彼女は普通に強いらしい
「デブゴンちゃん、そのバット。それを渡されたの? それにさっき詳しい情報を知っているようなことを言ってたけれど……」
ミドリさんが呼びかける。
「ああ、俺の言葉に嘘はねぇよ。ちゃあんと情報をつかんでおくことが、このゲームを勝利するために不可欠だからよぉ」
「じゃあ教えてくれデブゴン。僕らも、早いところこのゲームを終わらせたいんだ」
僕も彼に向って言う。
「うるせぇっ。俺は今、斯波と話してるんだ。黙ってろ三下ぁ!」
デブゴンが僕の言葉を遮るように吐く。
「まぁ、知ってるんだけどよぉ。俺もこのゲームで勝利しなきゃあ、ならねえんだ。すべてを手に入れるためになぁ」
バットを振り下ろし、その先端を地面に擦り付けるように引きずりながら、彼はこちらに向かってくる。歩道に擦れるバットの無機的な音が、やけに大きく感じた。
「そうだな……条件。条件を出そう。斯波ぁ。そのヒョロガリと別れて、俺と来いや」
まぁそう来るとは思った。
その風体から、そんな事を言いそうだもの。
「そして物部ぇ。お前ぇは、ここで死ね」
2メートル手前でデブゴンは足を止め、俺にバットの先端を向ける。
向けられた先端で初めて分かった。
バットには有刺鉄線が幾重にも巻かれ、それらは不気味な赤黒い何かで染まっている。
改めて近くで見ると、生々しさと、殴られたらさぞかし痛いだろうなという想いの両方で、ちょっとだけ恐怖が戻ってきた。
「ちょっと、デブゴンちゃん……」
「……いやいやいやいや。デブゴン。確かに君は、なんか見た目変わったし、今はなんかそういうの言いそうだけど、昔は自分の血を見ただけでも、泣き叫んで暴れていたじゃないか。そうそう人を殺せるとは思えない──」
「ゴタゴタぬかすな! 俺ぁよ。あれから死線を潜り抜けて、生きてきたんだ。お前らが知っているような甘ちゃんじゃあないぜっ!」
デブゴンは地面を蹴って僕との距離を詰め、同時に手にしていたバットを振りかぶる。
確実に僕の頭蓋を狙っている。
何故わかるかって、目線の高さにバットが来ているからだ。
世界がものすごくスローに見える。
人間、生命に危機に陥ると、全体がゆっくりに見えるらしい。
この現象をなんというんだっけか……。
この位ゆっくりだったら、なんだか避けられそうなものだけど、思考が早くなっているだけなので、身体は当然動かない。
こうもゆっくり恐怖が来ると、絶望しか抱けない。
まいったな――。
そう思っていたが、次の瞬間。世界は速度を取り戻した。
迫っていたバットは、僕とは全く違う方向へ回転しながら吹っ飛んだ。
あわせて、バットを振っていたデブゴンも後方へと弾き飛ばされる。
右耳が痛みを感じながら音を失い、鼓膜の奥で耳鳴りがする。
振り向くと、ミドリさんが構えたハンドガンが見えた。
彼女は、小さく肩で息を整えている。
「ミ、ミドリさん……」
「よかった、当たった」
バットは、ミドリさんの発砲した弾丸ではじき飛んだらしい。
というか、僕に当たる事を考えていなかったのか。
それとも、バットに当てるという自信があったのか。
どちらでも怖い。
「ダメよ、デブゴンちゃん。バットはボールを打つための道具。人に向けて振るものじゃないのよ? めっ」
ミドリさんはデブゴンに優しい口調で言う。
「う、うるせぇ! 斯波と言えど、俺の邪魔をする奴はゆるさねぇ。おい物部、てめぇ汚ぇぞ!」
汚ぇもくそもない。僕は何もしていないし、寧ろいきなり殴りかかってくる方がヤバいのではないだろうか。あと、こっちは丸腰だ。
「いや、そっちがかかってきたんだろ。武器までもって」
尻もちをついていたデブゴンが、勢いをつけて起き上がる。
彼は両手をバキバキと音を鳴らしながら、再びこちらへの距離をゆっくりと詰める。
「フフッ……素手勝負がお好みなら、それでもいいぜ。この数年間で何人も屠って来た、一子相伝のぉ、弩頼武神拳! くらえ!」
デブゴンは振りかぶった右の拳を真っ直ぐに突き出す。しかしその拳が、僕に届くことはなかった。
ミドリさんが僕たちの間に入り、その放たれた右腕を持ち上げている。
それは、いつそこに入ったのか、僕の目では追えない位の速度だった。
「なっ……早――」
デブゴンの顔色が、一瞬で変わったのを見逃さなかった。
「私の彼氏に――」
ミドリさんは彼の右腕を掴んだまま、もう片方の腕を彼の腹にあて、少し体勢をずらす。
「――乱暴しないでっ!」
その動作からコンマ何秒か。
次の瞬間には、僕の右側を何かが通り過ぎた。
その方向に目をやると、今まさに殴りかかろうとしていたデブゴンが、仰向けに倒れている。
何が起こったのか、よくわからない。
デブゴンも、状況を整理できていないらしく、目が泳いでいる。
ミドリさんは後ろ手にスカートを押さえながら、デブゴンの前にしゃがみ込む。
「お友達同士だったでしょ? いくらデブゴンちゃんでも、ナオ君にああいうことしちゃダメ。それに、私は今、ナオ君と付き合ってるって言ったでしょ? わかってて邪魔しちゃ、めっ」
人差し指を立てながら、倒れたままのデブゴンに怒る……いや、デブゴンを叱るミドリさん。
声色がいつも通りだから、緊張感がないというか、幼稚園で子供を叱る保母さんみたいだ。
「ううっ……マジかよ。昔と変わらず……斯波つえぇ……」
「あと、いくらゲームでも、お友達に死ねなんて言っちゃダメよ。終わった後、ギスギスして、仲直りしづらいでしょ?」
「……」
「ちゃんと約束。できるよね?」
「……はい」
「よかった。じゃあ、はい。起き上がって埃をはらって」
ミドリさんが立ち上がりながら、デブゴンを引き上げる。
両手で服についた埃をはらうデブゴンは、動揺している。
そりゃするよな。俺も今、開いた口が文字通り塞がらない。
「ねえデブゴンちゃん。私は今日、このサバゲ―には、お手伝いで参加しているの。だから景品とかそういうのは……まあ貰えるなら欲しいけど、今はこれを無事に終わらせることだけ考えたいの。デブゴンちゃんも景品が欲しいなら、少しだけなら協力もできるかもしれない。だからね、その情報というのは共有しない?」
優しく言っているが、今の今でアレだ。
どう見ても恫喝と情報開示の強要にしか見えない。
「チッ……しゃーねぇな。俺の負けだ。ここは『休戦』といこうじゃねぇか」
デブゴンはそっぽを向きながら、頭をかいた。