森田刑事の業務日誌2
警察の仕事は事件を未然に防ぐ事ではなく、取り返しの付かなくなった事態の後始末をする事だ。
法律は犯罪を行ってはならないという説法の一種ではなく、犯罪を犯してしまった罪人を適切に処罰する為に存在している。
見せしめとして犯罪者を処罰する事で、人間が容易く欲望を叶えようと動かないよう抑止力とする。
警察組織はそういう性悪説をもとに動いている。たとえ数人の犠牲者を出そうとも数十人の被害者は出さない。そういう理念で動いている。
何故なら全ての事件を未然に防ぐなんて事は物理的に不可能だからだ。日本の警察官は定員わずか25万人しかいない。その25万人で1億2千万の人口の治安維持を担っているのだ。
「お巡りさん、助けてくれ!」
手が足りない。日本のようなトップクラスに治安の良い国であろうとも犯罪を未然に防ぐ事は難しいのである。
せいぜいが通報を受けた不審者がいる地域のパトロールを増やす事が限界だろう。だからこそ被害者が警察に足を運んで自ら被害届けを出すなり、相談する事が大事なのだ。
「落ち着いて。冷静になって下さい!」
「放してっ! あの男を殺して、私も死んでやる!」
だから警察官は何時も何時も救えなかった誰かを見て日々を過ごす。そういう損な役割を彼らは担っていた。
「痴情のもつれ、というより結婚詐欺師の被害者が自棄になって刃物を振り回したか。森田、お前も災難だったな」
「そんな他人事みたいに。オカルト派閥の山さんが、殺人事件の恐れがあるって言うから念の為に聞き込みに行ったらコレですよ」
片腕に包帯を巻いた森田が、そう同僚の刑事に愚痴をこぼした。
森田も捜査第一課所属の刑事になるまで知らなかった事だが、警察組織にはオカルトを本格的に信じて、犯罪捜査に活用しようとする派閥が存在している。
この現代社会で何をと誰もが最初は馬鹿にするのだが、まるで予言を聞いたように、警察組織内でオカルトに傾倒している刑事が犯罪事件を予め知っていたかのように動いて事件を未然に阻止する事も多い。
偶然で片付けるにはあまりにも事例が多すぎる事から捜査第一課の刑事は自然とオカルト派閥の動向を注視するようになっていた。
「悪いな。俺もまさか被害者の身代わりになって刺されるたぁ思わなかったんだ。ったく、Aの奴め……」
「また情報提供者Aさんですか。刑事が民間人の言いなりになってどうすんですか」
「耳が痛いな」
苦笑する同僚に森田は溜息を吐いて、久しぶりに楽に息が吸える自分に気が付いた。
確かに何の説明もなく一人で鉄火場に向かわされた事には森田も思うところはあるが、片腕を負傷した代わりに犯罪者とはいえ人命を救助し、被害者の女性が殺人鬼に転げ落ちる事を阻止できたのだ。
ここしばらくデスク仕事ばかりを任され現場から遠ざけられていた森田にとって、久しぶりに警察官である自分を取り戻す事が出来た事件であった。
「怪我させた俺が言うのもなんだがな、森田。有給も溜まってる事だし、この機会にゆっくり休め。最近のお前は少し、様子が変だったしな」
「……そうですね。何時までも渡辺さんの事を引きずるわけにゃ行きませんし」
警察を追い出された先輩刑事の事を暗い顔で森田が話題に出すと、同僚は困った顔で頭を掻いた。
「あー。お前がおやっさんの処遇に不満を持つのは分かるんだがな。本人は意外と元気そうに動き回ってるぞ?」
「知ってます」
元刑事である渡辺が独自にカルト団体の足跡を追っているのは捜査第一課の刑事の間では知れ渡っている。
流石はおやっさんだと刑事の鑑だと鮮やかな離職に刑事の間ではちょっとした武勇伝と化しているのだ。
その事が森田には我慢ならない。
上からの圧力で尊敬できる刑事が立場を追われ一人で捜査を続けているにも関わらず、まるで美談かのように周囲の人間は語るのだ。
何故、マトモに犯罪捜査に着手してるだけの刑事を辞めざるを得ない状況に追いやった上層部に疑問を抱かないのか。そう森田は無言で訴える。
苛立つ森田を若いなと、渡辺が公安のスパイであった事を知っている山本刑事は笑った。
「痛い。痛いって。もっと優しくしてくれよぉ」
「はいはい。こんな掠り傷で騒がないの」
手当を受けた病院から退院する際、森田は聞き覚えのある声におやっと耳をそばだてた。結婚詐欺師の男だ。
そういえば自分が庇う前に多少は包丁で傷を負っていたなと森田は思い出していた。
「大人しくしてたら連絡先、教えてくれたり?」
「病院でナンパをするくらい元気なら、もう心配はいらないわね」
「ええー。あ、また傷口が痛み始めた。看護婦さん。ちょっとで良いから撫でてくれない?」
「あのねぇ……」
困った様子の看護婦を病院で口説いている男に森田の顔は不快気に歪んだ。
『お願いだから一緒に死なせて!』
無理矢理に応援のパトカーに拘束して署に連行した女性の声が聞こえた気がして、森田は一瞬だけあの男を庇うだけの価値があったのかと疑問に思い、首を振った。
あんな男に無理心中をするだけの価値はない。あの女性だって生きていれば先があるはずだと、そう、森田は自分に言い聞かせた。




