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バッドエンドの向こう側10

「ハハハ、やっべー。俺、大ピンチじゃん」


 渦巻く風が襲い掛かってくるという異常事態の中、ポン太は笑顔で逃亡し続けていた。

 殺人未遂の現行犯として取り押さえようとする暴風はしかし、ポン太の非道に対する憤りで荒々しく吹き荒れ、魔法を操る本人でさえも制御しきれていない。ポン太を逸れて暴風が直撃したコンクリートは砕けて破片が飛び散る程だ。直撃してしまえば大怪我は免れないだろう。

 そう橘翔太も理解をして制御しようとするが、ポン太の心の底から歓喜に沸いたハシャギ声にどうしても苛立ちが募る。人を殺しかけて、自分もまた殺されかけようとしてるのに何故そうも笑顔なのか。橘少年にはまるで理解できない精神構造だった。


 ワンダーランドの中でポン太を曲がりなりにも理解できるのは意外だろうが佐藤江利香くらいだろう。

 たとえ自分の命が危うい窮地だろうと、待ち焦がれた神秘に触れる事が出来る喜びに笑顔にならずにいられない。非日常への期待が生存本能を凌駕しているのだ。

 その江利香の無謀な挑戦が時空妖精コティンとの繋がりを生んだように、未知を求める冒険心は貶されるような類いの感情ではないのだが、ポン太、藤原史郎のそれは歪みきった価値観と結び付き人に嫌悪感を抱かせる。彼の探求は血の匂いがするのだ。


「でも、このまま普通に捕まっちゃうのはつまんねぇーし。何とか出来ないっすかね」


 今こそが彼の人生において一番のビッグイベントなのだ。このまま終わるのはあんまりだと彼が苦悩していると、待っていたかのように脳裏に声が響いた。


【君も異能が欲しい? 何を引き換えにしても?】


 ケラケラと笑う声に、悪魔の類いだなとポン太は一瞬、考えて。


「もち!」


 笑顔で即答したのだった。




「待って。皆、もっと威力を弱めてっ!」


 制御しきれない魔法に四苦八苦していた橘翔太は急激に動きの速くなった藤原史郎にやむを得ず風の精霊への魔力供給を弱めた。このままでは魔法を逸らせず大怪我をさせてしまうと心配したのである。照準すら出来ないスピードで加速するような人間を少年は藤原史郎以外にも見知っていた。稲荷の会の気功使い達だ。前田祥子によって指導を受けた彼らは一時的になら常人の数倍のスピードで行動可能だ。

 彼らの場合、気功使いとしては未熟なので無理な動作を体内の精気を一気に消耗する事で行っており、本来の在り方とは逆に気を使用中は打たれ弱くなっている。


 そう能力使用には細心の注意を払うよう前田祥子に指導されていたのを橘少年は憶えていた。万一の場合は死ぬ可能性があるという脅し文句と共に。犯罪者だろうと殺す訳にはいかないという橘少年の気遣いは人として正しいものではあったが、相手が悪すぎた。

 藤原史郎の異能はリンク能力の亜種であり、ゲームシステムを肉体に落とし込む特殊な力である。仮に名付けるなら『ゲーム法則』とも呼ぶべき肉体改変のチート。

 霊能力と同じく体系化された知識があって初めて真価を発揮する気とは仕組みがまるで違う。


 物理法則を上書きして独自のルールを世界に押し付けるリンク能力やバーチャル能力と同じく、藤原史郎の異能は物理法則を超越する。

 それを取り戻した記憶で理解した藤原史郎は躊躇わず廃ビルの屋上から飛び降りた。


「じゃっじゃーん」

「えっ!?」


 空を飛行する自分達に飛び掛かってきた藤原史郎の姿に橘翔太は息を呑んで突き出された拳を呆然と見つめるしかなかった。

 一見、無害な、多少の痛みを味わうようにしか思えないその攻撃はしかし、直撃すれば鉄塊すらも粉砕するのだと藤原史郎は知っていた。それを実行した再構築される前の記憶が彼には何故かあった。

 魔法の制御に集中していた橘翔太にその攻撃に対処する術はなく。


【止めて!】


 山川陽子のフォローがなくては無事に済みはしなかっただろう。


「あ、あら……?」


 絶対命令権で攻撃を無理矢理に中断された藤原史郎は廃ビルから飛び降りた勢いのまま、二人の傍を通り過ぎ、50メートル以上真下のアスファルトに落下していった。




「どうしよう。ビックリし過ぎて魔法で落下を防げなかった」

「まさか、自分から飛び降りるなんて思わないし。仕方ないよ」


 遠く離れた地面の赤いシミを見て、橘翔太と山川陽子は顔を見合わせて不安そうな顔になった。

 二人とも藤原史郎にあと一歩で殺されていたのだが、殺し合いをしていたという実感がまるで湧いていなかった。危害を加えようとわめいて襲い掛かってきていた不審者が何故かビルから飛び降りて死んだのを目撃してしまったような、妙な不気味さと後味の悪さがだけが二人にはあった。


「救急車。いや警察かな。呼ぶべきだよね」

「うん。とりあえず下に降りよう。ビルの屋上に上昇するより落下スピードを和らげた方が楽だし」

「……念の為に死体とは離れた位置に着地してくれないかな」

「分かったよ」


 ファンタジーから一気に現実へ引き戻されたような感覚でいた二人は藤原史郎の落下した地点が近付くにつれ、再び顔をしかめた。


「ねぇ。何で死体がないの……?」

「どうしてだろう」


 不死身の殺人鬼、藤原史郎はまだ生きている。

 生きて社会に解き放たれた。


 まだハッピーエンドの幕は降りてはいないのだ。

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