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そしてディストピアの未来へと前編

 穂村雫の予知したディストピアの未来。その未来に向かう過程は茜ヨモギの固有能力『予定調和』でも知る事は出来なかった。元より20秒間の近未来しか予知できない異能なのだから無理もないのだが。

 当初はその巨大な能力からアリス姫こそがディストピアの元凶だと穂村は思っていた。だが、アリス姫の事を深く知れば知るほど違和感が大きくなり、茜ヨモギがバーチャル界に没収される直前にはもう違うという結論が出ていた。そこから新たな未来のビジョン、人形のように意思のないアリス姫の姿を穂村は目にしている。


 別の元凶がいてアリス姫は利用されただけなのだと理解しても尚、止まらなかった。いや、止まれなかったのが穂村の異常な部分ではあるのだが、それでも未来を変えようと考察は続けていた。

 白岩姫は霞を掴むような思考実験を繰り返して何の行動も起こさなくなった穂村を見て、ディストピアの未来に抗うのを諦めたと失望していたが。それは誰よりも穂村を理解していたが故に、穂村の深層意識に抱いていた喪失への恐怖を見抜いたからでもあった。


 そして穂村は最終的に藤原史郎が原因で現代社会が変容または崩壊し、何らかの異常事態に陥ったアリス姫が文明再建を果たしたのではないかという結論を出した。

 突飛な未来予想だが、白岩姫が穂村の予想を元に警告の叫びを上げたように藤原史郎にはそれだけの怪物性があった。


 ディストピアの未来に至った理由の全てが藤原史郎のせいだと見做すのは実際の所は無理があったが、後世の歴史家がアイツのせいだと非難するくらいには藤原史郎が元凶ではあった。

 故に藤原史郎を止めればディストピアの未来は防げるのではないかという穂村と白岩姫の判断は正しい。正しいが、既に手遅れであった。




「何だありゃ」


 アリス姫は山川陽子を降霊した前田拓巳の身体を支えながら陽子の死体を見ていた。

 途中までは全てが上手く行っていた。悪霊の集合体の核と化していた陽子の霊を降霊術で抜き取る事で相手を雑多な霊の集合体とし、アリス姫の浄化結界の聖域で弱らせ拓巳が成仏させる。キャパオーバーに拓巳が意識を朦朧もうろうとさせながらも阿吽の呼吸で事前の相談すらなく二人とも自分の役割に徹し続けていた。そうやって何割かの悪霊を成仏させた時、単なる死体であるはずの陽子の身体が勝手に動き出したのであった。


 ガパッと大きく口を開けた陽子の死体が成仏できずに彷徨っている霊魂を吸い込んでいく。

 嫌な予感がしたアリス姫が浄化の魔法を強めても悪霊の未練が強すぎて食われるより前に消滅させる事も出来ない。


「マズいわね。バーチャルトラベルを発動しなさい。今すぐに」

「リデル、心当たりがあるんだな? 展開しながらで良いから聞かせてくれ」


 逃亡の為にバーチャル界への入り口を開きながらバーチャルキャラクターのリデルはオーディンの現神からの信託に強張った顔で答えた。


「あれは歩く妖蛆。相手の心を読んで好きな姿に変身できる能力を持つゾンビ。トゥールスチャの眷属」

「クトゥルフ神話の主神アザトースの宮廷にいる外なる神。緑の火柱か。死、腐敗、衰退を糧にする邪神。まさか」


 アリス姫は非常に似通った性質を持つ日本の神を連想して言葉にした。


伊邪那美命いざなみのみこと。日本の創造神の片割れが介入してきたってのか」


 現神の介入があったことを前提に今回の事件を思い返してみれば納得できる要素が多々あったとアリス姫は険しい顔をした。

 アイドルマインドのチートを持った陽子が怨念から悪霊になったまではいい。精神力でエインヘリヤルの契約を無効化することも不可能ではない。

 だが、その陽子の叫び声が霊障として日本全土に広まったのは明らかにおかしかった。悪霊となることでテレパシーが可能になったとしても格上の異能者であるアリス姫ですら1500キロの範囲までしか念話は届かない。陽子を中心として20万キロ近くも影響を及ぼせるはずがないのだ。


 また陽子の急激な成長も考えてみれば変なのだ。アイドルマインドで自分に向けられた恐れを吸収して成長する事は可能だが、何も聞きたくないと耳を塞いでいた陽子が自ら感情エネルギーを吸収していたとは考えづらい。被害にあった霊の吸収による集合体化など出来る能力すら持ってはいない。死んだ場所が自殺スポットだったが故に集合体化したと考えるにしても、同じ場所で死亡した霊を吸収して終わりだろう。


 この全ての謎は現神が関与していたのだと考えれば納得できてしまう。


「ふざけんなよ。陽子が何時、そんなことを望んだ。地ベタに座って泣いていた女の子を怪物に貶めて、それでも日本の地母神かよ」

「伊邪那美命は黄泉津神でもあるの。今現在ですら生者を呪い殺している設定を持つ日本最強の祟り神と考えれば何も不自然じゃないのよね」

「男に捨てられたからって子供を虐待して良いとでも思ってんのか?」

「馬鹿、不敬にも程があるわ。いえ、それ以前に……」


 オオォオォォォオオオオオンッ!

 奇妙な泣き声とも呻き声とも付かない叫び声と共に、ギクシャクと陽子の身体であった歩く妖蛆が立ち上がった。


「怒らせたみたいね」


 このリデルの声を最後にアリス姫の記憶は途切れている。




 歩く妖蛆。クトゥルフ神話のクリーチャー。人間の想像より生み出された紛い物ではない本物のクトゥルフ神話の怪異。

 日本の現神である伊邪那美命が抵抗もせずに侵食を受け入れた新たな神格、トゥールスチャ・バイアティス・グラーキといった邪神の力を基に組み上げた神造モンスター。


 それは戦うとか抗うとか出来る次元の存在ではなかったのだ。


 必死にバーチャル界へと逃げ込んだアリス姫達を歩く妖蛆は容易く見つけ、入り口をこじ開け。

 リデルの見ている前でアリス姫を食い殺した。幸運な事に食われたショックでアリス姫本人は死に際の記憶すらも覚えていない。


 それで終わってくれるのなら、まだ救いはあっただろう。

 歩く妖蛆は食い殺したアリス姫の魂を自らの魂と混ぜ合わせると、新たなアリス姫へと変異した。

 主の悪口を言われた復讐だとすれば行き過ぎではあったが、歩く妖蛆に他意はない。単に命令通りに動いているだけである。


 地上世界、葦原中津国あしはらのなかつくにをエインヘリヤルで埋め尽くせという命令通りに。

 伊邪那美命が泣いて苦しんでいる幼子を抱きしめる。ただ、その願いを叶える為だけに。


 地上は黄泉へと堕とされたのである。

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