ディストピア世界1
かつて、穂村雫の予知した未来はまごう事なきディストピアだった。
現状との違いは大きく分けて二つ。一つ目はリデルとユカリの不在による海外との貿易断絶。日本国民の4割分の食料しか満足に手に入らない事による餓死者の急増。大人災や魑魅魍魎の氾濫とは比べ物にならない数の死者を逆鎖国は生み出した。
二つ目はアリス姫に理性がなかった事。
日本の抵抗を削ぐために中核組織を狙い奇襲する。悪辣な手段で早期に日本の抵抗力を奪う事が出来たのは、アリス姫が抵抗して理性を保っていたからに他ならない。その強靱な精神と脳を歩く妖蛆に利用される形となったのだが、ディストピアの未来ではアリス姫は本格的に正気を無くしクトゥルフ神話のクリーチャーと化していた。
結果として日本の自衛隊や警察と真っ向から対立して、その全てを粉砕して、民間人を片っ端からエインヘリヤルにし続けるという手法をアリス姫は取ったのだ。
当然、そんな状況で真面な社会を運営し続けることは出来ず、一度日本の社会は根底から崩壊してしまっている。
隔離された小さな世界で、日本はエインヘリヤルとなった民間人達とアリス姫から隠れ潜む一部の民衆の手によって復興された。
歪に組み直された社会は食料が足りない事もあり人間から余裕というものを奪い取る。エインヘリヤルは死なないが、餓死状態で生き続けるのは死ぬより苦しい。ディストピア社会での新人類派閥と純人類派閥の対立は、日本社会が続いたパターンとは次元の違う争いを呼び起こした。純人類派閥というものが形成されないレベルで。
ディストピア社会、いや崩壊社会で一部の生き残ったインフラを頼りにアリス姫を頂点として復興した独裁国家。これが穂村雫の予知したディストピア未来の正体なのである。
だが、そんな破滅の未来においても尚、希望は残っていた。
かつて正気を失う前のアリス姫と共に苦楽を共にしていた人間達の生き残り。その中でもエインヘリヤルとして命令を下されない一度も命を失った事のない一握りの人間を中心に結成された組織。異能を振るう超越者達。
彼らをワンダーランドレジスタンスと言う。
「リーダーっ! 人間モドキが30以上、秘密基地に潜入してきてます! 穢れ姫の先兵共がっ!」
「落ち着け。俺らはここで終わっても魂までは冒涜されない。無闇に怖がるな」
「ですが穂村様はまだ仮想異界に潜ってる最中です。奴らの息の根を止める手段がありません!」
「時間を稼ぐんだ。初代におんぶに抱っこじゃ俺らがレジスタンスに加入した意味がない。お前らもまた目覚めし者の一人だろう!」
人間モドキ。エインヘリヤルの成れの果てである肉塊は他者の命令を聞けるだけの自我を残してはいなかったが、クトゥルフの悍ましき者共にとっては、ほど良い便利な駒であった。アリス姫は一定以上の人間をエインヘリヤルへと変えた後、素直に契約を結ばず抵抗をする人間達を狩る為に人間モドキを使役していたのである。
一回死んで絶対命令権の指揮下に加わった配下のエインヘリヤルも動員して社会全体で排除する対象。それがディストピア社会における純人類派の立場なのであった。
アリス姫が絶対的な恐怖として君臨する社会で異常存在の居場所はない。生き残りの人間達に空想が実体化できるだけの信仰を捧げるような余裕がないからだ。
エインヘリヤルの契約を結んだアリス姫の国民ならば遺物となった前時代のサブカルチャーを閲覧する事は可能だが、生まれた弱々しい怪異が目の前で人間モドキに喰われていては恐怖など感じない。
狙ったのかは不明だが、結果としてディストピア世界では特殊な方法を除いてエインヘリヤルを殺す事は不可能となったのだ。成れの果ても含めて。
「うぁああっ。腕が、俺の腕がァ!」
「畜生。時間稼ぎすらも無理なのかよ。チクショウ!」
「一匹でも多く、道連れにするんだ。死んでも戦い続けろ!」
長い、長い戦いで一方的にワンダーランドレジスタンスは数を減らしていった。
目覚めし者。『囁くもの』によって心の枷を引き抜かれても、自らの悪意ではなく良心の元に異能を振るう一握りの選ばれし者達が新たに組織へ加入をして来たが、焼け石に水だ。敵は死ぬ事がない不死身の集団であり、死の繰り返しの果てに悍ましき肉塊へと成り果てようと襲い掛かってくる悪夢のような化物なのだ。
一度死ぬだけで終わる単なる人間の異能者では相手にならない。アリス姫が気紛れに配下へ異能を渡す事もあり戦力は比べる事も馬鹿らしい程の差がある。
それはレジスタンスの中核メンバーであるワンダーランドの人間だろうと大して変わらない。むしろ死んだら組織の情報と強力な異能を持った敵対者に変わるので逆に味方の足を引っ張る事すらあった。
そして今回もまた、この戦力比が覆ることはなく。
穂村がバーチャル界から基地へ帰還した時にはもう、生きている人間は一人もいなかったのである。
「半分以上の肉塊がバラバラになっている。そうですか、頑張ったんですね」
銃を握ったまま事切れている仲間を見て、穂村は少し泣いているように見える笑顔を浮かべて、その場を去った。
続々と増え続けていた肉塊は穂村の出現と同時に細切れに分解されて、何故か復活しない。
ただ一人。穂村雫だけが、この絶望的な戦況で抗っていた。
全ての味方が倒れて。ただ一人になって。それでも尚。




