一人きり
「けほけほ! な、何ですのいったい……!」
霧が開け、視界良好。霧を吸い込んだわけではないが何度か咳込み、ようやく目を開ける。
そこは、さっきまでいた場所と何ら変わりのない場所……ただ、彼女の隣にいるべき人がいないことを除けば。
「あ、あれ……リーさん? ユメちゃん? どこですの?」
霧が出る前、確かに隣にいたはずだ。その人物が、今はいない。どういうことだろう。しかも、二人とも。
霧の中、動き回った? 彼女らに限ってそんな迂闊なことをするだろうか。仮にそうだとして、自分に何も言わずに動くだろうか? それも隣も見えないほどに深い霧の中を。
天力を使えば明かりを使って動けるかもしれない。だが光なんてなかったし……それならなおのこと、自分と一緒に行動するだろう。
二人だけで移動したなんてそんな意地悪、この状況ではしないだろう。
「リーさーん! ユメちゃーん! ドッさーん! スカイくーん! ゴンちゃーん!」
一人一人メンバーの名前を呼んでも、返答はない。このまま一人でじっとしていても仕方ない。仕方ないので、歩いて探すことにした。
単独行動は危険だが、この際そうも言っていられない。移動するのは危険かもしれないが、じっとしていて事態が好転するわけもなし。
そう結論付け、歩きだそうとした時だった。ふと、視界の先に人影が現れたのだ。顔は見えないが……あの赤っぽい髪の色は、ユメだろうか。
判断するや、その足は駆け出していた。
「……あれ?」
一瞬だった。赤髪との距離が近くなってきて、まばたきをした一瞬のこと。今の今まで見えていた赤髪は消えており、何もなくなっている。
ほんの一瞬のまばたきの間に人が消えるなんて、そんなことがあるだろうか?
再び辺りを見回す。誰もいない。まるで、この世界にただ一人だけ残されてしまったかのようだ。
リーシャはよく、オルちゃんがいなかったらとっくにダメになってた、なんて言う。だがそれは、オルテリア自身も同じことだ。
もしも一人だったら……旅なんて続けられなかった。続けていたとしても、どこかでおかしくなっていただろう。
だから、オルテリアはリーシャに感謝している。いつも一緒にいてくれて……それだけで、彼女の救いになるのだ。今ではメンバーも増え、賑やかになった。中にはあのアカリの妹もいるのだ。
それでもやっぱり、リーシャだけは特別で。恥ずかしくて本人には言えないが、尊敬すらしているのだ。
天使と人間のハーフだなんていう運命を背負い、それでも元気に生きていた彼女を。血の繋がっていない母とあそこまでの関係を築ける彼女を。
カーリャと言った、天使の女性。リーシャにとっての育ての親で、血は繋がっていないが母も同然。本当の母とは直接会ったことがなく、現在行方不明らしい。生存は絶望的。加えて、姉は殺されたというのだ。
そんな過去を持ちながらも、今をしっかり生きている。以前天使を中心にした集落と合流した時に見たリーシャとカーリャのやり取り。
血は繋がっていなくても、血の繋がり以上のものを感じさせられた。うらやましいと思った。
だって、オルテリアは実の母と……
「……っ!」
ふと、背後に気配を感じる。とっさに振り返り……目を、疑った。
「久しぶりだね、オルちゃん……」
そこにいたのは……話しかけてくる人物は、オルテリアの身知った人物。いや、見知ったと評するにはあまりにも足りない。オルテリアの心の一部を占めている、と言っても過言ではない。
大袈裟な表現などではない。なぜならばその人物とは……間違いなく、間違いなくアカリ・ヴィールズだったのだから。リーシャ、オルテリア、そしてユメにとって切り離せない存在。
それほどまでに大切な存在。
その姿、声、間違えるはずもない。明るい赤色の髪……さっき見たのは、これだったのだ。見覚えのあるもの。
妹のユメでなく、アカリ本人の。
「アカリ……さん……」
その瞬間、考え事が一気に吹き飛んだ。会いたくて会いたくてたまらなかった人物が、目の前にいるのだ。学園での思い出が、よみがえってくる。
彼女は、活発で明るくて実は照れ屋で。努力家で嫌味がなくてまっすぐで。
オルテリアが一方的にライバル扱いしてもそれを受けてくれて、友達とさえ言ってくれて……そして、死んだはずで。
そう、彼女は死んだはずだ。リーシャも、その遺体を見たと言った。いるはずのない人物。だというのに……なぜ、ここにいる? もしやこれは夢だろうか?
そうに違いない、それならば他のメンバーが見当たらない理由にも説明がつく。
ならば……これが夢ならば、受け入れてしまえばいい。そうすれば、彼女とずっと一緒に……
「そうだよ、オルちゃん」
ずっと聞きたかった声が、耳に届く。忘れられない顔が、そこにはある。あの頃と同じ笑顔で、見つめてくる。
あの頃はいつも突っかかっていたけど、この笑顔を見ると何も言えなくなってしまったけ。
彼女に勝ちたくて突っかかっていて、でもそんな彼女の後ろを追いかけるのが楽しくて。そんな矛盾した気持ちが何だか心地よくて。
もしもあの時間が続いていたなら、今でもきっと笑いながら競い合っていただろうか。
微笑みながら近づくアカリ。彼女は手を差し伸ばし……その距離が近づく。その手に触れてしまえば、抑えていた気持ちが決壊してしまう。リーシャにも見せたことのない情けない部分をさらけ出してしまう。
……いいじゃないか、ここには彼女しかいないのだから。
彼女の前で泣き喚いて、感情を爆発させてしまっても……
「ねぇオルちゃん、ずっと会いたかっ……!」
そしてその未来は、現実とならなかった。アカリが全てを言い終える前に……なぜかその言葉が中断する。いや、中断させられる。
アカリの頬はへこみ、まるで世界がスローモーションになったように……アカリが吹き飛んでいた。
それはなぜか。簡単なことだ……オルテリアが近づくアカリの頬に蹴りをいれ、思い切り蹴り飛ばしただけのことなのだから。 回転を加えて、宙を舞った彼女の体は、近くの岸壁に激突する。
岩壁にぶつかったことで吹き飛んでいた勢いは止まる。ぶつかった当人は戸惑った表情を浮かべている。当然だ、親愛を持って近づいた相手に問答無用で蹴り飛ばされたのだから。
額を押さえながら……
「な、何するのかなオルちゃん……ひど、いよ」
アカリは泣きそうな表情を向ける。それは本来であれば、保護欲が出てきてもおかしくないほどのかわいらしい表情だ。加えて額からは血が流れている。
だが……
「その呼び方はやめてください。アカリさんは、私のことを『オルちゃん』なんて呼びませんわ」
戸惑うアカリの言葉をばっさり断ち切るのは、今しがたアカリを蹴り飛ばしたオルテリアだった。




