世界最大の天才
青年は驚愕していた目の前にいる存在は、
まさしく怪物だと。
体長五十メートルを超える巨体と
銃弾を容易にはじく白い鱗、聖なる翼を生やし、
羽ばたいた衝撃は爆風を生み出す。
そんな怪物を目の前にして
正気を保てる者などいないだろう。
しかし、青年は正気を保っていた
自らの目的の為に、命より大切な者のために、
自分はこの怪物を倒さないといけない。
そんな思いが、青年の精神力を
限界まで向上させていた。
怪物が空高く飛翔し、巨大な獲物を
食らわんとするほど口を大きく開ける、
だが捕食のためではない。
開けた口を中心に光の粒子が集まり、
神々しく輝いていた。
青年の精神は限界を超えた、
いや青年の本能が感じてしまった。
相手が繰り出すであろう純粋な死。
生物として相手が決して勝ちえることが
出来ない存在であると感じとってしまった。
青年はただ立ち尽くすことしかできなかった。
走馬灯のように過去の記憶が呼び起こされ、
時間が遅く流れる。ゆっくり瞼を閉じ、
もうあとはただ死を待つばかりであった。
「ダメーーー」
青年の前に少女が飛び出し、
青年を守る様に小さな体を
大の字にして広げた。
閉ざしていた瞼を開き、
青年の思考が絶望から戦闘に再び切り替わる。
なぜなら、飛び出してきた少女こそ
青年が命崖けで守りたかったものなのだから。
青年は少女を強く抱きしめ背中を盾にする。
相手が絶対に勝てない存在でも関係ない。
何としてもこの状況を生き抜いて、
いや守ってみせる。
青年は全身全霊尽くした、だが現実は変わらない。
空からは純粋な死が舞い降り注いだ。
世の中には、天才と呼ばれる、
生まれながに才能を持った者がいる。
西暦二五八四年現在、WSDと呼ばれる国際規模の組織がある。
そこには各国の天才が知識を振り絞り、
各分野の研究を進めている。
軍事、医療、経済、福祉、商業、生物、工業、芸術、
ここには世界最先端の技術が集まっている。
所属する研究員には最高の設備が施されており、
そこには物だけで言えば
どこぞの高級ホテルよりも快適に過ごせる様に
作られていた、研究員が自分の研究に集中できる様
環境を整えているのだ。それだけではない、
研究員が欲しい物があればすぐに用意を整えられる。
例えば、とある研究員が軽い運動をしたいと言えば、
施設内にスポーツジムを建設し、
軽く遊びに行きたいと言えば、
レジャーランドやカジノが運営された。
ただWSDにも研究成果による待遇の格差があった。
研究成果が乏しい者は予算の削減、
最悪の場合除名される場合もあり、
逆に優秀な研究成果を残した者には、
研究予算の増加、研究室の拡大、
人材の増員、各最新機器の特別支給などが施された。
そして、WSDの施設に一際大きな研究室がある。
そこには、WSD設立以来の天才がいた。
クロノ・D・アビスその人である。
彼の残した実績は人類の文明を五〇〇年先に進めた。
ある時は世界の均衡を崩すほどの軍事兵器を開発し、
ある時は常識を覆す次世代型のエネルギーを考案し、
ある時は燃料を必要とせず、汚染物質もださない
完全人力自動車を販売し、ある時は、次世代の
子供達を教育する学園を世界規模で経営した。
他の実績も上げれば切りがない。
だがそれは彼にとって自分の研究を進める上で
偶然に出来た産物でしか無かった。
彼の専門分野は医療。先ほど挙げた実績は
彼が研究資金を稼ぐためにやったことであった。
だが彼自身の本命の研究は
全く進まないでいた。
クロノの研究室に一室に歪な部屋がある。
一見ぬいぐるみに囲まれた
メルヘンな空間に思えるが所々に
灰色の医療機器がある。その中心には
