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 36話


「あ~お腹痛い~」

「しっかりしろマリー! これで最後だろ」


 最後の大仕事を前に、マリーの胃袋は早くも限界を向かえていた。実は、仕事の引継ぎが長引き昼食をとり損ねたマリーだが、とり損ねて良かったのかもしれない。


「ほれ! 背筋伸ばせ! みっともない」


 ギルマスであるトールの叱咤に顔を上げるマリー。だが両手は腹に当て、胃袋を労っている。


「草爺遅くない? もう来ても良い時間でしょ」


 八つ当り気味に愚痴るマリー。そこへ、お待ちかねの草爺が教会の神父を伴いやって来た。


「ぴったりだろ不良娘。なんだ、またストレス胃炎か? 弱いな~お前も」


 愚痴はしっかり聞かれていたらしい。


「では始めましょうか。神父殿、こちらへどうぞ」


 トールの合図で神父、草爺、マリーが位置につく。これにより、簡易ベッドの四方を囲う形になった。


 ここからは厳格な儀式の為、マリーも普段の態度を潜めている。

 今回はギルドの一室で行う為、ギルマスのトールが儀式の進行を務める。


「では、患者をこちらへ」


 トールの指示で草爺が、手術台のような高さの簡易ベッドにエルフの娘を寝かせた。


「それではこれより、リセット及びフォーマットの儀を行います。

 まず、私の方から改めて説明と確認を行います。

 今回行うフォーマットとは、リセットの上位術であり全ての記憶を消す術です。リセットでは消しきれず、残ってしまう心の傷を癒すためであります」


「・・・・ これが癒しとは欺瞞ですね」


 20代前半の若い神父は、なまじ高位の治癒魔法の使い手であるが故、この儀式に否定的な様であった。


「神父殿、儂ら医者は、人間は、出来ないもんの方が多い。この期に及んでは、間違いが無いよう最善を尽くす他はない。愚痴は終わってからにしろ」


「・・・・ そう、ですね。

 せめてこの術が彼女を癒し、救いとならん事を祈りましょう」


 神父は胸の前で手を組み祈りを捧げ、トールと草爺も祈りを捧げた。


「では次に、我ら四人で誓いをたてます。その後患者の容態を確認し、最終判断としましょう。

 誓いの内容ですが、真にリセットやフォーマットの必要があるのかを判断し、いかなる外部からの圧力にも屈さず、(ひとえ)に患者を救う為だけに施術する。これを誓ってもらいます。

 では、私から」


「私はこの方の状態を確認し、正しき判断の元、リセットやフォーマットの施術を行う事を誓います」

『私はこの方の状態を確認し、正しき判断の元、リセットやフォーマットの施術を行う事を誓います』


 ギルマスのトールに続き、神父、医者の草爺、後見人のマリーが誓いをたてた。


 四人とも、言葉もなく顔を見回し頷き合う。

 そして草爺が彼女にかけられていた眠りの魔法を解いた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■」


 声にならない叫び。

 それは、彼女の細い首からは想像も出来ない大きな叫びであった。

 マリーやトールは魔物の断末魔を知っている。人間の断末魔を知っている。だが、それらの方が遥かにましだ、と思える悲痛な叫びであった。

 草爺は、麻酔が効かず大の男が叫ぶような手術を何度も行い、その叫びを聞いてきた。だが、それらの方が遥かにましだ、と思える苦痛な叫びであった。

 神父が思わず耳を塞いだのも無理からぬ事であった。


 草爺により、また彼女は眠らされた。


「・・・・ 患者の状態は確認出来ました。皆様も宜しいですね?」


 トールの問いに三人が頷く。


「では、規定に則りリセットから始めましょう。」


 トールの言葉に室内の空気が張り詰めていく。

 息苦しさを感じる程の緊張感の中、リセットが施術される。


 トール、草爺、神父、の三人が、それぞれの懐から魔道具を取り出し、患者の額に乗せる。

 三分割された魔道具は少し厚みのある円形であり、重ねることで円柱となり、術の発動が可能となる。


 三人が更に何かしたようだが、患者の後見人であり、儀式への参加は今回限りのマリーにそれを知る権利はない。


 そして術が発動した。


 何も派手な事は起こらない。

 ただ彼女の目じりから光が漏れているだけだ。記憶が光となり、涙のように零れていくのだと言う。

 光は零れては溶け、消えていく。物語のように美しい情景。だが、まごうことなき死であった。

 呼吸すらためらわれる程の重苦しい静寂の中、彼女の記憶が消えていく。彼女の人格が死んでいく。

 

