怒れる天使
一瞬見えた横顔は、これまでに見たことがないほどに憎悪に満ちていて。エルシャに向けていた刺々しい態度とはまるで別物だ。その迫力に、思わず物怖じしてしまう。
「リーシャ……!?」
抑えていたはずの力が……溢れだす! 彼女に何があったのか……聞こうにも、すでに飛び立ちあの悪魔へと突撃していく。彼女の身にまとう光はいっそうの輝きを増していく。
光は集中し、右拳に。おそらくはあそこに天使の力を一点に込めているのだろうことは予想できた。リーシャはそれを、眼前に迫る悪魔の顔面へと叩き込み……
「あーらら、ずいぶんな挨拶じゃないの」
しかし悪魔には届かない。リーシャの拳を、悪魔自身の手で受け止め……気だるそうな雰囲気を醸し出しながらも、その威圧感は並みの悪魔とは違うものがある。
間違いなく、ただの悪魔とは一線を越えた存在。
「っつつ、ヒリヒリする。何だよ天使のお嬢ちゃん、神様を助けに来たか?」
「そんな奴、どうでもいい。用があるのはお前だ……ようやく見つけた。悪魔四神ゴディルズ!」
拳を止められながらも必死の形相で叫ぶリーシャからは、これまでのような、穏やかな小動物みたいな女の子、のイメージは感じられない。ただ、目の前の相手に感情をぶつける。
……リーシャは、あいつのことを知ってるのか? あの様子……過去に、あいつと何かあったのか?
ゴディルズと呼ばれた悪魔は、片手でエルシャを掴み上げ、片手でリーシャの拳を受け止める。そして……『残った二本の腕』で腕組みをしている。
身長にして三メートルはあろうかという高さ、それに見合ったガタイの良さ。青黒い肌……何より、二本の腕とは別に背中からも二本の腕が生えている。
つまり、巨体に四本の腕を持っているのだ。
「んん? どうしてオレの名前知ってんだ?」
自分の名前が知られていたことに不思議そうにして考え込んでいる悪魔を尻目に、リーシャは一旦距離をとる。
「覚えて……ないよね。けど、私は忘れたことはない……お前の、こと。お父さんを殺した、悪魔のことを……!」
「……お父さん? …………あー、そういや前に、天界へ侵攻した時だったか?天使と関わりを持った人間を始末しに人間界に来たことがあったなぁ。
そんときにガキもいたが、もしかしてそれがお前か?」
怒りを剥き出しに、叫ぶリーシャと……とぼけているのか本気なのか、思い出したように告げるゴディルズ。その内容に、愕然としてしまう。
リーシャの母親と姉が悪魔に殺されたというのは、彼女から聞いていた。だがそれだけでなく、父親も……それも、すぐそこにいる悪魔に殺されていたなんて。
リーシャの怒りの感情の意味が、わかった。
「……えぇ、そうよ。あの時の子供が私」
「なぁんだ、あの時てっきり父親と一緒に消し飛ばしたかと思ったのに、生きてたのか」
その言葉は……リーシャの怒りの原因を認めるには充分なものだ。あいつこそがリーシャの父親を殺し、リーシャも共に葬ろうとした張本人。
今にも再び飛びかかりそうなリーシャであるが、それよりも先にゴディルズが口を開く。
「あーらら、失敗失敗。取りこぼしがあるなんてなぁ。……ま、しかしお前も不運だよな。どんな気分だった?」
「……は?」
「そんなクソみたいな人間の血が混じった体で生まれ……母親も、父親も悪魔に奪われたこの世界でみっともなく生き残り、みじめに生きる人生はどうだったんだ? ん?」
その言葉にリーシャは……いや、聞いていた俺達すらも苛立ちを覚えた。いや苛立ちなんてもんじゃない。全身の血が熱くなる感覚を覚えた。
リーシャの両親は、こいつらに殺されたんだ。しかも、自分が手を下しておきながらよくも抜け抜けとそんなことを……!
