(2)仙台城址
五月にしては強い日差しが、巨大な石垣を照らしている。
仙台城址の長い坂道を上る藤原の額には、薄っすらと汗がにじんでいた。暑さと疲労で歩みが止まる。
タクシーが脇を通り抜けて行った。
「ふう、こんな長い坂を上るとは思わなかった。タクシーを使うべきだったな」
藤原は車道を上って行くタクシーを恨めし気に見ながらつぶやいた。ショルダーバッグを舗装されている歩道に下ろし、前かがみになって休む。まるで、ゴール後のマラソン選手のようだ。
呼吸を整えて腕時計を見ると、集合時間が迫っていた。いつまでも休んでいる訳にはいかない。藤原は日頃の不摂生を反省しながら再び歩き出した。
最後の石段を上り切る。藤原の目の前には広い平地が現れ、転落防止の柵の向こうに仙台平野が広がっていた。ようやく仙台城の本丸跡にたどり着いたのだ。
土曜日の午前中というのに、本丸跡は既に多くの観光客でにぎわっている。特に「伊達政宗公騎馬像」の周りは、記念写真を撮る人達で混み合っていた。邪魔になるので、騎馬像の前で待つ訳にもいかない。
(これじゃ、誰がオフ会の参加者かわからないな。あと五分で集合時間だから、騎馬像を見渡せる場所で待つことにするか)
藤原は奥に進み、柵に近付く。今歩いて来た道と広瀬川が眼下に見えた。視線を移すと、平野に広がる仙台の街と太平洋が目に入る。
(あの海岸線の先に、石巻がある筈だ。あの辺りだろうか?)
この後に行く街の方向を眺め、騎馬像の方向に目をやる。写真を撮る人達に交じって、非常に目立つ人物がいた。白のオックスフォードシャツの上に赤いベストを羽織り、緑のズボンをはいている。イタリア国旗のような配色だ。この四十代くらいの恰幅の良い男はスマートフォンを見ていたが、ズボンで画面を拭い、ベストにしまって騎馬像の横に移動した。
藤原がこの人もオフ会の参加者だろうかと思いながら見ていると、ちょうど十時になった。
藤原は手を挙げる。騎馬像の付近でも次々に手が挙がった。写真を撮るために順番待ちをしている人や仙台の市街地を眺めている人達がそれに気が付き、何事が起きたのかと手を挙げている者達を見つめる。藤原は突き刺さる視線に耐えかね手を降ろしたが、一人だけ両手を振っている者がいた。赤いベストの男だった。
(きっとあの人が呑み助さんに違いない。しかし、他のやり方がなかったのか……)
藤原はそう思いながら、視線を避けるように歩き出した。
赤いベストの男の元に四人が集まった。一人は三十代前半くらいの人の好さそうな男。薄手のブルゾンにチノパンとスニーカーという服装で、リュックサックを背負っている。歩き旅に慣れている感じだ。他の二人は、ブルゾンの男とは対照的な二十代の男女だった。男の方はやせ型のイケメン。ゆるいパーマをかけたボリュームのある髪型で、耳にピアスをしている。革ジャンを羽織り、ジーンズの裾からは、紐の無いスニーカーのような靴がのぞいていた。女の方はセミロングの金髪に濃い目の化粧をしていた。なかなかの美人だ。胸の膨らみを強調するカットソーとミニのフレアースカートから出る脚が目を引く。
藤原はこの男女が場違いに感じ、オフ会の参加者には思えなかった。
「皆さん、支倉常長の秘宝オフ会の参加者ですね?」
赤いベストの男が訊くと、四人が同時にうなずいた。
「オフ会の主催者の『呑み助』です。名前は蜂須賀正敏と申します。本日はお集まりいただき、ありがとうございます。お互い……」
「えっ、蜂須賀正敏さんって言うんですか。もしかして、高級創作料理で有名な『大曾根屋』のオーナーさんですか?」
金髪の女が蜂須賀の言葉を遮った。
蜂須賀は話の腰を折られたことを不快に思うより、自分を知っている人物がいたことに嬉しくなったようだ。声が弾む。
「ご存知でしたか。『大曾根屋』のオーナーをしています」
「たまに、お客さんと一緒に銀座店に行くんですよ」
「ご贔屓いただき、ありがとうございます。私のことより、お互い初対面同士ですから、自己紹介から始めましょう」
「じゃ、私から。ハンドルネームは『虹色アゲハ』。名前は『リサ』でーす。東京でキャバ嬢をしていまーす」
リサと名乗る金髪の女は、あけすけに言った。
リサがキャバクラ嬢だと言ったことについて、藤原は見た目通りだなと納得し、自己紹介を始める。
「藤原定男と申します。新潟で自営業をしています。ハンドルネームは地元の有名武将にちなんだ『謙信』です。仙台に来たのは今回が初めてで、ここに来るのにも苦労しました。最近城に興味を持った素人ですので、色々教えてください」
藤原は軽く頭を下げた後、他の参加者の顔を見た。城と素人を掛けたのに、誰もクスリともしていない。打ち解けるために考えてきた渾身の駄洒落だったのに、見事に滑った。
赤面している藤原に向かって、ブルゾンの男が「城と素人を掛けるのは、メグラーあるあるですね」とバッサリ切り捨てて続けた。