 四人が息苦しさを感じ始めた頃、光はおさまった。

 ほんの30秒程で彼女の人生はリセットされたのだ。


『・・・・ はぁ』


 重い吐息が重なる。


「・・・・ では確認してみましょう」


 トールの指示に、草爺が彼女の眠りを解いた。


「・・・・」

「・・・・」

「・・・・ よさそう、じゃない?」


 無言の彼女をマリーが覗きこむ。

 その瞬間、


「■■■■■■■■■■■■■■■■■」


 彼女は再び眠らされた。


「ごめんなさい、迂闊だった」

「マリー。リセットっちゅうのはな、記憶を消すもんだ。だから生き物としての根っこまでは消えん。歩いたり喋ったりな。

 リセット後もあの反応って事は、生存本能まで刻み込まれとる。儂の見立て通りフォーマット案件だった、それだけよ」


「それでは私からフォーマットの施術を提案します」


 トールが三人を見回し、皆が頷き同意を示す。


「では、フォーマットを」


 先程とは異なり、目じりから光が零れたりはしない。

 彼女の体がビクリと跳ね、その度に全身から薄い煙が抜け出ていく。

 何度も何度も彼女の体が跳ねる。その度に煙が出ていく。

 幾度繰り返されたか、簡易ベッドの軋みが耳につくようになった頃、一際大きく跳ね、仰け反ると、大きく開いた口から、青白く濃い煙が抜け出していった。


 それきり彼女は死んだように大人しくなった。


「・・・・ 確認しましょう」


 草爺が眠りを解く。


「・・・・」


 彼女は目を開け、一瞬キョトンとした顔を見せると、赤子の如き勢いで泣き出した。いや、まさしく赤子なのだ。彼女の人格が死に(フォーマットされ)、今一度この子は産まれたのだ。


「お~よしよし、元気いっぱいの良い子だ」

「フォーマットは無事成功致しました。これにて儀式は終了です。皆様ありがとうございました。軽い食事を用意しておりますので、良ければどうぞ」

「おう、お疲れさん。儂には酒付けてくれ」

「私は辞退します。とてもそんな気分にはなれません」


 フォーマットの際辛うじて悲鳴を上げなかった神父は、青い顔を伏せたまま逃げるようにギルドを出ていった。


「若いな。当事者達で話すのが気晴らしになるってのに。

 ・・・・

 それマリー。後見人だろ? 抱っこしたれ」

「え? まぁ、うん。

 そうだ、草爺。こうゆう人を預ける施設知らない?」


 二人の視線がマリーに刺さる。


「残念だがなぁ不良娘。そんな施設はねえ!」

「ちょうど空き時間が出来たとこだろ。しっかりしろ!」

「嘘でしょ!?」


 大人たちの大声に怯え、赤子も負けじと大声でなく。なまじ体は大人な為に、凄まじい声量である。


「話ができん!」


 マリーは彼女を『トランクルーム』へ放り込んだ。

 すぐさまトールの拳骨が飛ぶ。


「馬鹿たれマリー! もっと優しく扱え! まだ赤ちゃんなんだぞ!」

「いや、でも、体は大人「それより不良娘。名前はどうすんだ」


 エルフの彼女は、祖国の王族に連なる者であり、三人とも、偽名は必須との考えだ。

 加えて、後見人であり命名権のあるマリーのネーミングセンスの酷さも共通の考えである。


「えっ~と、

 ・・・・ 

 ・・・・

 じゃあ、私の名前から一つずらして、ミルンはどお?」


 何処と無く不評。


「それならミルクの方が可愛くないか?」

「ミルクはちょっと。

 何って言うか、あざとすぎない? それにペットみたい」


 名前を考えているうちに母親の自覚が出てきたのだろうか、それっぽい事を言うマリー。


「そう言えばミルクはお前の飼ってるうさぎの名前だったな。もう一匹はなんだったっけか」

「もくもくよ、白いから。雲みたいに真っ白、真っ白? あ!!

 よし!! これはどお?

 まっさらな状態からいろんな思い出をつくる、って意味でカラッポ。発音変えたら結構かわいいし、これでしょ!!」


 カラッポはお前の頭だ、そう言わんばかりの視線が二つ。


「良い思い出をたくさんつくる、その想い自体は間違っとらん。じゃから、たくさん積み重ねていく、カサネはどうじゃ?」

「カサネは可愛くないです」


 だがマリー以外には好評であり、その後も様々な候補が上がったがカサネを越えるものはなく、結局マリーが押しきられ、彼女の名前はカサネに決まった。



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