純粋なる想い
見えてきた希望……それは目の前で、音を立てて崩れ去る。目を疑いたくなる光景に……足が、動かない。だというのに、目が離せない。
「……かはっ……かい、ちょ……?」
何が起こったのかわかっていない……それは俺だけではなく、刺されてしまった本人であるネコ先輩も同じようだ。信じられないといった表情で、会長を見る。
会長は、驚くほどの無表情で……
「すみませんね、ネコ……でもね、この剣が血を欲しているんですよ」
うっすらと、笑った。突き刺した剣を勢いよく引き抜くことで、ネコ先輩はまたも吐血する。飛び散った血が、地面を赤黒く染めていく。
よろよろとふらつく彼女の姿を見て、ようやく体が言うことを聞き始める。早く動け、動けと。
「……ね、ネコ先輩!」
「大人しくしていてもらいましょうか……ヒロト・カルバジナ君」
だが俺が駆け寄るより先に、会長が剣を構えて接近してくる。すでに走り出していた俺は、避けることもできずにあっさりと。斬られて……
「させない!」
背筋が凍る想像が頭をよぎる中、横から衝撃が加わる。
それにより吹っ飛ばされる。だがそのおかげで会長の刃からギリギリで逃げることができ、何とか助かった。
衝撃の正体を確認すると、どうやらリーシャが神力で俺を突き飛ばしてくれたらしい。
「すみません! 大丈夫ですか!?」
「あぁ、ありがとう!」
突き飛ばしたことに対して謝られるが、もしもリーシャの助けがなければ、あっという間に斬られていただろう。それに比べればそれくらい安いものだ。
こんな状況で油断なんかしてないつもりだったのに……目の前で起こった光景が、あまりに衝撃で呆然としていた。
リーシャはというと、じっと会長を睨み付ける。偶然にも二人は試合でも戦った間柄だ、初対面というわけでもない。
あのときは、リーシャは負けてしまったが……天使の力ってやつを使えば。
「……どうも、試合以来ですね、リーシャ・テルマニンさん。どうです、あのときの試合の再現などここで」
「……この状況で何を……いや、あなたは敵……なんですか?」
その手で、持った剣でネコ先輩を刺したことに間違いはない。なのに、そんな事実などなかったかのようにただ笑みを浮かべている。
普段ならば爽やかに見えただろう笑みが……とても、不気味に映る。
あなたは敵か、とリーシャは聞いた。だがその答えなど、もうわかりきっている。だから彼女は警戒を怠らず、いつでもどうとでも動けるように構えている。
「せっかくだ、ここで見せてくださいよ……あのとき見せてくれなかった、天使の力を」
「なっ……!?」
油断を見せない……だがそれは、会長から放たれた言葉により密かな動揺を呼ぶ。
それはそうだ……天使の力、それは俺とエルシャ、そしてもしかしたら先生……ごくごく限られた人しか知らないはずだから。
なのになぜ、その事実を知っているのか……
「……やっぱり会長、悪魔と繋がってるってことか」
「ご名答! 彼らを招き入れたのも、僕ですよ」
考えられるのは……悪魔と繋がっている人物が、会長だということ。残念なことに、エルシャの予想が当たってしまったということだ。
以前悪魔に襲われたとき、リーシャは天使の力を解放して窮地を脱出したらしい。その際、悪魔に情報が漏れてしまったことは考えられる。そして、会長は悪魔からその情報を得た。
驚くべき事実……だがリーシャは、対して驚いた風もない。その理由は……
「その剣……魔の気配がする。あのときの悪魔と同じ……いやそれ以上の」
会長が手に持つ剣。それが悪魔と同等以上の魔の気配とやらを放っているようで、それを感じ取ったことでリーシャの警戒を高めるに至ったようだ。
あの剣についている血……想像したくないが、他の生徒や先生のものだろうか。ネコ先輩を容赦なく刺したように。
「えぇ……名を『魔剣デスピア』。キレイでしょう? 彼らに協力する代わりに頂いた代物です」
恍惚とした表情で剣……魔剣を見つめる会長は、まるで魔剣に魅入られてしまっているようだ。まさか、あれに操られているとか……?
「なぜ、こんなこと……あなたは人間でしょう!? ううん、自分の意思でこんなことをするなんて……もしかして」
「操られてる、と思うならハズレ。これは僕自身の意思ですよ。僕はね……悪魔になりたいんですよ」
「……は?」
操られてる、という懇願にも似た問いかけは本人の口から否定される。リーシャも、人がこんな所業ができると信じたくなかったのだろう。だからこその問いかけ……そして否定。
本人の意思。悪魔に協力するその理由……それは、自分が悪魔になりたい、という理解の及ばないものであった。
「人間なんてつまらない生き物、何の価値もない。僕はね、楽しく人生を謳歌したいんですよ。そのために、つまらない人間を捨てる、素晴らしいでしょう?」
この人が何を言ってるのか……理解できない。
「……それだけ、ですか?」
「? あぁ、そうですが?」
……あぁ、この人は嘘は言ってない。つまらないからそうした……ただこれだけのことしか思っていない。悪気とか、そんなこと考えてすらいないんだ。
「そんな……」
「まあ、理解してもらおうだなんて思ってません。それよりもさあ、早く天使の力を解放してくださいよ。数よりも、より強い力を持つ者の血を吸わせた方がこの剣も喜ぶんですよ」
理解などするつもりもないし、向こうも求めていない。すでに考えが違うのだ、互いの意見が交わることはない。
会長がやけにリーシャに力の解放を促すのは、より強い力を得たリーシャの血を魔剣に吸わせるためだと言う。
その方が数よりも効果的だと……そんなことで、この人はたくさんの人を斬ってきたというのか。
「貴女も私を許せないでしょう? さあほら……」
「かっ……ぅ、はぁ……かい、ちょう……まだ私は、倒れて…………ないよ」
震える声……先ほどまでの元気な様子はそこにはなく、今にも倒れてしまいそうなネコ先輩がそこにはいた。その体から、真っ赤な血を流しながら。
「おや、まだ動けましたか」
「にゃはは……私がしぶといの…………よく、知ってるでしょ……」
弱々しく笑うその顔には冷や汗が流れ、息も絶え絶えだ。どうやら、急所こそ外れたものの傷は決して浅くはなく、見ていても痛々しい。
傷口を押さえ、その手には淡い光が輝く。おそらく神力で治療しているのだろう、おかげで血の流れは止まる。しかし回復まではしないようで、相変わらず顔色が悪いままだ。
「はは、治癒は……得意じゃ、ない……けど……」
「先輩、無茶しちゃダメです! 会長は……あの男は、悪魔に……!」
「うん、聞いてた…………だからこそ、私が……あのわからず屋を、ぶん殴って、正気に、戻す!」
そう言って会長と向き合うネコ先輩の目は、確かな覚悟を秘めていた。しかし、正気に戻すなど……それほどまでに会長に心酔しているのだろうか。会長はもう、聞く耳など持たない。
「正気ったって、あれが会長の本心で……」
「かも、ね。だから…………いっぺん、頭空っぽになるまで、殴る」
ネコ先輩の言うことはともかくとしても……確かに、そこまで追い込むくらいしないとただ蹂躙されてしまうだけだ。ただでさえ神力学園の生徒会長、おまけに魔剣まで持っているのだ。
彼を止めるには、それこそ全力で相手をするしかない。
「あはは、いいでしょう。なら私は、あなた達の血をこの剣に捧げるとしましょうか!」




