偶像の叫び声8/八咫烏8
前田拓巳は暗闇の中、何処かに無限に落下し続けていた。
延々と続く風を切る感触に恐怖の感情が呼び覚まされる。落下死は地面に叩き付けられて死亡するのではなく、あまりの恐怖からショック死するのだという話がある。それ程、人は不安定な状況に弱い。
拓巳は心乱されながらも対応しようと祈祷を口にしようとして、ハッとして慌てて地面を転がって攻撃を避けた。
「避けたか。悪霊に奇襲されるなんざ滅多にないだろうに」
「千里眼で前もって見えていましたから」
「ちっ。力が隔たり過ぎているせいで力量すら把握できねえとはな。何が出来て、何が出来ないのかも分からん」
勝手に動く自らの口に、これは過去の情景だと拓巳は悟った。
目の前にいるのは八咫烏の構成員であるセイだ。拓巳が八咫烏に敗北して霊障に苦しめられた記憶を再現しているのだ。
このままではマズいと拓巳は記憶とは違う行動をしようと身体を動かそうとするが、全く自由になる気配はない。ある意味、当然だ。この状況を招いた陽子は八咫烏の悪霊や拓巳とは別次元の存在へと移行しようとしている。そんな存在の定めた法則に逆らうなど、八咫烏の悪霊に勝つよりも難しい。
大人しく過去の再現を受け入れるしか拓巳に選択肢はない。
グッと奥歯を噛みしめて拓巳は霊障に晒された樹木を見た。黒ずんで脆くなった樹木は今にも枯れて倒れそうになっている。
八咫烏の悪霊もまた尋常な存在ではなかった。
「樹木が壊死している。弟さんは病死ですか」
「正確には病弱な身体に悪霊を降ろした故の窒息死だ。無機物はともかく植物だろうと呼吸できなきゃ死ぬだろうな」
周囲に空気があろうと問答無用で窒息状態にする異能。そういう能力としてセイの弟であるアオは霊障を操った。
悪霊の特性や生態というべきテレパシーと物質のすり抜けを加味して考慮すると、これ程に暗殺として有効な異能もないだろう。
セイに任される職務は悪霊退治よりもそういう汚れ仕事の方が多かった。
「暗殺にゃ慣れてる。死なねえ程度にいたぶってやるよ」
「弟さんにそんなことをさせて貴方は平気なんですか」
「誤解があんな。国家機関である八咫烏の暗殺ターゲットだぞ。法を潜り抜けて好き勝手してるクソばっかだ。ちゃんと精査もしちゃいるが見逃す気になるような善人だったためしがねえ」
ある種の誇りを胸にセイは口にするが拓巳が納得することはなかった。
「違います。私は弟に人殺しをさせて平気なのかと聞いているんです」
「こっ、んの」
痛いところを突かれたセイは激怒して拓巳を罵倒した。
「綺麗事ばっかの偽善者が。ほざきやがったな!」
「綺麗事を言わないでどうするんですか。このままで良いと貴方も思ってないじゃないですか!」
「うっせぇんだよ!」
荒れ狂うセイの内面を表すように無差別にアオの霊障がばらまかれ木々が枯れていった。
今まで拓巳が会ってきた誰よりも分かりやすくセイは救いを求めていた。
例え本人が認めずとも拓巳には痛い程にセイの本音が聞こえるのだ。それは昔の拓巳の姿そのものなのだから。
『誰か、助けてくれ……』
もがき苦しみながら言葉にならない声で訴えるセイとアオの兄弟を救おうと拓巳は九字護身法を切る。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
次々と素早く両手で9つの本地仏を表す印を結び、刀印で四縦五横の格子状に線を空中に書く事で除災戦勝などを祈る作法である。
本地仏とは、本地垂迹説という日本の神々は仏の顕現した仮の姿であるという仏教を神道の上に置いた神仏習合思想で登場する御仏の事だ。九字護身法とは日本で最も強く効果を発揮するよう編まれた修験道にて発展した日本独自の密教秘術なのだ。
「やっべぇな、こりゃ」
余波で樹木を蝕む霊障すらも浄化されたのを見て、セイは冷や汗をかいた。セイの想像以上に拓巳は強力な霊能力者だったのだ。
殺害しないように手加減していたらこちらがマズいと判断したセイは静かにアオに告げた。
「アオ、本気でやれ」
【本当に良いのかセイ兄?】
「ああ」
悪霊を使役しているとは言っても所詮は依り代に過ぎないセイはアオが本気で祟ってしまえば諸共に霊障で倒れてしまう可能性がある。そうなれば死ぬのは格上の霊能力者である拓巳ではなく、霊感の鋭いだけのセイの方だ。そもそも拓巳が死んでしまうような事態は八咫烏にとっても本末転倒なのだが、それでもセイは躊躇わなかった。七人ミサキをアオから引き継ぐまでは滅される訳にはいかない。
セイは最初から組織よりも弟を優先していたのだった。
「やめてください、それでは!」
「いいから俺ごとやれえ!!」
拓巳の秘術の浄化とアオの霊障の呪詛がぶつかり合い拮抗し、時間経過と共にセイだけが血反吐を吐いて弱っていった。それでもセイは気力を振り絞って拓巳と相対し続けた。
事態は命を担保にしたチキンレースの様相を見せ、そして。
「このままでは彼は死ぬ」
(駄目だ手を弛めては!)
過去の拓巳は意図的に競り負けたのだった。
その先の結末を予期せぬままに。
相手を思いやる拓巳の優しさが、更なる悲劇を呼ぶ結末を招いたのであった。




