普通のお姉さんはC.Q.Cに長けていない
優しく甘ったるい声と、彼女からするいい匂いが、この状況とミスマッチだ。
ミドリさんが僕から手を離し、鞄の中から取り出したのは、1丁のオートマチック・ハンドガンだった。
なんだっけ、この前漫画で見たやつとそっくりだ。なんだっけ……べ、ベレッタ?
写真や映像で見ることはあれど、実際にお目にかかることは、今この瞬間までなかった。黒光りするそれは、重さが手に取らずとも伝わってくる。
普通の女子は、カバンの中にハンドガンなど入れない……筈。
いや、最近物騒だから護身用で持っているのかもしれない。
けれど、クラスの女子でそういうのを持っている子はいなさそうだし……あ、もしかしたら、ミドリさんの学校では支給されているとか……。
――いや、ない。
やっぱり普通の女子は、カバンにハンドガンなんか入れないっ!
「えーっと、マガジン……には今朝、弾丸を込めてあるから……ああこれ、この安全装置を、こっちにして……」
混乱している僕をよそに、ミドリさんはのんきに手帳とハンドガンを交互に見ながら、使い方を確認している。
「あ、あとはこれで撃てるのね。片手だと脱臼するから、両手をちゃんと添えて、撃ちたい場所に照準を合わせて――」
そういうと彼女は素早く身体を起こす。
その直後、乾いた破裂音が鼓膜を直撃した。次いで、ガラスの大きく割れる音。
テーブルの下にいるから、僕からはミドリさんの様子は見えない。
けれど、彼女が何をしたのかだけはわかった。
「ああビックリした。鉄砲って、結構大きな音するのね。運動会で使うスターター位だと思ってたけど、ちょっと気をつけなきゃ」
再びテーブルに潜りこんできたミドリさんが呟く。
火薬のすえた臭いが、急角度で鼻をつく。
「ミドリさん……あの、これ」
手が……いや全身が、恐怖で小刻みに震える。
今まで僕は何度も、アオシがらみで色々な目に遭ってきた。その時、自分の命が本当に危ないと感じた瞬間に自然と湧き出た震えと同じものだった。
「ナオ君、大丈夫? 怪我してない?」
ミドリさんが聞いてくる。大丈夫とかそういう問題ではない。
「あの、これ……サバゲ―なんですよね? それ、モデルガンですよね?」
歯をガチガチ言わせながら、振り絞った声を吐き出す。
「うーん……これは本物みたいねぇ」
「みたいというか、これやばいですって! け、警察に電話」
外からの破裂音が再び数発響き、僕は身を強張らせた。
慌ててポケットから取り出したスマホは、床に転がり落ちた。テーブルの影の中、それだけが光をまぶしく放っている。画面には通知が入っていた。
『S市内、現在一部区域で通信制限中。
火災、救急などの緊急通信などは、お近くの公衆電話
などで行ってください。参加者の方、またその付近の
方は、ご契約の端末での通話はできなくなっています
のでご注意ください』
「なんだこれ……なんでこんな表示……」
外からの破裂音は近づいてくる。
ほんの僅か、音がやんだと思ったが、今度は頭上――テーブルの上で、鈍く重たい音が響いた。
上にあった、先ほど砕けたカップのカケラが、ボロボロとこぼれ落ちるのが見える。
何かが飛び込んできたのか。
スマホから目を上げると、ミドリさんは僕の前から消えていた。重たい音がする前に移動したらしい、近くで2人分の足音と、くぐもった衝突音が聞こえている。それに交じって、ミドリさん、そしてもう1人、女性の声が交じり合う。
「……っ」
「てめぇ。この……離せっ!」
声の感じから、ミドリさんと何者かが組み合っている。
隠れている客や、店員ではないのは確かだ。
「初対面なのに挨拶もせず、いきなり襲ってきて……ちょっと礼儀知らずにも、程がありませんか?」
「はぁ? てめぇ……状況ちゃんとわかってんのかよ。ゲームはもう、始まってるんだ……ぜっ!」
間際に聞いたあの大きな破裂音が2発響く。
この中で発砲しているのか。
「とは言いましても、私今日、初めてというか、お手伝いでの参加なので……勝手がわかりませんし――」
「手伝いぃ? 誰のだ。だれとつるんでいやがる!」
「ええと、ゲーム部の部長さんから人手が足りないから参加してって言われて、参加してるだけなんですけど」
口の悪い声の主の問いかけに、のんびりとした声で返すミドリさん。一体何が起こっているのか覗いてみたかったが、体が震えて動けない。それにこのテーブルの下では、2人は見えない位置にいる。
「くそっなんてチカラだ……離せこのっ!」
「離したら私や、他のお客さんを撃っちゃいそうですし、駄目です。というか今、撃ってましたし……こんな人が大勢いる場所で、危ないことしたらいけません……うぐっ!」
鈍い音が数回届き、その度にミドリさんから苦悶の声が漏れる。
「うるせぇ。うるせぇうるせぇうるせぇ! てめぇ何様だっ。アタイに説教垂れてんじゃ……ねぇっ! 死ね! 死ね死ねシねしね!」
心臓と鼓膜が同時に破れそうなくらい、何度も何度も破裂と破壊の音がこの空間に鳴り響き、その影響で生まれた粉塵のせいか、目の前が霞んでいた。
「そうですか……ごめんなさいね。分かって貰えないなら……こうしなくちゃいけません、ね!」
ミドリさんの発した最後の一声に力が入った途端、大きく何かが壊れる音が響いた。
テーブルか、棚に置かれていた食器か、これ見よがしに並べられていたサイフォンか……。
俺は恐る恐る首を伸ばし、音のする方を覗き込んだ。
大きく壊れた音の正体は、テーブルであり、食器棚に入った食器であり、これ見よがしに並べられていたサイフォンだった。
食器棚に寄りかかるように、女が天地逆で倒れこんでいる。
足が重力にまけているからか、筋肉が弛緩しているためか、無様ながに股でスカートから趣味の悪い下着をさらし、白目をむいている。
その傍らにはミドリさんが、肩で息をしながら佇んでいた。