「お、お前……くっ、きっさまぁああああ!!」
ゴディルズの暴言……それはリーシャを爆発させるには充分すぎた。怒りの感情に比例するように輝きが増していき、再度突撃する。
突撃と言っても、先ほどのがまだ生ぬるく感じられるほどの。
「ぁあぁあああぁあ!」
「あーらら、ずいぶんお怒りのようじゃないの」
対するゴディルズは、余裕気な表情を崩さないまま……放たれるリーシャの拳にぶつけるように、己も拳を打ち出す。
拳と拳の衝突に、激しい衝撃音が鳴り響く。ただでさえ小柄なリーシャに、ゴディルズは三メートルの巨体。体格には圧倒的な差があるが……リーシャは、押されない。
「ほぉ、なかなかやるじゃないの。そんなちっこい体で」
「ぐ、ぅ……ぁああぁ!」
「しっかし、そんな感情任せじゃ……甘いな」
「! リーシャ、危ない!」
怒りに周りが見えなくなっているのか、横から放たれる拳に気づいていない。俺の声も届いていないのか、まともに重い一撃をくらってしまい……吹っ飛ばされる。
「リーシャ!」
「天使に元神様……やれそうな奴が揃ってこの体たらくじゃ、つまらねぇなぁ」
頬に拳をもらったリーシャは、口から血を流しながらもその闘争心は消えてはいない。ペッと血の塊を吐き捨て、憎き相手を睨み付ける。
「……目的は、私でしょ。なら殺すなりなんなりして……人間界から、出て行って。お願い……これ以上、みんなを……」
未だ捕まったままのエルシャは、弱々しい声でゴディルズに懇願する。あの、人間を見下してたエルシャが、自分を犠牲にしてまで……
だが、それは聞き入れられない。
「いんや、ダメだな。こっちにも都合がある……それにお前にはまだ役目がある。だからわざわざ殺さずにおいてやるんだぜ?」
役目がある……それだけを吐き捨てて、ゴディルズはエルシャを投げ捨てるように手を離した。もう動けない……ならばひとまずは用済みということなのか。
しかし受け身も取れないあんな状態じゃ、それこそ深刻なダメージを負ってしまう!
「エルシャ!」
「させませんわ!」
その体が叩きつけられる……寸前に、落下中の彼女の体は動きを止める。確認するとエルシャの体は浮いており……その正体は、オルテリアの神力によるものだった。
とっさの判断で、エルシャを浮かせたのだろう。さすがの判断力だ。それからゆっくりと、地面に下ろす。
「あの野郎……」
エルシャを手放したゴディルズは、すでに興味がなくなったかのようにリーシャと対峙している。役目がどうとか言ってたが、何か良からぬことにエルシャを利用するつもりなのか……?
「エルシャさん! 大丈夫ですか!?」
倒れているエルシャの所へと駆け寄っていき、声をかける。傷はひどいものだが、オルテリアがいるおかげですぐに治療可能だ。
そのはずなのだが……
「! どうして……回復、しないっ? 神力が、聞きませんわ!」
オルテリアの神力による回復を受け付けず、傷はそのままに。混乱するオルテリアとは対称に、俺は思い出していた。そういえば、エルシャには神力は効かないのだ。
神力による攻撃は彼女には無効果される。ならば回復が効かないのも当然……か。神力とは元々神様の力の下位互換。神様には通用しないのだと、当のエルシャから聞いたことがある。
「もん……だいない、わ。それにこの程度、どうってこと……」
オルテリアを落ち着かせるように、問題ないと告げるが……どう見たって、問題ないわけない! あちこち擦り傷、出血だらけ。骨だって何本イってるかわからない。
「っ……くそ、あのでくの坊め。本来の力さえ戻れば、あんな奴……」
奴も言っていたが……エルシャ本来の力は、この場を逆転できるほどに凄まじい力なのか。だが、無い物ねだりをしても仕方ない。
「……あの、子は?」
「リーシャか? あそこで……戦ってる」
エルシャが気にかけるのは、リーシャだ。そのリーシャは、ゴディルズと対峙しているが……怒りによってアドレナリンが出ているのだろうか。
徐々にゴディルズを追い詰めているようにも見える。
リーシャの力は、この状況を収めるためにも必要になるもの……だが、リーシャ自身怒りに我を忘れてしまっている。だがエルシャが危惧しているのは、もっと別のことで。
「このままじゃ……まずいわ」
「まずい? そりゃ、状況は最悪だけど……」
「それもだけど……あの子よ。時間が経てば経つほど力が弱くなっていくあの子に対して……あいつは、その逆。時間が経てば経つほど強くなっていく」
天使の力には時間制限があるというのは聞いていた。それは知っていたが……それが、あいつとの相性が最悪なのだという。エルシャが語るのは、ゴディルズの能力。
メルガディスにも、無から有を作り出すという能力があるのだ。あいつにも何かしらの能力が備わっていてもおかしくはない。が……
時間が経つほどに強くなる。よりによって、リーシャと対称的な能力だなんて。
「なら、手助けしないと……」
「……今のあの子に近づけば、下手したらこっちにも飛び火してくるわよ?そ れほど今のあの子は、余裕がない」
相性が悪いのなら、余計に手助けが必要だと思ったが……エルシャの言うことも、もっともだ。とはいえ、このままでもリーシャは不利になる一方だ。
「とはいっても、あの様子ならゴディルズの本領が発揮される前に、あの子が勝てるかもしれないけ……ど!?」
リーシャの勝利の可能性……それを考えるエルシャだったが、突然すっとんきょうな声を上げて固まる。
どうしたのかと、彼女の視線の先を辿ると……巨大な瓦礫が、こっちに向かって飛んできていたのだ。
「うっそぉ!?」
「ですわ!?」
リーシャとゴディルズの戦いの余波だろうか、無数の瓦礫が吹き飛んでいた。それに瓦礫だけでなく……激しい余波は、俺達にも影響を及ぼす。
衝撃に耐える間もなく、俺達はその場から吹き飛ばされてしまった。




