ディストピア世界3
カシュッとミサキが変化した近衛隊の男の家で缶チューハイの開く音がした。アルコール度数の低いジュースみたいなお酒だが、ミサキは苦味しか感じない麦酒よりも果物を原料としたお酒の方が好きだった。苦いのは現実だけで沢山である。
「未だにお酒は販売してるんですね」
「んー? そうだよ。文明の全てが崩壊した訳じゃないし。レジスタンスは食料とかはどうやって調達してたの?」
「バーチャル力を代償にしてバーチャル界から購入してました」
「うっわ、ズルい。良いなぁー、今じゃ反則級のチートだよ。それ」
「現実の食料の値上がりと同じく、バーチャル界でも食料は高騰してますが……内部に畑がありますからね。何とかやっていけてました。もう、意味ないですが」
全滅したワンダーランドレジスタンスを思い出して穂村は目を伏せた。
一時期はバーチャル界を即時展開可能な隠れ家としてレジスタンス組織に提供していた時代もあったのだが、穂村が不在の時に謎の壊滅をして以来、バーチャル界の利用は必要最低限に抑えていた。招かれる事のない限り侵入不可能な砦。そういう認識でいた穂村は原因を探って奔走したが、発覚したのは人間モドキがバーチャル界の自己領域外を闊歩していた姿のみであった。
内通者。そういう言葉が穂村の脳裏を過ぎり、士気を必要以上に落とさない為、異常存在によって心を操られた疑いがあるとだけメンバーには告げた。
その一言で事件の真相を悟ってしまうような優秀な人材が集まっていた事もあり、逃げ場の多い現実世界で頻繁に隠れ家を変えながらレジスタンス組織は活動を続けていたのだが、先日、とうとう限界が来たのであった。
世界の何処を見渡してもアリス姫の影響を受けていない地帯などはない。例外は日本を覆う結界の外。海外のみだろう。アリス姫以上の力を持つ歴史に名を残した異能者が海外渡航を禁じている以上、海外拠点など考えるだけ無駄な事ではあるが。
「穂村ちゃんはさ。その、ね。まだ続けるつもりでいるの?」
「何をでしょう」
「……レジスタンス活動」
穂村の問いに、ミサキは生命活動という答えが浮かび眉間を押さえた。
せめて人間として死ぬ方が人間モドキになるよりはマシではないのかと、そんな思考がミサキの脳裏にはこびり付いていた。
穂村雫ならばエインヘリヤルだろうと完全に殺せる。つまり、自殺できるのだ。
どっちが、等という疑問を抱いてはいけない。
「続けますよ。他に選択肢など、ありません」
「アリス姫に目の敵にされてるもんね。投降なんてそりゃ出来ないか」
「いえ、そうではなく」
ミサキの言葉に不思議そうに穂村は首を傾げた。
「戦わないと勝てないじゃないですか」
「――――っ!」
至極当然の事であるように穂村は答えた。
この女は未だに諦めてはいないのだ。世界の全てが敵。そんな情勢で尚、勝つつもりでいる。
なるほど、とミサキは思った。
絶望的な戦力差で、死ぬと分かりきっていても、それでもレジスタンスに入ろうと決意させるような希望を穂村雫は抱かせる。もしかしたら。そう、考えずにはいられないのだ。
穂村雫の異能はバーチャル能力。リスナーの総数と注目が穂村の力となる。
既に何度も何度も穂村のアカウントや動画は政府に抹消されて来た。それでも、記録媒体に動画を保存して、穂村の写真を隠し持って、紙にペンでイラストを描いて。密かに民衆は穂村を支え続けていた。祈りが穂村の力となる。そう知っているから、自分達に出来る精一杯の抵抗として彼らは穂村雫を崇める。
救世主。
それが穂村雫に民衆が抱いた幻想なのである。
行き場のない感情のうねりが穂村に力を与えた。バーチャル能力はVtuberとしての登録者数が10万100万と桁が上がる度に能力が向上していく。
転移の重量制限や範囲制限など穂村にはもはや存在しないようなものだ。10万超えで空気など実体のないものすら転移対象となり、100万超えで物体の一部を転移させて切り飛ばせるようになり、1000万超えで転移で物体同士を融合させる事が出来るようになった。
その力を、自分だけの現実。意思だけで異能のルールに逆らうような穂村が持っている。
アリス姫の身体を手に入れたクトゥルフクリーチャー。穢れ姫が穂村雫を警戒するのは当然の話であった。もしかしたら。そう、向こうも考えてしまっているのだ。
「凄いなぁ」
ミサキは綺麗なものを見るような目で穂村を見た。
その鮮烈な意思はかつてのアリス姫を思い出させた。輝かしい記憶と共に。
彼女もまた穂村と同じ立場だったら諦めなかっただろう。
味方に異能を配り、強靱な敵の情報を調べ上げ、攻略法を考案し、共に立ち向かう。
そんな彼女の傍にいる自分を想像してミサキの目から涙がこぼれた。
高橋真帆。タラコ唇の魂が死んで、アリス姫は精神的に死んだ。仕方ない話だとは思う。全てが嫌になってしまうのも分かる。
でも、自分が死んでも同じように哀しんでくれたのかなという疑念がミサキの胸に突き刺さって取れない。
その答えはもう得られる事はない。古傷のように痛んで何時までもミサキを苦しめるのだった。




