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「やっぱりエリシアの血は甘い」と言ったルーディックの左頬をバチンと叩く。
「唇もこんなに甘いなんて」と言われたので、右頬もバチンと叩いた。
「そんな顔も色っぽくてドキドキしちゃう」とまた口付けてくるので左頬を叩き、「僕の女神」と言い切る前に右頬も叩いた。
ルーディックの両頬は私の手型で赤い。
超絶軟派嘘吐き吸血鬼野郎ルーディックはその名の通りなのか、手が早い。解かれた制服の胸元を掴んだ私は、ぼんやりしてほとんど見えない視界の中、全力で彼を睨む。
「唇だけでは飽き足らず、乙女の純情まで奪うつもりか下半身ゆるゆる野郎」
「奪っていいなら今すぐにでも奪いたいよ、エリシア」
足を伸ばして、ルーディックをがしがしと蹴りつける。
それにもめげず近づいてくる。
このやろう。頭沸いてるのか。
「勝手に人の血を吸いやがって」
「エリシアの血は、やっぱり甘いね。あまりの美味しさに気を失いそうだったよ」
ちょっと待て。やっぱりってなんだ。
ルーディックは闇色の瞳をキラキラとまるで宝石のように輝かせて私を見ている。
くそう。眼鏡を返せ!
至近距離に迫るルーディックに体が強張る。
「……やっぱりって、どういうことだ」
「僕が生まれて初めて吸った血はエリシアのものだよ」
「……は?」
「初めて会ったのは、エリシアが4歳、僕が5歳だったね。あの日から僕はエリシアのことが大好きになったんだ」
そこから続く思い出話に頭を抱えつつ、ルーディックの声に記憶を辿っていく。
初めて会ったのは確かに4歳の初夏。暑いけれど風があってとても気持ちのよかった日。
金色の柔らかそうな髪と吸い込まれそうな藍色の瞳の少年。幼いルーディックは可愛くて美しくてまるで天使みたいだった。
ただ、具合が悪いのか青白い顔をしていた。
お屋敷のサンルームで、たくさんの薔薇に囲まれて挨拶をした。二人で庭園に飛び出して思いっきり走り回った。
遊んでいるうちに私は疲れて眠ってしまって、起きたらルーディックの頬には朱が差して顔色がよくなっていた。
元気になってよかったと子供ながらに思ったのだけど、まさか。
「……私が眠った理由か?」
「この世にこんなに甘くて美味しくて幸せな味があるのかと、がっついちゃったんだよね」
「ルーディック、このっ!」
再び手を振り上げた私を抱き込んだルーディックは、耳元に口を寄せる。
「はじめて出会った女の子だったのに、嫌われちゃったかと思ったんだ。それなのにエリシアは、元気になってよかったと笑ってくれたんだよ。それからずっと君は僕の女神だ」
囁かれる声は幼い頃とは違う。掠れるような低い声。
その声で、私ではない令嬢たちに愛を囁いたじゃないか。
止まったはずの涙が溢れ始める。ぽたりと頬を滑り胸元を濡らす。
「信じられると思うのか」
「本当のことだもの。アレキサンドライト伯爵家はヴァンパイアの末裔だ。王族のために裏の仕事を一手に引き受ける悪魔の一族だよ」
「裏の仕事?」
「皆、僕のこと宵闇の貴公子って呼ぶでしょ?国内外で諜報から暗殺まで引き受けてることを令嬢たちは知っているんだよ。ヴァンパイアだってことは知らないけど」
暗殺という言葉に、ぎょっと目を見開く。いつもにこにこ微笑んでいるルーディックにはあまりにも不似合いな台詞だ。
「じゃあ、隣国へ留学した理由は?」
「戦争を止めるためだよ。思ったより時間がかかって、学院の入学に間に合わなかった。そのおかげでエリシアと同じクラスに入れたけどね」
「……令嬢を口説く理由は?」
「主に食事」
「愛を囁く必要がどこにある」
「僕に好意があるほうが質が上がる。僕は美食家だからね」
飄々と言ってのけたルーディックの額を叩く。
「一晩、過ごす理由は?」
「気絶しちゃうから。さすがに放っておくわけにいかないでしょ?」
「……」
「僕は神に誓って何もしてないよ!口づけもエリシアだけだし、それ以上もエリシアのためにとってあるよ。僕はまだ童貞だからね!勘違いしちゃだめだよ!」
なにそれ、どんな宣言。
そもそも悪魔が神に誓ってもぜんぜん信用できない。
「ねえ、エリシア。エリシアの血は今日もすっごく甘かったよ。しかもすっごく上質だった」
「それが、なに?」
「さっき言ったでしょ。僕に好意があった方が質が上がるんだよ。ずっと好きでいてくれてすっごく嬉しい」
まったく否定できない私は固まるしかない。
ルーディックが大好きだった。ずっと帰ってくるのを待ってた。
こんな軟派野郎にさえなってなければ、素直に言えたはずなのだ。大好きだと。
でも今は大嫌いだ。そう思いたい。
ルーディックなんか大っ嫌い。そう、決心した。
私の体がルーディックを好きだと言っても、私は大嫌いだと言ってやる。
「僕とエリシアのファーストキスだね。記念日にしちゃおうか?」
蕩けるように微笑んだルーディックをいっそ殺してしまいたい。
鼻を明かしてやろうと思考を巡らせた私はふと閃く。
子供の遊びみたいなものだけど。
嘘ではない。事実は、事実だ。
突き付けてやれ。
少しくらい悲しめばいいのだ。
すぅっと息を吸った私は、頬に手を添える。
こてりと首を傾げて、輪郭のはっきりしないルーディックを見つめた。
「私のファーストキスはルーディック様ではございませんわ。スフィーです」