かわいいフリルのベットの上に
横たわる少女がいる。クロノが部屋に入り
少女の長い銀髪を撫でるように優しくふれ、
少女を起こす。
少女は起き上がり、
眠そうな目を擦り、クロノを目を目を見て
「お兄さん今日もたくさんお薬のむの?」
嫌そうな顔で少女はクロノに言った
「ごめんな、ハピィ。出来るだけ量を減らせるよう
にしてるんだが、なかなかうまくいかなくてな」
申し訳なさそうに呟いたクロノは
どこか暗い雰囲気が漂っていた、
研究がうまく進んでないのはいつものことだ、
原因は別のことにある。
「うんうん。お兄さんが頑張ってるもん、
私も頑張ってお薬飲む」
そんな雰囲気を察したのか無邪気な笑顔を
クロノむけた、そんな笑顔見て、クロノは一時的に
幸福感に包まれると同時に心の奥深くでは
罪悪感が突き刺さっていた。
少女の名はハピィ、クロノの義理の妹である。
ハピィは原因不明の
不死の病に侵されていた。
遺伝性免疫不全症それが彼女の病名。
だがこの病名も仮のもので、
本当のところ、これがどんな病気なのか
解明できていない。
ハピィが犯されている病気は
定期的に体の状態を悪化させる。
発熱、頭痛、吐き気、咳、だるさ、腹痛、
様々な症状を引き起こす。
そして、この病気の厄介なところは、
成長するごとに症状が悪化することだ。
歳を重ねるごとに死の底へ近ずいてゆく。
そんな義理の妹にクロノは薬で
体の状態を安定させることしか
出来なかった。
ハピィに薬を飲ませた後別れを告げ、
クロノは隣の部屋に移動する。
そこで、共同研究員達とのミーティングをする予定
になっていた。
クロノの研究室には約十七人の
共同研究員おり、共同研究員はクロノ研究に助力する
代わりに知識の一部借り受ける研究員達だ。
クロノはハピィの病気の解決策を、
あらゆる分野から模索してる。
彼は天才だが、自分一人で行えることに
限界があることは分かっている。
そのため、何人か優秀な協力者が必要だった。
でも研究は一向に進まないでいた。
それどころか事態は最悪な方向に進んでいる。
今回はその件についてのミーティングだった、
普段集まりの悪いメンバーもほとんど揃っている。
それだけ重大な議題だった。
ミーティングが始まる前から空気は鉛のようだった。
「P61Gの効果が薄まってきています。」
そう最初発言したのは、金髪に濃いヒゲを
生やしメガネをかけた男性。薬品の研究を専門に
している共同研究員トーマス・ブリジンだ。
「原因は?」
クロノの質問に、トーマスは俯きながら答える。
「長期に渡る薬の服用で体に耐性ができています。
おそらく他の薬にも同様に効果が薄くなると
考えられます」
「どうにかならんのか?」
トーマスの解答に反応したのは、軍事兵器開発を
専門にしているクロス・ハーゲンだ。
軍事兵器といっても彼は人を守るための兵器、
防衛兵器の開発専門としている。
クロノが軍事兵器の開発に協力しているのは、
単純に研究資金集めだった。
「薬品治療には限界があります。直接の原因を
見つけないことには……なんとも言えません」
だんだん正気を感じなくなる声音に
他の研究員達も唾を飲み込んだ、
共同研究員はクロノの才能の恩恵を一つでも
多く授かるために集まった者達だ。
それと同時にクロノがハピィを救うため、
この研究にどれほど人智尽くし、
人生を捧げていたかを
もっとも間近で見ていた者達でもある。
こんな状況にどんな声をかければ良いのか
研究員達は戸惑いを隠せなかった。
このあと研究員の間で議論が飛びあった。
薬を強いのに変えてはどうか?、
配合を変えてみては?、
別の治療を模索してみては?
