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そして穂村雫は失敗した

 そして。そして穂村雫は失敗した。世界は救えなかった。

 神造モンスターである歩く妖蛆にアリス姫は喰われ、逃した藤原史郎に心を粉砕されて、世界は再び黄泉へと堕ちた。


 エインヘリヤルの一人に過ぎない現在の穂村雫ではアリス姫が暴走してクトゥルフクリーチャーと化そうとも止める事は出来ない。絶対命令権には逆らえない。

 オーディンの試練達成の報酬はもうない。今度こそ日本は完全に闇に包まれる。

 純人類派と新人類派に真っ二つに分れてこそいるが、正常な社会を営み続けていられるのは、単にアリス姫が抗っているからだ。全力で邪神の眷属と戦い続けているからだ。


 穂村はアリス姫に託された願いを叶えられなかった。




「お姫ちん。見て、良い天気だよぉ」


 シャッとカーテンを開けたタラコ唇が笑顔でアリス姫に笑いかけた。何処か無理をした笑顔で、涙の跡で目尻を赤くしながら。

 その言葉にアリス姫は反応しない。無表情で言葉を発さず、瞬きすらもしなかった。

 食事を取る事もトイレに行く事も、一人では出来ない。そんな余裕はない。アリス姫は今も精神世界に囚われたまま歩く妖蛆と対峙している。


「座りっぱなしじゃ身体に悪いし、ちょっと散歩しようよ。ね、ほら」


 タラコ唇がアリス姫の手を取ってベッドから一歩一歩と歩かせる。酷く遅い速度で、アリス姫の為に建築された洋風の神殿内部を。

 アリス姫が歩く度に体内に巣くっていた蛆がポロポロっと地面に落下していく。嫌悪感を抑えてタラコ唇はそれを見なかった事にした。霊能力者に意識はあるとアリス姫は断言されているのだ。きっと自分の何倍も気持ち悪いのを耐えている。

 腐臭を少しでも抑えようと桃の匂いの香水を何時ものように振りかけて、タラコ唇は祈る。どうか、黄泉にアリス姫を連れて行かないで下さいと。……或いは、自分も一緒に連れて行ってくれと。


「ずっと一緒だから」


 つまずいて倒れそうになるアリス姫を抱きしめて、タラコ唇はそう言った。

 何故か涙は流れなかった。




「穂村。いいの?」

「ええ」


 アリス姫の様子を見に来た穂村雫は、しかし神殿の前で足を止めて来た道を戻っていく。

 まだアリス姫は歩く妖蛆に負けてない。それさえ分かれば良いのだ。成長したバーチャル能力の空間把握で遠距離からでも様子は分かる。

 それ以外の理由など抱いてはいけない。託された願いを取りこぼしてしまった自分が、一目顔が見たいなんて思ってはいけないのだ。


 そう考えて今日もお見舞いに行けなかった穂村雫を村雨ヒバナは溜息を吐いて見た。

 ディストピア世界での記憶を穂村雫もバーチャルキャラクター達も持ったままであった。他の誰の記憶にもない光景がクッキリと魂に焼き付いている。全てが手遅れになって10年。最近になってやっと全ての記憶を穂村雫は取り戻し、あまりにも遅い情報に、穂村はオーディンを罵って壁を殴りつけた。


 現神は決して人間の理想通りの都合の良い存在ではない。確固とした個性があり、人間の事情など考慮しない。


 戦神であるオーディンは英雄への試練と報酬を是としている。

 全ての前提を覆してのハッピーエンドなど世界を救った程度の試練では釣り合わない。更なる試練が必要である。

 そう考えたオーディンは穂村雫に未来の情景を見せる事で未来を変えるチャンスを与えた。これが仲間を信じて魂を賭け金としたアリス姫と、実際に世界を救ってみせた穂村雫に対する正当なる報酬である。


