普通に過ごしていたのは偶然でした
ミドリさんは僕と視線が合うと、安堵と羞恥が混ざった表情を見せた。
「ナオ君、大丈夫だった? ごめんね、巻き込んじゃった」
「あ、いや、僕は大丈夫……です。あの、ミドリさんは」
「ちょっとだけお腹を蹴られたけど、大丈夫」
「そ、そうですか。ちょっと……? よかった。はは……」
俺は地面に這いつくばった格好で、力なく答えた。
ちょっとと彼女は言ったけど、鈍い音は何度か聞こえてきた。僕に気を使って言っているのか、それとも本当に大丈夫だったのか。
見ていないから何ともいえない。
店内は台風が過ぎた後のような荒れ具合だった。
ミドリさんと、白目をむいている女の争いが、どんなにさまじかったかを物語っている。
銃声が数発、直後の肉弾戦。
それでこうもめちゃくちゃになるのか。
僕は小さく身を震わせた。
ミドリさんは、倒れている女の前にしゃがみ込むと、首筋に手を当てる。
「うんうん、生きてるね。かわいそうだけど、襲われると怖いし、このままにしておくね。あとこれ、ルールだから、貰っていくね」
そういうと、女の首に下がっていたネックレスからドッグタグを外し、女の手にしていたハンドガンを手に取ると、ミドリさんはテーブルに戻ってきた。
「あの……その女、知り合いですか?」
「ううん、初対面。サバゲーの参加者なのは、このタグをしているから、確かだけどね。ちゃんとお話すれば聞いてくれると思ったんだけど、咄嗟にブン投げちゃった」
ミドリさんは照れ笑いした。
咄嗟にブン投げた?
確かにミドリさんは、たまに武道系の部活の加勢にも出ている。けど、やや大柄のこの女を、僕よりも細い腕で投げたというのか。
一体彼女のどこに、そんな力があるというのだろう。
「それにしても、いったい何が起こったら、こんな事に」
「うーん……普通に過ごしてていいからって言われたけど、ここまで凄いことになるって、思わなかったなぁ。終わったら、キミちゃんに聞いてみようっと」
「キミちゃん?」
「あ、キミちゃんっていうのは、このサバゲ―で人手が足りないからって、手伝いを頼んできたゲーム部の部長。今日、別の場所から参加している筈なんだけど、全然連絡が返ってこなくて……それよりも、一旦ここから出た方が良さそうね」
ミドリさんはそう言いながら床に落ちたレシートを拾い、腰が抜けた僕を引き上げ、カウンターの下で怯えている女性の店員に、キッチリお金を渡して店を後にした。
*
僕の頭は未だ混乱しており、店を出てから暫くは、見慣れたこの大通りも、別世界に感じていた。今日は日曜日で、何も用事がないところへ、ミドリさんからの買い物に誘われた。少し歩き疲れたからと彼女が言ったので、近くの喫茶店に入って、注文していたコーヒーのカップが割れ、聞きなれない恐怖を煽る音にガラスの割れる音、悲鳴を上げる人、逃げ出す人……。
「──くん。ナオ君」
それで突如入ってきた女と争うミドリさんがいて――。
「ナオ君」
その声で我に返ると、視界が頭の内側から一気に外へと広がる。
目の前には、心配そうに僕を見つめるミドリさんがいた。
「あ、すみません。ぼうっとしてました」
僕は反射的に彼女へ謝った。
「謝るのは私の方。ごめんね。ゲーム部の参加する企画だし、サバゲ―っていうから、どういうものかわからなかったけど、こんなにひどいことになるって……」
「ミドリさん、これ、サバゲー……サバイバルゲームではないです。鞄の中の銃、実弾なんですよね? で、あのよくわからない女が襲ってきて……」
口の中が異常に乾く。
「あの、すごく言いにくいんですけど、これサバゲ―じゃなくて……どちらかというと、デスゲームです」
「えっ?!」
ミドリさんは驚いた顔をし、慌てた様子で鞄から手帳を取り出し、ぱらぱらとめくる。
