八咫烏2
「車を出せ! 今すぐ、ここから脱出しろ!」
「え、祥子さん? まだ橘さん達が……」
「そっちはアタシが何とかする! 拓巳を頼んだぞっ!」
公安警察の浅野麻紀に霊障で倒れた前田拓巳を任せると有無を言わさず前田祥子は再び車外に出て行った。
それを無理についてきた稲荷の会に所属する南透は黙って見ているしかなかった。如何に拓巳が指導をする稲荷の会のメンバーでトップの霊能力を誇るといっても拓巳自身が倒れるような事件に抗えるはずがないのだ。単なる足手まとい。その事は本人も十分に分かっていた。キツネに憑かれて人肉を食べた経験は十代の少女にとってあまりにも重い過去だ。
稲荷の会に所属するメンバーは中学生が中心だが誰一人として好奇心で拓巳に弟子入りをした者はいない。人食いとして避けられる現状と幽霊が跋扈する事実を知った彼女達に他に選択肢などはなかったのだ。君らも被害者だと食い殺されかけた拓巳は言うが、彼女達は犯してしまった罪を忘れてはいない。忘れられるはずがない。
だからこそ自分達の集まりを稲荷の会と呼ぶことに決めたのだ。キツネ憑きの集団であるという自虐と、抵抗の意思を込めて。
「拓巳君」
それでも透が無理矢理に同行したのは掲示板での警告が理由だった。ABEと名乗る正体不明の人物の、身代わりという言葉に酷い胸騒ぎを覚えたのだ。
前田拓巳は強力な霊能力者だ。行方不明になった子供を千里眼で見つける。浮遊霊を柏手で簡単に祓う。霊障で何年も寝たきりの人間を手を握っただけで起こす。
フィクションから現れたような歴史に名を残すような凄い、まだ中学生のクラスメイトだ。
「お願いだから、死なないで」
透は拓巳が霊を祓う度に、泣いていたことを知っている。もっと幼い頃から何度も霊に追い回されて危険な目に遭ったのだと知っている。
拓巳が決して、死なないわけでも傷つけられて平気なわけでもないのだと、知っている。
それでも誰かの為に自分を犠牲に出来る人なのだと知っているから、だから透はここに居た。拓巳を引き留める為に。
「ああ、もう。警察は何をしてんのよ。通報して何十分経ったと思ってんの!」
青白い顔でうなされる拓巳と泣きながら縋り付く透を見て、浅野麻紀は苛立たしげに車を運転する。
公安警察という日本でもトップクラスにエリートな人材であるという自負が稲荷の会という新興宗教に潜入してから粉々になっていた。
世界は自分達の思っていた姿とはまるで違い、民間人の子供こそが第一線で平和を守っているのだと突き付けられたのだ。嫌気も差す。
無力感に酒を飲みたい気分になりながら、猛スピードで車を飛ばす。速度を緩めてはならない。
何故なら窓に、子供の手の跡が幾つも増え続けているからだ。
バンバンバンバンバンッ。そう車を叩き付ける音が響く。止まれと。出てこいと言うかのように。
「南ちゃん。お願いだから祈祷して。このままじゃマズい」
結局は子供に頼ってる自分に辟易しながらも浅野麻紀は運転を続けた。