 チャンスを活かせないのなら、所詮はその程度の英雄であったのだ。


 そういうオーディンの無言の値踏みを感じて、穂村は歯を食いしばった。英雄も世界史に名を刻む者から、地方でもてはやされる者まで幅広い。

 穂村雫はアリス姫の幻想を叶えられるような無敵のヒーローたり得なかったのだ。


「リーダー! 新人類過激派の暴走族がうちに特攻をかましてきました! 既に何人か重傷者が出てます!」


 穂村の結成した組織、警邏隊のメンバーがバイクで穂村の許へと走り寄って来ている。

 それに思考を切り替え険しい顔をした穂村が転移の連続発動でバイクと併走し、詳しい事件の経緯を説明させ、事件現場の座標を聞き終えると、次の瞬間にはもう新人類過激派の目の前に転移をしていた。


 新人類過激派の指導者である橘冬木の狙いは分かっている。歩く妖蛆の使命を叶える事でのアリス姫の解放だ。

 クトゥルフ神話の悍ましい怪奇生物の事を彼は微塵も分かっていなかった。日本に居る大多数の人間がエインヘリヤルの契約を結べばアリス姫は解放されるのだと、あまりにも甘い推測をしているのだ。

 文字通り、エインヘリヤル以外の人間をこの世から抹消しようとしていた穢れ姫の事を穂村雫は覚えている。記憶を完全に取り戻す前から嫌な予感を覚えて、純粋な人間を残そうと奔走していたくらいには危険な思想だ。


 残さなくてはならないのだ。絶対命令権に逆らえる純粋な人間を。強力な異能者を。

 もう穂村雫は、アリス姫と戦えないのだから。


「余計な御託は要りません。これ以上、暴れるのなら一度殺します。貴方達の理屈では問題ないのですよね?」



 オカルトが表社会に認知された不安定な社会で、命が一つしかない純人類派の立場は弱い。

 日本が海外から逆鎖国されて10年しか経ってないにも関わらず新人類派と勢力が互角の段階で結論は出ている。時代が進めば進む程、純粋な人間は消えてエインヘリヤルで日本は埋め尽くされるのだ。

 この流れを覆す術はない。また、個人の自由意志を無視してまでエインヘリヤルを減らそうと穂村は思っていない。


 だが、もし意思を無視してまで契約を強行しようとするならば。それはディストピアに抗った仲間達の血と涙を否定する行いだ。

 そんな事を。

 世界の全てと戦って勝ち取った権利を踏みにじるような事を穂村雫が許す事はない。


「命に代えても日本を完全に黄泉に堕とす」

「世界が敵に回ろうと私は譲らない」


 日本の未来を賭けた新人類派と純人類派の大戦争まで、後少し。




◇◆◇◆◇◆◇◆




「まあ、及第点ですかねぇ」


 狩衣姿の男が満足そうに笑って教え子達を見た。

 誰もがまだ一桁の年齢の子供ではあったが、その身に宿る力は本物だ。強力な霊力が身体からほとばしって空気が歪む程の圧力を発していた。


「決意は変わりませんか? 止めるなら、今のうちですよ?」


 何度も繰り返しされてきた質問に子供達は目を見合わせて、笑って答えた。


「そういうのは良いからサッサと始めろよ」

「ホントだよ。つーか、今からでもお前が行けよ」

「いちいち面倒くさいよね。私は止めましたよってポーズを取りたいだけでしょアレ」


 ボロクソに貶された安倍晴明はやぶ蛇だったと苦笑いで肩を竦め。


「先生、大丈夫です。私達は望んでここに居ます」


 マヤちゃんの言葉に少し憂いた顔で頷いた。

 逆鎖国から12年。魔法使い橘翔太に救われた彼女が今、何故か七歳の年齢のまま成長せず、この場に居た。


 自分を救ってくれた二人の恩人が片や寝たきりで片や消息不明では幸福にはなれないと、他の可能性を捨て、只管に安倍晴明の下で修練を積んできた。

 何もかもを覆して、問答無用のハッピーエンドを迎える為に。


「良いでしょう。では、始めましょうか」


 安倍晴明の手から紙で折られた鳥が羽ばたき、空中に太極図を描いていく。地面には五芒星。

 森羅万象と万物の流転を意味する。たとえ時間の流れでさえも陰陽師なら干渉できる。そう千年前の時代から狙って生まれ変わった化物はうそぶく。

 それが、どれ程の偉業なのか説明されずとも分かると子供達の顔はこわばり。


「大丈夫。世界を救うなんて簡単ですよ」


 無責任に飄々(ひょうひょう)と晴明に励まされた。

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