別れ
……
「……う……」
あ、れ、私……どうなったんだっけ……? 体が痛いし、それに……焦げ臭い。これは……鉄の匂い?これって、いったい……?
確か……何か嬉しいことがあって。それを一刻も早くお父さんに伝えたくて……それで家に帰ってそしたら……
「……お、と……さ……」
お父さん……そうだ、お父さん! 帰ったら家がめちゃめちゃで、お父さんが倒れてて、変な男が現れて……意識を失う直前、爆発に巻き込まれて……この状況に、なったんだ。
「いっ……つ……」
理解した瞬間、ピリッとした痛みが体のあちこちに走る。体は黒く焦げていて……所々、血が出ていた。だけど、そんなこと……今の私には関係なかった。
お父さん、探さなきゃ。痛む体に鞭打って、足を引きずりながら探す。
家があったはずの場所は焼け野原が広がっていて……辺りには、木片や家具だったものが散らばっていた。不思議だったのは、あれだけの爆発があったのに何の騒ぎもないこと。
いくら少し人里から離れているとはいえ、誰も駆けつけてこないなんてことがあるのか?
……ううん、今はそんなこと、どうでもいい。お父さん、お父さんは……?
「……おと、さん……」
痛みを堪えて、探す。そして、見つけた。爆発で吹き飛んだのか、お父さんを押し潰していた食器棚は無くなっていた。これで逃げられる!
目の前のこと以外がどうでもよくなり、痛みも忘れて駆け寄る。
引きずってでも、お父さんを連れていく! ……そう思っていたのに、目にしたお父さんのその姿に、私は言葉を失った。
さっきまでは、食器棚に押し潰されていたから見えなかったけど……全身血まみれで、傷痕も無数にある。私よりも黒く焦げ、何より腹部からの出血が、尋常ではなかった。
それによく見ると、右足が……膝から下が……! ……生きてる、よね?
「ひっ……そんな、お父さん! しっかりして! お父さん!」
怯えてる場合じゃない。早くしないと、手遅れになる。恐怖を押し殺しお父さんに向かって手を伸ばしたその時……微かに、お父さんの唇が動いた気がした。
それを、私は見逃さない。
「ぅ……リー……」
「お父さん!」
密かだが確かに聞こえた。良かった、生きてる! 早く病院に連れていかないと……いや、そうだ!
「……治れ!」
私は、お父さんに手をかざす。私に天使の血が流れているというなら、治癒とかそういうこともできるんじゃないか……そう思った。
天使って、癒しとかそんなイメージが強かったから。とにかく、すがれるものには何にでもすがりたかった。
「治れ! 治れ治れ治れ!!」
……でも傷は一向に塞がらなくて。何度繰り返しても、無駄だった。無駄な時間が過ぎ、その間にも流れる血は止まることはない。
脱いだ上着を押し当てても、大した止血にはなっていないようだった。
「むだ、だよ……今まで、人として生きてきたんだ……」
この行為が無駄だと諭すのは、他ならぬお父さんだった。今まで人として生きてきた私が、そんな都合よく力を使えるわけないと。そんなの、私もわかっていた。
でも、それでも……!
「お父さん! 無理じゃ、ないよ……私は天使の……そうだ、神力も使えるの。きっと治癒も……!」
そうだ、私には天使の力だけじゃない。神力も使えるはずなんだ。これだけ不思議な力を使えるんなら、今だけでも私に力を貸してよ……!
……でも、そんな想いで都合よく力が発動するほど、現実は甘くない。
「……もう、耳が……きこ、えない……んだ……」
「そんな……」
視線は、まっすぐに私を見つめている。でも、私の声はもう届いていない。いくら叫んでも、このこえは、言葉は届かない。
そう理解した瞬間、決壊したダムみたいに涙がとめどなくあふれてきた。
……本能が、理解していたのかもしれない。
「リーシャ……私は、お前が娘で……幸せだったよ。お前という娘を持てて、私の人生は……」
「お父さん、そんな最期みたいなこと言わないで………………お父さん?」
その言葉はまるで……聞きたくなかった。でも、聞き逃してはいけないと思った。だって、それじゃまるで最後の言葉みたいで……
でも、大好きなお父さん最後の言葉を聞き逃したくなくて……
だけど、その言葉は最後まで続くことはなく……弱々しいお父さんの声は、聞こえなくなっていた。はっとして見る。お父さんの目は、私を見つめていた。
その瞳に……生気は、感じられなかった。……お父さんの体は、動かなくなっていた。いくら揺すっても、呼びかけても……返事はない。
「お父さん? うそ、だよね……ねぇ、返事してよ……ねえ! お父さぁぁん!!」
…………どれくらい、こうしていただろう。一分かもしれないし、一時間かもしれない。時間間隔があやふやになっていた。
ただここを離れたくなくて、お父さんの体を抱きしめながら、私は胸元に顔を埋めていた。ここにいたら、さっきの男が来るかもしれないのに。
……いいや、もう。……私もこのまま、お父さんと……
「……いた !キミ、大丈夫か!?」
そこへ、聞こえるはずのない女の人の声が聞こえてくる。あぁそうか、やっと誰か来てくれたんだ。……でも、どうでもいっか。
「キミ、リーシャちゃんだね? 私は、ファルニーゼ……キミのお姉さんの、友だ。何度か話したことあるんだが、覚えてないかな?」
お姉ちゃん……その単語に、私は伏せていた顔を少しだけ上げる。視線を動かし、顔を確認する。その顔は確かに、見たことのある顔で……お姉ちゃんが、友人だと紹介していた天使だ。
名前は確か……カーリャ、さん。
「ここにいては危険だ。ひとまず離れて……いや、手当てが先だな。酷い傷だ」
数度話したきり、しかも直接会ったことのない関係だ。それでも、心配してくれてるのがわかる。治療……してくれてるのかな?
