あのときなにがあったか
私のにおいについては放っておいても問題ないだろう。乙女的にはまったく放っておけない案件ではあるけど……それよりも、今は別のことだ。何か他に手がかりは……そう考え、ふと気づいた。
そういえば、私達がここへ来れたのは精霊であるレイのおかげではないか。つまり、レイは一部始終を知っている可能性が高い。
「レイ、何か見たり聞いたり……何でもいいの。知っていることを、教えて」
何でもいい、とにかく手がかりがほしい。すがるようにレイに話しかけるが、何の反応も見せてくれない。
やっぱりダメか……そう思いかけたとき、ふいに淡い光が私を包み込む。それは、レイから発せられるもので……まばたきをした瞬間には、景色が変わっていた。
『ここは……?』
今……走っている? どこかを移動しているようだ、それもものすごいスピードで。どこに行こうとしてるのか、それはすぐに明らかになる。
視界に、誰かが映る。その誰かはだんだん近くなっていき……黒い霧に包まれた、青髪を視界に捉えた。まさか……オルちゃん、なの?
黒い霧に包まれ、ハエを払うように抵抗している。しかしそれは全くの無意味で、次第に自分の体を守るように腕をクロスする。それさえも、意味はなくて……
もしかしてこれは、レイの記憶? オルちゃんのところに駆けつけた、レイの視点。それを、私は今この目で見ている。あのとき、何があったのかを……
黒い霧が何かはわからない。だけど今、確実にオルちゃんは襲われている。なら、早く助けて……! レイ、何でただ傍観して……
『っ……誰?』
ふと、強い頭痛のようなものがくる。何事かと思い辺りを見回すと……オルちゃんの傍らに誰かが立っているのが見えた。黒い、とても邪悪な気配。顔は、見えない。でも、黒い羽が舞っているのが見えた。
この、頭から押さえつけられるような感覚。まさか、あの邪悪な気配が、レイの力を抑え込んでいる? いったい、何者……
『ぁぐっ!?』
突然に、猛烈な痛みが腕を襲う。いや、痛みなんて生易しいものじゃない。まるで腕に噛みつかれ、無理やり肉を千切られるような……
でも今私は、レイの記憶を元にあの光景を見ているはずだ。なのにこの痛みは何なのか? 腕を確認しようにも、精神体でしかない今の私に腕どころか体なんてない。
そもそも、腕がないのに腕が痛いなんて、そんなことがどうして……
『まさか……』
もしかして。頭をよぎる嫌な予感に、視線をオルちゃんへと向ける。すると黒い霧に阻まれてよく見えないが、彼女の腕の肉が露出している。
それも、私が痛みを感じた、同じ右腕。
つまり……今私が感じた腕の痛みは、そのままオルちゃんが感じた痛みということ? それを、レイを通じて私も体感してしまっている?
「あァっ!」
次は、左足。思わず立っていられなくなる痛みだが、残念ながら私には立つための足がない。精神体なのだから。
それでも、ちゃんと足があるはずのオルちゃんは、倒れない。泣きたいはずなのに泣かず、叫び声すらあげず、必死に耐えていた。
「ア、ぐっ……はっ……がぁ、あぁあっ!」
『い、ぎぃ……がっ、ぐ……ぅあ、ぁ!』
直接襲われているオルちゃん、それを体感している私。誰に聞かれるわけでもないけど、声を押し殺す。けれどそれが返って、痛々しさを感じさせる。
文字通り肉を、服を、髪を、食い千切られる。想像を絶するそれは、しかし逃げ場などない。振り払っても実態のない霧は払えず、そもそも動ける体力や気力すら奪われているのだ。
辛い、苦しい……いつ終わるともわからない痛みの嵐。自分でもわかる……肉が食われていくのが。記憶が食われていくのが。人格が……
『……ぁ?』
終わりを求めて、ただただ願い続ける。そこへ文字通り、光が差した。私の……正確には体感しているレイの……体が、輝きだしたのだ。
焼けるような痛みのせいで気づかなかったけど、いつの間にかあの押さえつけるような感覚はなくなっていた。それにより、レイは力を発揮し始めたのだ。
レイの……精霊の輝きは、黒い霧を晴らしていく。もしもあれが生き物なら、光を嫌がっている、という表現が正しいかもしれない。
たとえそれが正体不明のものであろうと、抗えない。精神の光にあんなに拒絶反応を見せるということは、やはり魔の者なんだろう。
霧が、消えていく。消える、といっても存在がという感じではない。この場から、逃げるつもりなのだろう。押さえつける力がなくなった、つまりあの邪悪な存在も消えている。
なぜかはわからない。狙いがあるのか、気まぐれか。でもおかげでレイは力を発揮することができる。
それと同時に、視界が揺れる。どうしたんだ、と思ったが……そうか、オルちゃんに一連の何かが起こったか、それを見終わったからレイとの繋がりが切れていくのだ。
……見終わる、なんて表現では済まないものだったけど。
あの感覚を、思い出すだけで身が震える。吐き気すら覚える。あの、体を千切られる感覚に。自分の中の大切なものが食べられていく感覚。胸くそ悪くなる、あの嫌な感覚をオルちゃんは……
「リー姉!」
「はっ……!」
混乱する頭の中に、一つの声が響く。それに反応して目を開けると、そこにはレイと繋がる前に見た景色。も、戻ってきたんだ……
「大丈夫? すごい汗……」
「え……?」
指摘され、額を拭うと……まるで激しい運動をした後のように、汗が手にべっとりと付いていた。さらには、動悸も早い。呼吸も、荒い。
「急に倒れてびっくりしたんだから」
「うなされていたぞ、何かあったのか?」
……そっか、私……レイと繋がっている間、倒れてたんだ。そしてあのときオルちゃんが体験した感覚を共有したことで、現実の私はうなされていたらしい。
「大丈夫……あり、がと……」
「大丈夫って……顔真っ青だぞ?」
起き上がるが、それだけでもふらついてしまう。エドさんが支えてくれると、それに寄り添う形になる。ヤバい……相当、キテる。




