ディストピア世界10
「ほぉ。まだ抵抗勢力が生き残っていたか。思ったよりも人間は逞しい生物だな」
【塵屑共め】
目障りな抵抗勢力は未だに死に絶えていなかったのだと穢れ姫は見て取り、自ら鉄槌を下してやろうとクィーンの『絶対王権』から手を出そうとした。
黄金の光はあらゆる異能の干渉を遮断し、敵対者への攻撃や高速飛行を可能とする強力な力ではあったが、内部からの異能も遮断する欠点を併せ持っている。
そのせいで、穢れ姫の身体が持つ数多くの異能が有効に機能しない。おまけに民衆と世界の後押しがある強力な異能でこそあったが、クィーンの人格が信頼仕切れないという甚大な欠陥がバーチャル能力にはある。世の数多くのバーチャル能力者と同じく穢れ姫もまた自らのバーチャルキャラクターに翻弄されていたのだ。
「良いのか? そのままだと手を細切れにされるぞ?」
黄金の光の外に手を出そうとした穢れ姫がピタリと手を止めた。遅れて空間の歪みが穢れ姫の目の前の空間に巻き起こった。穂村雫の転移による空間断裂である。
クトゥルフクリーチャーであろうと、今の東京は黄泉ではないのだ。民衆の希望を背負った穂村ならば穢れ姫に危害を加える事は可能であった。
【クィーン。あまり私を苛つかせるな】
言外にさっさと穂村雫を片付けろと急かす穢れ姫を、クィーンは愉快そうに嗤った。
間違いなく今の穢れ姫は冷静ではない。何十もの異能を持つ人外の怪物が精神的にただの人間に追い詰められて行っている。穂村雫の得体の知れない空気と目的の為なら手段を選ばない頭のおかしさが、どうしても、かつてのアリス姫を思い起こさせるのだ。一時的にせよ八咫烏をこの世から消し去るまで、逆に邪神の眷属の精神を蝕んだあのアリス姫を。
だから見逃すのだ。ただの取るに足らない人間だと意識もしなかったのだろう。彼女の事を。
「お姫ちん!」
長い黒髪と胸の大きな女性の姿にアリス姫の肉体が反射的に動きを止めた。
クィーンも単にアリス姫を抱擁しようとビルから飛び降りた女性を止めようとはしなかった。それは無粋というものだ。
意識の一瞬の隙を突いてアリス姫の身体を抱きしめた女性は、そのままクィーンの『絶対王権』から諸共に落ちていく。
空中から落下していく最中、肉体の硬直から解放された穢れ姫が抱きしめる女性を、タラコ唇に化けたミサキを異能でバラバラにするも、ミサキは何処か満足そうに笑って散っていった。
あの一瞬。反射的にアリス姫の肉体が硬直した一瞬。確かに言ったのだ。
『ミサキ』
そう、タラコ唇に化けた自分の名前をアリス姫は呼んだのだ。
変装なんてしなきゃ良かったな、そうミサキはちょっとだけ後悔して意識を闇に沈めた。
「チェックメイトです」
穢れ姫がミサキをバラバラにした次の瞬間には、もうアリス姫の身体は穂村に解体されていた。
クィーンの『絶対王権』の黄金の守護領域を攻略する事は神秘の格差で穂村雫には不可能だった。黄泉の世界ではクトゥルフクリーチャーの穢れ姫に傷一つ付けられなかった。エインヘリヤルと人間モドキの軍勢を相手にしていては処理能力が追いつかずクィーンに始末されていた。
その全ての問題を仲間達が解決してくれた。そう、穂村は消えていった仲間達に感謝した。
【馬鹿め。この程度で、私が滅びると思ったか】
逆再生するかのようにアリス姫の身体がバラバラになった肉片から瞬く間に復活していく。人外化の異能の一つ、モデル吸血鬼の能力である。
穢れ姫はアリス姫の他者覚醒とエインヘリヤルの契約を悪用して何十個もの異能を手にしていた。人間を暴力で脅し屈服させ、エインヘリヤルの契約を結ばせた後に他者覚醒で異能を与え、有無を言わさず殺す。このルーティンを繰り返す事で只管に神秘を高め続ける。
異能の一つ一つを個別で研鑽しなければならないので狙っていた程の効果は発揮しなかったが、それでも人間如きに遅れを取るような次元にはいないのだと穢れ姫は嗤って、吐血をした。
【何だ、何が起こっている……?】
身体の異常を治そうと治癒魔法を施そうが、肉体の治癒力を向上させようが、新たな肉体を生み出して切り離した頭部を接続しようが、まるで効果の及ばない症状に穢れ姫は眉を寄せた。
肉体ではなく魂にナニカをされている。
「良かった。効きましたか」
試験管を手に実験動物を見るような目で観察している穂村を穢れ姫は血走った目で睨み付けた。転移でナニカを混ぜ込まれたと気付いたのだ。
薄らと青く輝く穂村の左目が、穢れ姫を見続けている。アリス姫の体内に潜む穢れ姫を。
「歴史上、黒死病・ハンセン病・梅毒・麻疹・天然痘・コレラ・結核・エボラ出血熱・エイズと人類は昔から多くの病と闘い続けてきました。食物連鎖のヒエラルキートップである人類が目に見えない小さな生き物にずっと苦しめられているんです。神秘の格差によって現段階でも私は貴女の魂をどうにかする手段がありません。ですから考えたんです。魂を蝕む病を作り出せないかと」
バーチャル界はバーチャル力を消費すれば現実で手に入る物ならば何でも手に入る。
それこそ小さな小さなウィルスだろうと。穂村が現実で病に倒れる可能性があるならば購入できる。
そうやって手に入れたウィルスを同じくバーチャル力を消費して手に入れた顕微鏡で観察しながら、穂村は転移でウィルスのDNAを切り離したり融合させたりして、幾つもの細菌兵器を作り上げていた。
ワンダーランドレジスタンスのメンバーをバーチャル界の自己領域に入れなくなった本当の理由は、人間モドキの襲撃によって穂村が作り上げた細菌兵器が自己領域内に拡散してしまったせいだ。現実へのウィルスの拡散はバーチャル力の消費が必要なので起こってはいないが、バーチャル界は穂村のせいで大惨事になってしまっている。
それでも穂村は病に倒れて死ぬリスクを平然と無視し、医療用防護服を着て研究を続けていたのだ。
「霊魂の世界は拓巳さんのおかげで見えるようになりましたからね。一寸の虫にも五分の魂と言いますし、ウィルスの魂もあるのかなと色々と試行錯誤をしてみたんです」
【貴様、正気なのか? 治療薬など存在しない上に認識できない未知の病をばらまいただと? 人類を滅ぼす気か?】
「まさか」
穂村は笑って穢れ姫の正体を暴いた。
「あなたに、シャッガイからの昆虫にしか効果はありませんよ」
アリス姫の脳内に潜む虫が静かに戦いた。