「やだ、本当。イベント名はサバイバルゲームになっているけど、参加者殺傷も許可されているって書いてある。やだ、うっかりしてたわ」
あ、今そこに気が付いたのか。
「うっかりにも程がありますよ! ど、どどどどうするんだ。さっきみたいなことが、この後もあるってことですよね?」
「うーん、それは困るわね」
「困るわね、じゃないですよ!」
咄嗟に大声が出てしまった。
これが赤の人なら、掴みかかったりグーで殴ってしまっているだろう。
「……ごめんなさい」
ミドリさんはまた謝った。うつむいて肩を落とした彼女を見て、僕はしまったと思った。彼女も見落としていたとはいえ、不本意かつ理不尽に、この死と隣り合わせの催しに参加させられているのだ。
それは僕もだけれど。
「これ、なんとかやめる方法はないんですかね……棄権しますって、宣言するとか」
「どうかしら、それができたら皆、あんな風に襲ってこないかも」
「あ、ルール……。ミドリさん、ルールはどうなっているんです? 少なくとも、僕がミドリさんに同行するなら、それを知っておかなきゃ」
「あ、そうね。えっと、メモじゃなくて……」
ミドリさんは手帳ではなく、カバンから小さなリーフレットを取り出した。
パステルカラーを基調とした、ポップなロゴがなんとなく楽し気な見栄えをしているそれは、どう見てもこの状況にそぐわない。
ミドリさんが3つに折られたそれを開き、僕らは覗き込んだ。
ミドリさんが近いせいか、僕の心臓が鼓動を早めた。
リーフレットにある、勝利条件はこうだった
①時間内に、自分以外のプレイヤーを殺傷する
②時間内に、自分以外の全プレイヤーのゲーム参加権利をはく奪する(※1)
③自身が登録している『自チーム』のフラッグを守り、『他チーム』のフラッグをすべて破壊する(※1 ※2)
<注釈>
※1 ただし、①以外でのゲーム終了は、各特賞金、副賞他、勝利後の景品は得られないものとする。
※2 ③の場合、『自チーム』のフラッグを破壊された場合、ゲーム参加資格を失うものとする。
見れば、勝利条件の箇所以外にもスマホの利用規約みたいに小さく注釈がついており、リーフレット全体に後付けの胡散臭さがある。
勝利条件の箇所を何度か見返しながら、僕は口を開いた。
「つまりこれを読む限りでは、別に『殺さなくても勝利できる』って事になりますね。この時間内って、さっきの喫茶店にいた辺りからですかね」
「えっと、決められていた時間は確か……今日の午前8時から夕方の6時、だったかしら」
「えっ」
僕はリーフレットからミドリさんに視線を移した。
「どうかした?」
「あの、朝からずっとやってたんですか、これ」
「ええ。特に何の合図もなかったけど、始まってたみたいだけどね。けど朝からさっきまで何もなかったし、どうやったらお手伝いになるのかしらって、ちょっと困っていたの」
「何もなかったんですか? 本当に」
「ナオ君も一緒にいて、さっきの以外は何もなかったでしょ? 鉄砲は支給されたけど、普通に過ごしているのが、今日の役割だと思っていたから」
すると何か。さっきの女のようにヤバい奴がいつ来るかもわからない状況で、僕らはのほほんと買い物デートを楽しんでいたっていうのか。
あのウキウキしていた時も、ちょっとドキドキしていた時も、僕の周りはあのドンパチを繰り広げていたって……。
僕はミドリさんに対してではなく、自分の能天気加減、そして愚鈍さに呆れ、ため息をついた。けれどこうしてため息をついたところで状況は変わらない。
そこでふと、僕は思いついた。
「とりあえず、この状況からなんとか抜け出さないと」
「そうねぇ。このままだと危ないもの。うーん、私が選ぶなら……①は除くとして、②か、③ねぇ」
ミドリさんは、リーフレットを裏返しながら呟いた。
「じゃなくて、いっそ『何もしない』っていうのはナシなんですかね」