の生首が言葉を発した。
意識ある者の顔ではない。青年の口から出た糸に操られているのだ。奇怪な腹話術である。
「壇の裏に……隠し扉が……」
「どうも、ご丁寧に」
青年の口に糸が戻る。
ゴトッ──生首はふたたび床に落ち、それっきり動かなかった。
──二ヶ月後──
その少女を、何人もの人間が目撃していた。
午後九時の地下鉄。ホームに並ぶ人の数も少なくはない。
やがて列車が入ってくる。この駅を通過する特急だ。
車輌が今にもホームを貫こうという瞬間、群衆の間を吹き抜ける風ように、白いブラウスの影がフワッと飛び出た。
人々が「あ」と心で叫んだときには、少女はレールと車体の狭間に消えていた。
猛烈なブレーキ音を立てて列車が止まる。
駅員が転げ落ちるように線路へと降りた。彼もまた、その瞬間をはっきり見ていた。
(なんでやった──なんでまだ若いのに──なんでここで──なんで──⁈)
非難まじりの「なんで」が頭のなかをぐるぐると回る。少女が飛び込んだ場所へ近づくにつれて、それは罵倒へと変わった。
(マジ面倒なことしやがってクソアマ!)
列車の轢死体がどういうものかは聞いている。本当は見たくなどない。だが起こった以上は確認しなければならない。
意を決して、車輛の底を覗き込んだ。
「え……?」
彼は眼を疑った。
鉄道での人身事故においては、犠牲者の身体は十中八九、車輪に巻き込まれバラバラに引き裂かれる。今回などはまさにそうなって当然だった(そうなって欲しくないのも当然だが)。
しかし今、あるべき場所には一滴の血も、一片の肉片もなかった。