そんなの、どうでもいいのに。それに、天使の力なんて……
「……あれ、体が……?」
そんなものでは、傷は治せない。そう思っていた私の体から、不思議な痛みが引いていくのを感じた。数秒後には、痛みは消えていた。
痛みが、ない。試しに動かしてみても……自分の体を見ても、まるでさっきの傷が嘘じゃないかってくらいに綺麗だった。これはいったい……?
「キミの傷を治癒した。これで体の痛みはなくなったはずだ」
「ち、ゆ……なおっ、た?」
ただただ、呆然。私の力じゃ、お父さんの傷は治せなかったのに……やっぱり、本物の天使だから? もし、そうなら。そうだとしたら……!
「あぁ。さ、今のうちにここを離れ……」
「じゃあ!!」
治癒、治る……私の傷が治ったんだ。それなら、お父さんもきっと!
「あのっ、お父さん……お父さんも、治してください! お願いします!」
「……それは……」
そうだ、やっぱり私の力が足りないだけなんだ。天使の力は、本物だ。良かった、治るんだ……お父さんも、治るんだ!私と違ってこの人なら、きっと治せる!
「お願いです! 私より傷も酷いし、このままじゃ……」
「……リーシャちゃん」
「お父さん! 治る……助かるんだよ! また二人一緒に暮らそう! 今まで以上に甘えるかもしれないけど、これからは、いっぱい親孝行して……」
「リーシャちゃん!!」
……私の言葉を遮るように叫ぶ天使、カーリャさん。その声が、何だかとても切なげで……意味が、わからなかった。……何、してるの? 何で治してくれないの?
何で……そんな辛そうな顔してるの?
「……死んだ者は、生き返らせることはできない」
……抉るようなその言葉は、私の心臓に……いや、もっと深くに突き刺さった。理解できなかった。いや……したくなかった。だって……死ん、だ、って?
「その人は、もう……キミも、わかっているんだろう。せめて、安らかに眠らせてあげよう」
お父さんの手を握る。手は、体は、恐ろしく冷たかった。開かれた目が……生気の宿らないその瞳が閉じられるのを、私はただ黙って見ていた。
……本能で、わかってしまっていた。お父さんの命は、もう……
わかってしまったのは、天使の力のせい? だとしたら……
お父さんは、救えない。でも、お父さんがもういないことは嫌でもわかる。必要な時に役に立たない力、それなのに、何でこんな時はその力が機能する?
役に立たない力なんて、いらないよ……!
「生きていれば、まだ手の施しようがあったが……」
「なら……何で、何でもっと早く来てくれなかったの! そしたら……」
私の中で、言いようのない気持ちが渦巻いている。それを、目の前のカーリャさんにぶつけてしまう。違う、この人は悪くない。
わかっているのに、ぶつけようのない気持ちをただぶつけているだけだ。それ、なのに……
「……すまない」
何で、謝るの。そんな辛そうな顔で……私が、悪いのに。この人は悪くない。むしろ、助けに来てくれたんだ。完全に、私の八つ当たりなのだ。
この人が謝る必要なんて、どこにもないのに。
「キミの言う通りだ……私がもっと早く、来れていれば……」
「違う! 私が……私が、天使の力をうまく使えたら……おとう、さ……は。わた、しが…………うぅ、うぁあああああ……!!」
自分への情けなさと、怒りと、悲しみと……いろんな感情がごちゃ混ぜになった私は、ただただ泣き叫ぶしかなかった。




