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リタに「お客様の苦手なものを身に付けるなんていけません」と怒られた私は、買ったばかりの背負う十字架も、ネックレスもブレスレットも取り上げられ、無防備な状態でルーディックに対峙する羽目になった。
「そんなに警戒しないで」
「警戒しないでいられると思うか!」
「エリシアの血も唇もとっても甘かった」
「死ね!くたばれ!」
十字架もニンニクもないからと、へらへらしやがって!
この超絶軟派嘘吐き吸血鬼野郎!
ティーカップを取ってお茶を飲むルーディックを見れば、ちらりと見えた舌に昨日の記憶が蘇る。
ダンダンッとテーブルを叩いた私は思わず突っ伏した。
ぐっ。なにかなにかと頭を巡らせ、ファーストキスの話を思い出す。
「ファーストキスはお前じゃない」
「舌を入れたのは僕だけだからいい」
「っ!?」
「その顔は図星だね。エリシア可愛いなあ、満足した」
クッキーを掴んだ私はルーディックに投げつける。それを避けたルーディックは小さく笑った。
「グランフィールド伯爵家のお屋敷は変わってないね。懐かしい」
安堵したようなルーディックの声と言葉に、ふと幼い頃を思い出す。彼の仕草も微笑み方もなにも変わってない。昨日行ったアレキサンドライト公爵家のお屋敷だって、昔のまま変わってなかった。
「なんで頬、冷やさないの」
「エリシアが叩いたあとだから、楽しもうと思って」
「ばかじゃないの」
クッキーを手に取ったルーディックは懐かしそうに目を細めて眺めると口に入れた。さくりと軽やかな香ばしい音。
「クッキーの味も変わってない。お菓子はフレージェさんのまま?」
「うん。フレージェの息子も一緒に作ってる」
「そっか。そんな歳か」
幼い頃に何度も一緒に食べたクッキー。
ルーディックも知っている使用人のこと。
ずっと一緒に遊んでいたから、ルーディックは私のことをなんでも知っていた。
私だって、ルーディックのことをなんでも知ってるって思ってた。
ずっと一緒にいるものだと思ってた。帰ってきたら、また幼い頃みたいにずっと一緒にいられるんだと思っていた。そのつもりだった。
「ルーディックは吸血鬼だから博愛主義になったの?」
「博愛主義じゃないよ。食事をするのに、都合がよかったから。僕の愛は、ずっとエリシアだけのものだよ」
「嘘吐き」
「嘘じゃないよ」
「嘘吐き。悪魔のくせに」
唇を尖らせた私を、頬杖をついたルーディックが見てる。
さらさらと柔らかい金色の髪には何度も触れた。撫でると嬉しそうに微笑むルーディックが大好きだった。美しく曲線を描く唇も、外の光と室内の光で色が変わる不思議な瞳も大好きだった。
記憶よりもずっとずっと大人になったルーディックの顔を見てると、どうしても視界が歪んできてしまう。
浮かんでくる涙が悔しい。
こんなやつ大嫌いなのに。
「エリシア泣かないで。話しづらくなる」
「誰のせいだと思ってる」
「僕のせいでエリシアが泣くのは、気持ちいいけど……悲しませたいわけじゃないから」
「……話ってなに」
居住まいを正したルーディックが真っ直ぐ私を見る。
その瞳は真剣で、ちゃらちゃらと誰彼構わず愛を囁く不誠実な雰囲気はない。涙で視界が滲んでいても、ルーディックが緊張していることがわかった。
「僕と結婚して欲しいんだ」
ぶわりと身体中に怒りが湧き上がる。
何を言ってるんだ、このやろう。
お前、この……っ!
私はルーディックに駆け寄り、左手で彼の胸ぐらを掴む。そのまま右手を振り上げて、頬めがけて思いっきり振り下ろした。
その手も左手もルーディックに捕まえられる。
「お願い。エリシア、僕と結婚して」
「殺す。十字架でお前の心臓を串刺しにしてやる」
「それ、本当に死んじゃうからやめて」
引き寄せられて、抱き締められる。腕ごと捕まえられて身動きが取れない。
「ね、エリシア。話を聞いて欲しい。僕はエリシアだけが好きなんだ。お願い、結婚して」
「だ、誰がお前なんかとっ!嘘吐き軟派野郎なんかと結婚するか!」
逃げ出そうと身を捩っても少しも抜け出せない。なんとか引き抜いた右手でルーディックの髪を引っ張る。
「エリシア、お願い!フリでもいいから!」
頭頂部の髪をぎゅうぎゅう引っ張っていたら、ルーディックから思わぬ言葉が飛び出す。
フリだとっ!?このやろう、馬鹿にするのもいい加減にっ!
「エリシアにしか頼めないんだ!お願いだから、話を聞いて!」
「離せ!嘘吐き吸血鬼野郎!」
「このままキスするよ!エリシアの口に舌入れて絡ませて上顎舐めて歯列なぞるよ!」
ルーディックの頬を思いっきり張り飛ばす。
「……とりあえず、話を聞くから離して」
「ありがとう」
はあとため息を吐いて椅子に座りなおした私は、頬を抑えているルーディックを睨みつける。結婚してと言い出したかと思ったらフリでもいいだと。お前、本当……っ!
ぐらぐらと煮えたぎるように熱くなる怒りを必死で抑えながら彼の話を聞いた。
「イヴェネッタ姫をどうしても遠ざけたいんだ。彼女は僕に恋なんてするべきじゃない。……エリシア、君にしか頼めない」
「意味がわからない」
「エリシア、わかってほしい。彼女の短期留学期間だけでもいいんだ」
「他をあたれ。お前と結婚したい令嬢はいくらでもいるだろう?」
「僕は本当にエリシアだけが好きなんだ」
「お前と結婚するつもりも、婚約者のフリをするつもりも、ない!」
話を続けようとするルーディックを無視した私は、大声で「お客様のお帰りの準備を」と叫んだ。