「僕は『タッキー』というハンドルネームで、名前は滝川新太郎です。名前からわかると思いますが、タッキーというのはあだ名です。職業は仙台在住の地方公務員です。地元ですから、わからないことがあれば何なりと訊いてください」
滝川が言い終わっても、ピアスの男はなかなか話し始めない。滝川に肘で突かれて、ようやく自己紹介を始める。
「『ドラゴン』っす。あさ、浅見って名です。アルバイトやってます」
素っ気ない浅見の自己紹介が終わり、蜂須賀が参加者に向かって言った。
「全員の自己紹介が終わりましたから、予定通り二の丸にある支倉常長像を見に行きましょう。後に続いてください」
蜂須賀は一行を引き連れて本丸跡を出た。
藤原は登って来た坂道を下る。藤原の横には公務員の滝川、その後ろにアルバイトの浅見が続く。
前を飲食店オーナの蜂須賀が歩き、キャバクラ嬢のリサがまとわりついていた。
「大曾根屋さんって、何店舗あるんですか?」
「名古屋、大阪、京都、神戸に一店舗ずつ。東京には銀座に店があります。今度、横浜にも出店するんですよ」
「すっごーい。蜂須賀さんって大金持ちなんだ」
「それ程でもありませんよ」
蜂須賀は謙遜したが、否定はしない。
「ねえ、ねえ、今度ワタシの勤めているお店に来て。有名人と知り合いだって自慢したいしー。いいでしょ」
リサの胸が赤いベストから延びる蜂須賀の腕に押し付けられている。
蜂須賀とリサの会話を聞いていた藤原は、蜂須賀のニヤけた横顔を見て落ちたなと思った。
「横浜に建てる店は、古民家の材料をふんだんに使ったレトロ風の店構えなんですよ。そっちの店が開店したら来店してくれますか? 来てもらえるなら、リサさんのお店にも行きます」
「行く行く。約束だよ」
リサは蜂須賀の手を取って小指を絡ませた。つけ爪に施されたネイルアートが揺れる。
二人の様子を観察していた藤原は、リサの目的を理解した。
(リサさんがオフ会に参加したのは、顧客の獲得だったのか。通りでセクシーな格好で来た訳だ)
藤原が二人に気を取られていると、横を歩いていた滝川が話し掛けてきた。
「藤原さんは仙台城に来るのは初めてなんですよね」
「ええ、仙台に来たのも初めてですから」
「この石垣は圧巻でしょう。本丸北壁石垣と言うんですよ」
滝川は右側にそびえる巨大な石垣を指しながら言い、更に続ける。
「隙間なく組み上げられた石垣は、傾斜七十度高さ十七メートルもあるんです。仙台城の見どころの一つでもあるんですよ」
「詳しいですね」
「地元ですし、仕事柄詳しくなりました」
「お仕事は公務員でしたよね。城に関連する仕事というと、文化財の管理か何かのお仕事ですか?」
「いいえ、県の観光関係の部署です。城は観光資源ですから」
「そうすると、県下の城に関してはプロフェッショナルなんですね」
「そんな大層なものではありませんが、一応県下の全ての城に足を運んでいます」
「では、明日行く予定の……、上楯城でしたか、そこにも行ったことがあるんですか?」
藤原の質問に、滝川の表情は一瞬曇った。
「ええ、行ったことはあります。今はハイキングコースのようになっていますよ。門や櫓などの建造物はありませんから、よっぽどの城好きでなければ、楽しめない城跡です。観光で行くなら白石城がいいですよ。白石城は平成に復元された城ですが、三階櫓の中に入れますから面白いですよ。伊達政宗の片腕で有名な片倉小十郎の居城ですし、近くには武家屋敷もありますから、見に行って損はありません。そうそう、白石には名物の『うーめん』もありますし」
「うーめん?」
「素麺のような麺料理です。温かい麺と書いてうーめんと読むんですが、冷たい麺もあります」
「それは――」
藤原が言い掛けた言葉を滝川がさえぎる。
「今、『美味いんですか?』と言おうとしたでしょう」
図星だった。藤原は言葉が出ない。
「温麺の話になると、そういう駄洒落を言う人が結構いるんですよ。まあ、白石あるあるですね。肝心の温麺の味ですが、店によってそれぞれです。僕は駅近くの店が好きですね」
温麺について語った滝川は、次々と白石の観光情報を喋り出し、止まらない。
相槌を打ちながら聞いていた藤原が尋ねる。
「町の様子が目に浮かぶようです。ガイドもされているのですか?」
「観光地のボランティアガイドに所属している訳ではないですが、個人的に案内することはあります。休日にそんなことをするなんて仕事熱心でしょう」
滝川はそう言って笑った。それから、また喋り出す。
「あそこに櫓があるでしょう。あれは再建された大手門脇櫓です」
滝川が指差した先には、白い二階櫓があった。
藤原が脇櫓を見ながら歩いていると、いつの間にか滝川が一行の先頭に立っていた。滝川は丁字路の交差点の手前で立ち止まる。
「ここが大手門のあった場所です。大手門は国宝だったんですが、空襲で焼失しました。道路を挟んだ向かいが、支倉常長像がある二の丸になります」
訊かれてもいない説明をした滝川は、横断歩道を渡った。オフ会一行は滝川の後に続いた。