具体的な解決案が出ないまま現状をどの程度
保持できるか議論になる。
「どれくらい持たせられる」
クロノが重たい口をあけ発言した。
「薬の効果が無くなるのは二週間。
薬の配合を変えても一ヶ月もつかどうか……。」
トーマスは薬の天才研究家、彼が一ヶ月と言ったら
それ以上はどうにも出来ないのだろう。
「そうか……。トーマス、とりあえず一ヵ月
時間を稼いでくれ、その間に別の治療法を考える」
トーマスにそう厳命し、他の研究員達を見回す。
「他のメンバーも何か分かり次第、連絡してくれ」
落ち着きながら話すクロノに研究員達は
了承したと言わんばかりに頷いた。誰も意見する者は
いなかった。他の誰も解決方法を持っていないのだ。
それにこの場に誰よりクロノの才能に勝る者など
いないのだから……。
ミーティングが終わったあと、一人残った会議室で
クロノは天井を見上げていた。
時間が経つごとに研究員達の前では
押し殺していた感情が湧き上がってくる。
「クソッ!!!!」
怒号と共に手を机に叩きつける。
今まで押し殺していた怒りの感情が爆発したのだ。
「わかっていた……。こうなる事がわかっていたのに、
何もできなかった!!!」
激し怒りを吐き出した後に残った静けさが
クロノに冷静さを取り戻させる。
「まだ全部手を尽くした訳ではない……。大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように呟き、義理の妹を
救うため、思考を巡らせる。
(薬の効果をもっと強力にするか……
ダメだ副作用がひどくなるだけだ、
やはり直接的な原因を取り除く必要がある)
クロノは実行に移そうと思えば、
いくつかの治療法を思いついていた。
しかしどれもハピィの身体に負担をしいる
方法ばかりだった。だからクロノは今、
思いついている方法をできれば使いたくは無かった
ハピィにこれ以上の負担を強いることは、
研究の失敗でしかないからだ。
クロノにとって成功とは、ハピィが何不自由なく
暮らせることなのだから……。
クロノはあの日のことを思い出す。
ハピィの姉である幼馴染のことを……。
自分はあの頃、無力だった。病気のことを
知っていながら励ますことしかできなかった。
そして眠るように意識を失う幼馴染、
涙を流すことしかできない自分の姿。
あの時と自分は何一つ変わっていないのか………。
そんな疑問を抱きながらクロノはハピィの治療法を
探すため、再び長考へ入っていた。
あれから、三日たった。
画期的な治療法は見つからずにいた。
クロノは机でひたすらキーボードを打っていた、
思いついた治療法をデータにまとめ、
他の研究員に渡し複数の実験を同時に
行っているのだ。時に過去のデータを遡り、
見落としがないか確認していた。
一見単純な作業だが、
その雰囲気はまさに危機迫るものだった。
「少し体を休めたら、あのミーティング以来一
睡もしてないでしょ」
そう声を掛けたのは、金髪ショートヘアの女性の
共同研究員の一人、ミーシャ・クリスティ。
彼女は本来専門は経済だがクロノの研究室では
秘書のような立場に立っていた。
「あれから、何日たった」
クロノはキーボードを打つのを辞め、
ミーシャの話に耳を傾ける。
「あれから何日たった」
「三日よ」
「ならまだ大丈夫だ」
と言い放ち再びキーボードを
打ち始めようとしたクロノだが、
「大丈夫だ、じゃないわよ!!」
クロノはミーシャに叱咤され、頭を思っ切り殴られた。
プロボクサーに殴られたように鈍い音が
研究室に響き渡る。
「少しは休みなさい、そんなんじゃ良い解決策は
思い付かないわよ」
そうミーシャはクロノに言い聞かせ、
ソファの上に寝かせた。
「少しそのままにしてなさい、
それだけでも楽になるから」
そう言いながら、クロノの上に毛布をかぶせる。
こうでもしないと、クロノは作業を止めようとは
しないからだ、前に倒れた時は三週間徹夜で
作業していた。クロノに倒れられると
ハピィの研究とは別で進めている
プロジェクトが全て停止してしまう。
だから、それを止めるためにミーシャがブレーキ役として
秘書のような役回りになっている。
クロノも彼女がいることは自分の大きな利益に
なっていることを自覚している。
ハピィのことになると視野が狭くなり暴走することはわかっていた。それを止めてくれる彼女の存在価値は高いものだった。
「そのままでいいから、プロジェクトの近況報告だけさしてもらうわ」
ミーシャは横になっているクロノに同時に進行してるプロジェクトの進行状態。現在経営している事業の運営状況。そしてハピィの研究成果。つつがなく報告を終える。一通り報告を終えると
クロノは聞き返すことはいつも同じ。
「ハピィの病気で何かわかったことはあったか?」
ミーシャはまったくこの人はという顔をした。数多の才能を持ちながら、それをたった義理の妹の為だけに向けている。正直最初会った時は勿体無いと思っていた。これだけの才能をもっと他の分野に活用していたらどれだけ世界を変えらるだろうと、だが数年間側で見ていたことで気づいた、クロノが義理の妹を救おうと必死になるから彼の才能を活かしているということに。
「いいえ、手は尽くしているんだけど」
そんなことが分かった上で、年配である自分達が何の力にもなれないことにミーシャは劣等感を感じていた。
「そうか」
クロノは短く返す。ミーシャの考えていることなど気にも留めず、彼はソファから起き上がり、部屋の扉の前へと歩みだす。
「ちょっと!まだ休まないと……」
ミーシャの制止も構わずにクロノは自室を後にした……。