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ディストピア世界6

 崩れ落ちていく一軒家を見て浩介は騒ぐ心臓を押さえて大丈夫だと自分に言い聞かせていた。


(大丈夫、粉微塵にはしてないから穂村さんなら生きてるはずだ。ブロック状に切り飛ばせば瓦礫に押し潰されて死ぬ可能性がある。ここら辺の妥協が絶対命令権との落としどころとしては最適。まだ生きていてくれるはずなんだ……)


 自分が最後の希望を消してしまったんじゃないかという不安に佐藤浩介が苛まれている中、ザァッと瓦礫が粉微塵になって中から人が這い出てきた。

 穂村雫だ。

 ホッと浩介が安堵の溜息を吐くのとは裏腹に穂村は険しい顔をしていた。


「浩介さん。何とか対面せずに済む選択肢はなかったんですか。私達が相対してしまったら、どちらかは死ぬと分かりきっていたでしょう」

「そっちこそ、転移で逃げられなかったのかよ」

「無理です。転移の最中にレジスタンスメンバーが斬り殺されたのを私は忘れていませんよ」


 浩介のリンク能力で変身できるアバターの一つは盗賊職だ。空間の向こう側に隠れた程度では浩介から逃れる事は出来ない。

 人を無事に転移させようとして発生する一瞬のラグが、浩介にとっては隙だらけのボーナスタイムに見える。見逃したくても絶対命令権に阻まれて攻撃せずにはいられない。

 佐藤浩介から逃げる事は不可能に近い。戦闘の結果、勝っても意味はない。勝つこと自体が困難だ。


 故に、穂村の転移の副産物である空間把握によって浩介は常にマークされていた。これ以上の犠牲を双方に出さない為に。

 それでもあまりにも早い移動速度によってレジスタンスメンバーが補足されてしまうのだから質が悪い。敵も浩介が出張れば勝ちが確定するのだから遅滞戦術を仕掛けてくる。そのせいで、浩介ばかりが手を汚す事態になってしまっていた。


「穂村さん、悪い。手加減は出来ない」


 これ以上の会話は無駄だと絶対命令権に急かされて浩介は剣を振り上げた。美術館に展示されていたようなナマクラの剣だ。

 人の血で江利香の剣を汚す訳にはいかないと、浩介は妹に武装を頼む事を止めていた。そもそもVtuberとして配信をしなくなった江利香に利用可能なバーチャル力はないので無駄な心配ではあったが。


「トリプルリンク」


 浩介の三つのアバターが同時に全身へとリンクする。シンクロ率100パーセントのアバター3つを重ね合わせる浩介にしか出来ない絶技だ。

 踏み込んだ地面がクレーターとなり、穂村との距離が光を思わせる速度で詰められていく最中。誰にも認識できない刹那の世界で浩介は確かに穂村の声を聞いていた。


「私こそ」


 手に握っていた剣が粉微塵になって崩れていく。浩介の身体諸共。


「手加減が出来ず、すみません」


 ピシッと魂がひび割れていく音に、浩介は苦笑いで穂村を見た。


「そこまで強いんなら、もっと早く出て来てくれよ……」


 崩壊していく浩介を見て、また一人仲間がいなくなったのだと穂村は目を伏せた。




「マジで強かったなコイツ。1万分の1でスロー再生しても、殆ど見えなかったぞ。光の速度にマジで到達してやがったんじゃねえか?」

「流石にそれは誇張だと思うけど。でも、うん。穂村が死んでも何もおかしくなかった。この結果は仕方なかったよ」


 固有能力『予定調和』と『双転移』を精密使用する為に出現していた茜ヨモギと村雨ヒバナはそう言って穂村を慰めた。


 穂村の未来視によって予知可能な時間は20秒。その時間内に限り穂村の行動以外で未来が変わった事はこれまで起こった事がない。

 その事実を顧みて穂村雫は自分だけの現実によって予知可能な時間を延ばすのではなく、より詳細に20秒以内の未来を精密に予測するよう研鑽してきた。


 未来のスロー再生。それが茜ヨモギが穂村雫の自分だけの現実によって獲得した新たな異能である。

 特に異常な身体能力を誇るリンク能力者対策に考案された異能は最強のリンク能力者にさえ届いたのだ。


 この偉業を知ればディストピア世界の殆どの人間が穂村を賞賛して希望を持つだろう。最強のリンク能力者である佐藤浩介は、同時に最強の異能力者であるとも見做されていたからだ。穢れ姫も本当に倒せるかもしれないと目を輝かせて、浩介の為に涙を流すような人間はほんの一握りもいないと思われる。

 だが、その一握りの人間がこの場には立っていた。


「お兄ちゃん?」


 家屋が崩壊する音に恐る恐る様子を見に来ていた佐藤江利香は塵となって消えていった兄の姿を見て、呆然とその場に座り込んだ。

 実行したのは彼女のレジスタンス仲間であった穂村雫だ。救いを求めるように視線をやった江利香を見て、穂村は痛みを堪えるように目を逸らした。


 あの穂村雫が自分を直視しなかった。


 その事実に、兄がもう復活する事はないのだと悟り江利香はグチャグチャになった精神で息を吸う事も出来なくなった。

 どうして、何故、なんで、疑問ばかりが脳裏を過ぎり最悪だと思っていた日常は、それでもまだ日常の形を維持していたのだと江利香は思い知った。


 佐藤浩介。兄が傷だらけになりながらも辛うじて維持していた日常だ。

 江利香は自分の事やかつての仲間や世界の有様を嘆くばかりで、兄がどんな思いでいるのか考えようともしていなかった。


 ずっと大事に持っていた穂村の写真が手から滑り落ちて、自分の祈りが兄を追い詰めたのだと江利香は思い、救世主じゃなく同じワンダーランドの職場仲間として江利香は穂村を思い出していた。

 そこにいたのは殺人すらも必要ならば躊躇なく実行する精神異常者だ。


「ああ……あ……あ……ああっ!」


 この世界で穂村雫と佐藤江利香は友人ではない。

 友人になれるほど互いに距離を詰めようとはせず、当たり障りのない距離でその場限りの付き合いしかしていなかった。

 そうしている内に世界はディストピアとなり、何時の間にか江利香は穂村をフィルター越しに見ていた。救世主という役割越しに。


 そのフィルターが剥がれ、垣間見えた穂村の異常性を江利香は醜悪だと思った。期待していただけにその失望感は計り知れない。


「エリッ!」


 絶望が江利香を突き動かし、彼女のバーチャルキャラクターである赤衣エリカを呼び寄せた。

 数年ぶりに見る変わり果てた主の姿に赤衣エリカは顔をしかめながらも命令を待った。赤衣エリカの禁則事項は『臆病』である。たとえ世界を滅ぼす手伝いだろうと付き合ってやろうとエリカは覚悟を決めていた。


「私にある全ての変身スロットを使い切っても良い」


 静かに宣言する佐藤江利香を警戒して動き出そうとした茜ヨモギと村雨ヒバナを穂村は手で制止した。彼女も世界を滅ぼす願いだろうと聞き届けるつもりだった。


「だから」


 涙を流しながら江利香は願い。


「この『神秘溢れる日本』を『何の変哲もない国』に変えて」


 世界を救済する為の言葉を放った。

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[一言] あくまとのけいやくのにおいがぷんぷん
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