悲しき敵意
「…………」
静寂の空間。ひゅう、と吹く風だけが、この場に音を届かせる。それほどまでに、彼女らは言葉を話すことも、行動を起こすことも忘れていた。
風になびく髪を押さえる気力も湧かない。いっそこのまま、胸に落ちたこの虚しい気持ちも風がさらっていけばいいのに……そうなることは、当然なくて。
目の前の出来事を、現実だと思えない。いや、思いたくない。でも、向き合わないといけない。そうしないと、前に進めないのだ。
でも……
「もう一度聞きます。……誰ですか、あなた達は」
「っ……」
踏み込む前に、目の前の彼女から再度の問いかけ。しかしそれは、先ほどの何もわからず状況確認を求めるものではない。彼女の瞳が、そう語っている。
……鋭い、瞳が向けられる。睨み付けるような、それでいてどこか不安げな視線。わかっている、今一番混乱しているのは、彼女自身だってことくらい。
でも私は……再度の問いかけにも、答えられなかった。だって、彼女の瞳が……親しみを持っている相手に向けるものではなくて。まるで"敵"に対してのそれだったから。
そうか……彼女にとって今の私達は、正体のわからない誰か。そんな相手に親しみを向けろという方が無理だろう。警戒……これが、一番しっくりくる。
私は彼女から……オルテリア・サシャターンから初めて、敵意のこもった視線を向けられている。
「ぁ……オル、姉……」
その気まずい沈黙を破ったのは、ユメちゃんだ。私とは違って、一歩踏み出す勇気のある子……あるいは、このメンバーの中では一番オルちゃんと付き合いが短いからこそかもしれないが。
「ホントに……覚えてないの?」
いや、一番付き合いが短いとか関係ない。現にユメちゃん、震えているではないか。
怖くないはずがない。確認するのが、恐ろしくないはずがない。だけど……
「……知らない。あなた達のことなんて、知らない」
勇気ある問いは、無慈悲な一言によりあっけなく押し潰される。「知らない」……覚えてない、ではなく、知らない、だ。
首を振り、瞳に映った不安と警戒を濃くする。体を抱き締めるようにして、一定の距離を保っている状態だ。
見知らぬ場所、自分の名前すらもわからない中でこの人数に囲まれて、平静でいられるはずがない。それはわかっている。頭では理解しているんだ。
それでも、まさかオルちゃんにそんな目で見られる日が来るなんて、思ってもみなかった。
「あのね……わたし、たちは……あなたの、おとも、だち……だよ」
目頭が熱くなる。声が震える。いけない、耐えろ私。見知らぬ人間がせっかく歩み寄ろうとしているのに、いきなり泣き出したら不審者確定だ。
だから耐えろ私。今は、オルちゃんの前ではせめて、気丈に振る舞わないと。
「おとも、だち?」
私の言葉を復唱し、噛み締めるようにして私達の顔を見回している。相変わらず警戒の色は消えないが、それでも、私達のことを受け入れてほしい。せめて、仲良しだったんだよと伝えたい。
大丈夫、記憶はなくなってもオルちゃんはオルちゃんだ。友達想いのオルちゃんなら、きっとすぐに私達のことを思い出して……
「知らないって言ってるでしょ。私の中に、あなた達の記憶なんてこれっぽっちもない」
……思い出して、くれて……それで……それで。
「なんなの、いきなり友達だなんて……それにここはどこ。私は……うっ」
立ち上がり、オルちゃんは私達から距離を取るように後ずさる。今までに見たことのない姿に……すぐに記憶を思い出して、なんて楽観的なことは考えられなくなった。
現に敵意を向けられ、オルちゃん自体も名前を思い出そうとしてすら頭を押さえている。痛みか、あるのだろうか。
何で……どうして、こんなことに……
「すんすん、すんすん」
「な、なに……?」
何をどうすればいいのか、わからない。頭の中がくしゃくしゃになっている。他のみんなも、同じなんだろうか……そんなとき、オルちゃんの近くに寄っていく人影があった。スカイくんだ。
まるで、何かにおいを嗅いでいるかのような仕草に、警戒中のオルちゃんはさらに警戒を強めたように感じる。な、何をしているんだあの子は……
「す、スカイくん……?」
「んー……なんかくさい」
ピキッ……空気が割れる音がした。ただでさえ一触即発な空気に、爆弾が落とされた感覚だ。記憶をなくしたとはいえ、女の子にいきなりくさいって……それは、ちょっとあんまりじゃないかな?
だけど、その後に続いた言葉により今の言葉の意味がわかった。
「なんか……まもののにおいがする。あの……たいざいまじゅー、ってやつ」
「!」
それは、オルちゃんがこうなったしまった可能性を示す、言葉だった。
今スカイくんは、確かに言った。"大罪魔獣"と……オルちゃんに、そのにおいがついている、ってうこと? それってつまり、オルちゃんは"大罪魔獣"と戦って……その結果……?
「スカイくん、それ本当なの……?」
「んー、こないだ会った『たいだ』と同じにおいがしたから、多分そうだと思うよ」
スカイくんが魔物のにおいを判別した、それはこの際問題ではない。天使に化けた悪魔を見抜いたり、魔物と合体したりと不思議な子だが、そこにもはや疑いの余地はない。だから、今回の件も本当なのだろう。
"大罪魔獣"というより『怠惰』と同じにおいを感じたとのことだが、意味としては同じことだ。『怠惰』のにおいを感じたからこそ、同じ組である"大罪魔獣"の存在がわかったわけだ。
そしてそれと、オルちゃんの今の状況が無関係だとは思えない。
「スカイくん、他に、他に何かわからない!?」
何でもいい、今はとにかく情報がほしい。明らかになることが増えれば、今後の対策も立てやすくなるはずだから……
「うーん……なんか、リー姉っぽいにおいもする……」
「私!?」
他にも何か手がかりを……そう思って聞いたのだが、まさか私のにおいがすると言われるとは。いやそれ、長年パートナーとして旅をしていたからではなくて?




