18
王族専用医務室を出た私達は、祝福の言葉とともに降り注ぐ花びらの中を歩いた。花びらを投げるうちの数人が蕩けるように微笑むルーディックに倒れ医務室に運ばれていく。ルーディック様の恋路を見守り隊が盛り上がり過ぎだ。
時々、聞こえる啜り泣く声はイヴェネッタ姫派とセドリック様派のものだろう。が、私は正直それどころではない。
ローゼグレース様から、なんとか逃げられる術がないかと思考を巡らせるもののなにも浮かんでこない。
なーんにも。
いっそ、旅に出てしまいたい。
「エリシア、皆、祝福してくれてるね」
「はいはい。そうだね、よかったね」
「他人事みたいに言わないの!僕とエリシアへの祝福なんだよ?」
「どうでもいい……」
ぐったりと肩を落とした私の顔面はきっと真っ青だろう。
だって、ローゼグレース様……っ!
あの方は、何が何でもこの結婚を推し進めるはずだ。そして絶対に同居だ。間違いない。
せめて別居したい。
てゆうか、なんとかこの結婚回避できないのか。
ああ。だめだ、あの箱入りロマンチストっ!
結婚したくないとか言った日には、「結婚するつもりもないのに婚前交渉とは……っ!」とか言いやがる。
そして、待つ運命は断罪!断罪っ!!
このっ!ばかルーディック!超絶嘘つき吸血鬼野郎!!
でも、ローゼグレース様からは守ってくれるのだろうか……?
隣を歩くふにゃふにゃに蕩けまくった笑顔のルーディックをちらりと見上げる。
……はあ。全然頼りない。少しも頼れない。
これっぽっちも頼れない!!
腹が立った私は、ルーディックの胸ぐらを掴んで自分の方へ引き寄せる。
そこらじゅうから黄色い悲鳴が上がる。
何を期待しているのか知らないが、私がルーディックにするのは甘い口付けでも熱い抱擁でもない。
このおおばかやろう!
私は浮かれたルーディックの頬を思いっきり引っ叩いた。
泣き笑いのスフィーとイヴェネッタ姫に見送られた私は、一緒に帰ると言って聞かないルーディックとともにグランフィールド伯爵家の馬車でお屋敷に帰った。
とにかく一回、お父様に相談をしようと拳を握った私は、出迎えてくれたお父様の表情、リタ含め使用人達の表情、そして、ひらひらと手を振るまさかの人物の登場に膝から崩れ落ちそうになった。
倒れかけた私を支えるルーディック。
お父様の隣には、アレキサンドライト公爵夫人の姿。
終わった……。
「エリシア!」
私の名前を呼ぶと同時に一瞬で目の前まできたローゼグレース様は、ルーディックから奪うようにして抱き上げてくる。
下から私の顔を見上げると、薔薇色に彩られた唇で笑みを象る。
「大きくなったわね。同じ頃のエレノアにそっくりだわ」
軽々と私を抱いたままくるくると回る。
どこにそんな力があるのか不思議でたまらない。
額に頬にと柔らかな唇を押し付けられ、眼鏡を奪われる。
ローゼグレース様の深い紫色の瞳が、私の瞳を覗き込んできた。
「あら?隔世遺伝?」
疑問の言葉を言いつつも、舌舐めずりをしたローゼグレース様は私の唇にその唇を押し付ける。ぐっと甘い舌が潜り込んできて、ぞくりと背中が粟立つ。
「んっ……ふ、ぁっ……」
やっぱりこの方、おかしいだろう!
なんで突然口付けてくるのか!しかも、舌を入れるな、舌を!
心の中で憤るも、ローゼグレース様の巧みな口付けに翻弄される。お父様もリタたちも見ているのに、抗えない。じわりと浮かんだ涙が一筋、頬を溢れたのがわかった。
「こらこら、ローゼグレース。それくらいにしてやってくれ。エリシアはまだ子供だ」
「セオドア!エリシアを一晩貸してちょうだい!」
「だ、だめだ!何を言っている!?だめだ、だめだ!」
「えー!いいじゃない!貸して!貸して!」
ローゼグレース様の腕の中、うまく力が入らない私にはお父様たちの会話が遠く聞こえる。人をものみたいに貸して貸してと、この方は……。
「貸すわけないでしょ!母上!エリシアを返して!」
今度は、ルーディックの腕の中に。
「消毒」と言った彼は、私に口付け、その舌で口の中を蹂躙していく。
ローゼグレース様のあとを消し去るように、舌を吸われびくりと仰け反る。
「……っはぁ、あっ……」
濡れた音を立てて、ルーディックの唇が離れる。くたりと体の力が抜けてしまった私は、荒い呼吸をしながら、全身をルーディックに預けた。
消毒なんていらないし、もう!
ルーディックもローゼグレース様も、頭沸いてるのか!
「エリシアは僕のものなの!母上になんて貸さないからね!」
「誰がお前を生んでやったと思ってるの!?この親不孝もの!」
「意味がわからん、意味が!エリシアはお前の息子と婚約するのだろう」
「わたくしだって、エリシアが欲しいわ!」
何を言っているんだ、この人達は。
眼鏡がない視界は口付けのせいで潤んでいる。ぼんやりしながら、うまく纏まらない頭で話を聞いていると、リタの大きな声が響いた。
「旦那様!それよりも大事なお話がございますでしょう!」
その声にぴんっと空気が引き締まる。
「あ、ああ。エリシア、ルーディック。明日、王宮で二人の婚約の儀を行うことになった。国王も王妃もお喜びくださっている」
ルーディックが取り返してくれた眼鏡を掛けた私は、箱入りロマンチストのせいで、異例のスピードで整ったスケジュールにため息を吐く。
「これで、エリシアは僕のもの」と微笑んだルーディックと、「エリシアがわたくしの娘になるのね」と微笑んだローゼグレース様に覗き込まれ、困ったように眉を下げたお父様は「はあ」とため息を吐きながら、頭を撫でてくれた。